今年のGWに下田を訪れて、歴史に触れたことを、拙いながらも書いてみます。
下田と言えば、日米和親条約で函館と共に開港された地ですよね。
200年以上に及ぶ鎖国が解かれた瞬間となった訳ですが、それに辺り、様々な動きが起きたということを、改めて知りました。
黒船を率いて浦賀にやってきたペリー。
伝聞で描かれたペリーの絵。
右側に至っては、天狗みたいですw
これは明らかに好意的ではないでしょうw
日本の初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリス。
下田に着任し、日米修好通商条約を締結。
不平等条約とも言われてましたが、細かいことは再勉強したいと思いますw
タウンゼント・ハリスの看病に呼ばれた、お吉さん。
お吉さんは、下田の若い芸者さんでした。
看病ですから、本来ならば、看護師さんの出る番ですが、当時の日本にはその制度がなく・・・・。
また、アメリカ政府が妾を要望しているのかとの幕府のミスコミュニケーションでの人事。
ハリス総領事は、童貞で生涯独身を貫いた人物で、この人事に激怒したそうです。
なので、お吉さんは純粋に看護のお手伝いをした訳ですが・・・・。
任務を終えて帰ってくると、様々な風評被害に遭い、数奇な生涯を歩むことになります。
そちらは、「唐人お吉」という物語にもなっているそうです。
個人的に読んでみたいと思いました。
歴史が動いた裏に、女性の存在って、結構ありますよね。
時には犠牲になったりと考えさせられます。
今でも、湯治場は混浴のところがありますが、アメリカから見ると、混浴は野蛮のモノに見えたそうで、↑の絵も、日本を紹介する本に掲載されたそうですが、程なくして削除されたモノです。
ハリス総領事も、日本について、「喜望峰以東の最も優れた民族」という評価であったり、下田の町並みも絶賛していた訳ですが、混浴だけは理解できなかったそうです。
混浴の文化が廃れたのも、西洋化の波が影響あるかもしれませんね。
逆に言えば、日本の民族にモラルがあったから、混浴が成立したのかもしれませんが。
そんなことを思いました。
いすれにしても、下田の地から、近代日本のグローバル化の第一歩を踏み出した訳です。
という、ザックリな話でしたw
Posted at 2015/05/07 00:44:31 | |
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