2011年12月08日
ロイター記事抜粋
>2012年のロックの殿堂入り選出アーティストが7日発表され、ガンズ・アンド・ローゼズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ビースティ・ボーイズらが選ばれた。
ほかには、1997年に死去したシンガーソングライター、ローラ・ニーロや、スモール・フェイセズ/フェイセズ、ドノバン、フレディ・キングらが殿堂入りを決めた。
授賞式は、米ニューヨークからオハイオ州クリーブランドに舞台を移して、4月14日に開催される予定。
ガンズだとかレッチリだとかビースティーズが殿堂入りって・・・・。
彼らももうベテランバンドの領域にあるのですな。
感慨深いものというか時間が過ぎるのは早いというか・・・。
フェイセズはかっこいいバンドですよね。
フェイセズ時代のロッド・スチュワートは本当にカリスマ的なボーカリストだったと思います。
マイクスタンドのパフォーマンスがかっちょ良すぎ。
神と言っていいでしょう。
となると、フェイセズのベーシストだった山内テツさんも受賞ってことですね。
Posted at 2011/12/08 23:32:01 | |
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音楽関連ニュース | 音楽/映画/テレビ
2011年12月08日
埼玉県が生んだ偉人、渋沢栄一公。
モラルに生きるそのビジネススタイルは基本中の基本ですが、今こそ見直すべきかも。
Posted at 2011/12/08 13:36:13 | |
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雑誌・書籍 | 趣味
2011年12月08日
ESPNF1記事抜粋
>かつて、マクラーレンとBRMのドライバーとして活躍したピーター・ゲシンが長期間の闘病を経て71歳で永眠した。
ゲシンといえばBRMから参戦したモンツァが舞台の1971年イタリアGPを制したことで有名。スリップストリームを使ってゲシンが勝ち得たレースは2位のロニー・ピーターソンとわずか0.01秒差、しかもトップ5が0.6秒差以内でゴールする史上まれに見る大接戦だった。生涯唯一の勝利となったこのレースでゲシンはファイナルラップを4番手で迎えたため、一度もラップリーダーにならずF1レースを制した唯一のドライバーである。
1,000ギニーやコロネーション・ステークスの両レースを制したこともあるジョッキー、ケン・ゲシンの息子としてイギリスのエプソムに生まれたピーター・ゲシン。1960年代前半にブランズハッチでロータス7を駆りキャリアをスタートさせた後、ロータス23を購入して1964年のガーズ選手権を制している。ピアス・カレッジやジョナサン・ウィリアムズとしのぎを削ったイギリスF3で注目を浴び始めた頃は20代後半に入っていた。その後、F2のグランプリで2位に入り、1969年にはチャーチ・ファーム・レーシングと共にF5000を戦っている。
1969年と1970年にF5000選手権で優勝したゲシンはカナディアン-アメリカン・チャレンジカップ、通称カンナム(Can -Am)に参戦してマクラーレンに勝利をもたらしている。これがF1ドライブのチャンスにつながり、創設者ブルース・マクラーレンの死を受けてドライバーに指名された。出走した12戦中のベストリザルトは6位。BRM移籍後は2レース目にして勝利を収めた。これが唯一の表彰台でもある。
ゲシンが最も落ち着いていたのはF5000の舞台。1973年のレース・オブ・チャンピオンズではF1マシン勢をシェブロンで打ち破っている。翌年はオーストラリアとニュージーランドで行われたF5000タスマン・シリーズに出走、1974年のタイトルを獲得すると共に、F1でもスポット参戦を果たすもリタイアに終わった。ゲシンがグリッドに並んだ最後のF1レースだった。
レース生活から退いたゲシンはマネジメントする側にまわり、1984年にはトールマンのチームマネジャーを務めている。2年後、F3000に活動の場を移してピーター・ゲシン・レーシングを立ち上げ、後にグッドウッドにドライビングスクールも開校した。
ピーター・ゲシンのことは1971年のイタリアGPを僅差で制したことしか知りません。
で、youtubeにあった動画を見ると、こんなレース展開が今のF1でも見られたらという内容でした。
それにしても、スタートがいいかげんなところが1970年代のF1って感じですね。
ご冥福をお祈りいたします。
Posted at 2011/12/08 11:29:26 | |
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F1GP2012年シーズン | クルマ