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ミハエル・シューマサシのブログ一覧

2013年11月22日 イイね!

ケネディ暗殺犯のソ連的な解釈

ロシアNOW記事抜粋
>1963年11月23日、土曜日、ソ連の新聞には、いつものように「ウズベキスタンの綿花栽培者の偉業」とか「春への備えは今から」といった見出しが躍り、ケネディ大統領暗殺の記事は、一面の下の部分に掲載され、その他一連の国際ニュースとまったく区別がつかなかったが・・・。

暗殺の激震

 しかし、ソ連の読者は、5月や11月の祝賀パレードの際に、レーニン廟のうえの雛壇に居並ぶ指導者たちの序列など、様々な間接的兆候から政治的出来事の真相を汲み取ることに長けていたので、11月23日の紙面に目を走らせただけで、実際には米国からのニュースがソ連の指導部を震撼させていたことが分かった。
 ケネディのポートレートの下には、ソ連のすべての最高指導者からの弔辞が掲載され、そのなかには、ソ連共産党中央委員会第一書記の夫人ニーナ・フルシチョワからジャックリーン・ケネディ宛てのものもあった。数日後、ソ連は、社会主義国では唯一、フルシチョフの最も近しい代理人とみなされていたアナスタス・ミコヤンを国の代表としてワシントンでの葬儀へ派遣した。新聞には、暗殺された大統領の人となりを紹介したりその死の背景を分析したりする記事が、翌春までほぼ連日掲載され、ときには、それが数頁に亘ることもあった。


ケネディは例外

 ダラスでの惨劇の前の1963年の数ヶ月の間に、ソ連のメディアにおけるジョン・ケネディのイメージは、「冷戦」時代の他の米国大統領とはまったく異なる特徴を帯び、ケネディは、事実上、批判にさらされることがなく、氏の政治的イニシアチブは、しばしば、慎重ながらも、ソ連側の賛同を得ていたことは、一般読者にも明らかだった。
 ソ連のプロパガンダがよく言及していたのは、ケネディが社会主義国と資本主義国の平和共存を訴えた1963年6月10日の演説と、同年8月の部分的核実験禁止条約(PTBT、大気圏内、宇宙空間および水中における核兵器実験を禁止する条約)の調印の、二つのエピソードであり、新聞記事では、ケネディおよびその陣営と“右派反動勢力”や南部の州の人種差別主義者や熱烈な反共主義者らとの激しい政治的対立が、つねに強調されていた。
 殺人者の凶弾に倒れた、若く進歩的な大統領への共感に支えられた新聞紙上でのキャンペーンは、絶大な効果をもたらし、その影響は、現在のロシアにもみられ、年配世代の多くは、今もアメリカの大統領のなかではジョン・ケネディをとりわけ高く評価している。
 いったい何が起こったのか?それまではしばしばソ連と口論し衝突していた(物別れに終わったウィーン首脳会談、ベルリンやキューバの危機など)大統領が、突然、まるでイコンのようになり、クレムリンのお偉方にとって善意と進歩の体現者となったのは、いったいなぜなのか?


キューバ危機の顛末への批判かわすため

 おそらく、ジョン・ケネディの「明るいイメージ」は、それがソ連の指導部そしてフルシチョフ自身にとって枢要な一つの課題の解決を促すために、ソ連のプロパガンダによって築かれたものと言えよう。
 回想録から判断すると、フルシチョフは、死の直前まで、キューバ危機の結果に対する国際的な評価をひどく気に懸けていた。米国の圧力に屈してキューバへのミサイル配備をみすみす断念した臆病者との非難を払いのけるためには、まさにソ連の政策が成果をもたらして米国のキューバ侵攻の脅威が大幅に軽減されたことを証明するしかなかった。その軽減は、事実上、ミサイルの撤去と引き換えにソ連が手にしたジョン・ケネディの個人的な保証のみに支えられていたため、アメリカの大統領を、狡猾で節操のない功利的な人物(1961年と1962年のソ連の新聞ではそんなふうに描かれていた)から、その人物と付き合いその言葉を信じることのできる、平和や黒人の権利を希求する進歩的な闘士へと変えるために、できる限りのことをする必要があった。


