F1-GATE.COM記事抜粋
>ミカ・ハッキネンは、1993年にマクラーレンでアイルトン・セナのチームメイトとしての初レースでのある発言がセナを激怒させ、その後、二人は決して親しくなることはなかったと明かした。
一時代を築いたホンダが撤退し、マクラーレンは1993年にフォードのカスタマーエンジンを走らせることになった。アイルトン・セナは開幕戦アフリカGPの前夜になってようやくマクラーレンとの契約にサインした。
チームメイトのマイケル・アンドレッティは、1戦100万ドル相当のレース毎の契約とされており、成績不振によって第13戦イタリアGPで契約を解除されてアメリカに帰国。土壇場でアイルトン・セナが契約したことでテストドライバーに降格していたミカ・ハッキネンが、次戦ポルトガルGPからレースドライバーを務めることになった。そして、ミカ・ハッキネンは、ポルトガルGPの予選でいきなりアイルトン・セナを上回った。
「マクラーレンでスタートしたとき、アイルトンは僕のことをまったくリスペクトしていなかった。確かに会話はしていたけど、彼は少しも僕のことを認めていなかった」とミカ・ハッキネンは振り返る。
「僕はそれで問題はなかったけどね。マルティンラークソ出身の若造は仕事をして、前進していた。自分の仕事するだけだった」
「ポルトガルGPのエストリルで彼よりも速く走ったとき、彼はいったいどうやって自分よりも速く走ったのか僕に尋ねてきた」
「僕は自分のものを指さして『俺の方がキンタマが大きいからだ!』と言ったんだ」
「それは彼を完全に怒らせた。彼は本気で起こっていたし、僕に彼のキャリア全体について、彼が勝ったワールドチャンピオンシップについて話し続けた。彼は僕を壁に押し付けて『おまえにはとうてい無理だ・・・』と言っていたよ」
「その後、僕たちの関係が再び良くなることはなかった。アイルトンは僕が彼にとって脅威であり、世界で最高のドライバーとしての彼のステータスを失わせ、自分を追い越そうとしている若造がいることに気づいていた」
アイルトン・セナはウィリアムズに移籍した1994年のサンマリノGPの事故で命を落とし、ミカ・ハッキネンは1998年と1999年にマクラーレンでタイトルを2連覇した。
F1ドライバーの態度として考えるならば、ハッキネンの態度で正解だと僕は思います。
実際に、1993年のポルトガルGPでのハッキネンは凄かった。
シーズンを戦っていたセナを、いきなり上回った(それも、セナが絶対的に自信があったであろう予選で)のですからね。
ただでさえ、予選で負けたのにプライドが傷ついたであろうセナに、このコメントだと💦
こういうことは、セナとハッキネンだけでなく、大なり小なりドライバー同士はあるんでしょうね。
あくまで僕の印象ですが、サンマリノの悲劇がなかったとしても、セナはハッキネンやシューマッハに引導を渡された時期に入っていたと思われます。
セナの限界以上に、ハッキネンやシューマッハはイキが良かったです。
Posted at 2018/01/21 22:49:20 | |
トラックバック(0) |
F1名勝負 | クルマ