もはや後戻りできず

 ケネディの暗殺は、ソ連指導部の思惑に対する恐るべき一撃となり、それは、極めて入念に構築されていたソ米関係のシナリオ全体をぶち壊した。その後一年ほど経つと、フルシチョフは、すべてのポストから外され、年金生活へ入ることになるが、巷では、キューバのミサイルの一件がその主な原因の一つであると囁かれていた。
 しかし、プロパガンダのマシーンは、もはや後戻りできなかった。おそらく、ダラスでの事件がソ連におけるほど単純かつ一様に解釈された国はなかろう。早くも11月23日に、記者たちは、すべての責任は「極右」にあると現地から報じた。それは、彼らがそれまでの数ヶ月間にわたって書いてきたものとうまく一致し、ソ連に住んでいたこともあるリー・ハーヴェイ・オズワルド容疑者の怪しい過去から注意をそらすことを可能にし、その後は、この説が、唯一の争う余地のない説とみなされるようになった。
 興味深いことに、多くのアメリカ人は公式見解の受け入れを拒んだのに、ソ連の新聞に書かれている多くのことを極めて懐疑的に捉えていたソ連の国民は、それを受け入れた。
 もしかすると、それは、ダラスでの出来事について多くのことを記した、ソ連の新聞人のあいだでとりわけ特権的な“カースト”とみなされていた国際問題担当のジャーナリストたちの権威に、関連していたのかもしれない。世代から世代へと継承された「右派の陰謀」説の誇張された人気のおかげで、今もロシアは、ケネディ大統領を暗殺した人物について国民がほとんど疑いを抱かない国であり続けている。




ケネディ大統領暗殺時における、東側諸国の雄、ソビエト連邦の反応が取り上げられております。
今から50年も前のことですから、冷戦真っ只中の出来事。
そんな中、ソビエトのお偉方にケネディが評価されていたことにビックリしました。



Posted at 2013/11/22 23:09:12 | コメント(2) | トラックバック(0) | 時事ニュース | ニュース
2013年11月22日 イイね!

Paul McCartney - Toyko Dome (11-11-02)

ポール・マッカートニーの来日公演も昨日無事に終わったようで、行かれた皆様のブログを見てたのしませていただきました。
当日券も売られたようで行きたかったのですが、職場放棄するわけには行かず。

で、自分が2002年に観に行った東京ドーム公演の動画を見つけたので、取り上げました。
これはスゴイw



セットリスト
1.Hello Goodbye
2.Jet
3.All My Loving
4.Getting Better
5.Coming Up
6.Let Me Roll It
7.Lonely Road
8.Driving Rain
9.Your Loving Flame
10.Black Bird
11.Every Night
12.We Can Work It Out
13.You Never Give Me Your Money~Carry That Weight
15.Fool On The Hill
16.Here Today
17.Something
18.Eleanor Rigby
19.Here, There And Everywhere
20.Michelle
21.Band On The Run
22.Back In The U.S.S.R
23.May'be I'm Amazed
24.Let 'Em In
25.My Love
26.She's Leaving Home
27.Can't Buy Me Love
28.Live And Let Die
29.Let It Be
30.Hey Jude
アンコール1
31.The Long And Winding Road
32.Lady Madonna
33.I Saw Her Standing There
アンコール2
34.Yesterday
35.Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band(Reprise)~The End


11年前のことなので、全部が鮮明ではないですが、思い出してみたいと思います。
僕はすんごいステージから遠い席だったので、蟻んこのようにしかポールが見えないような感じでした、大げさですけどw
なので、ありがたい映像です。
開演まですごく待たされて、1時間以上遅れてのスタートだったと思います。
と書き始めてみたものの、記憶を辿るのは限界があるので、動画をどうぞ!!
Posted at 2013/11/22 22:33:03 | コメント(2) | トラックバック(0) | LIVE!! | 音楽/映画/テレビ
2013年11月22日 イイね!

世界的ミュージシャンの中でも驚異的な記憶力で知られていた。

ジェームス・ブラウンのウィキペディアより抜粋
>(ジェームス・ブラウンは)世界的ミュージシャンの中でも驚異的な記憶力で知られていた。無名時代からの世話になったDJや関係者の名前などを覚えており、相手の人物がどうせ忘れているだろうと思い込んでいても、ブラウンはフルネームで覚えており、「あの時はありがとう」と語ったという。

これ、すごく大事な話だと思いましたし、自分もマネをしたいなと思いました。
基本中の基本ですが、意外にできてなかったりします。
Posted at 2013/11/22 00:18:13 | コメント(1) | トラックバック(0) | 音楽関連ニュース | 音楽/映画/テレビ
2013年11月21日 イイね!

ストーンズ、2014年3月に豪州での公演が決定&ミックとキースの発言の日本語訳を掲載

RO69記事抜粋
>ザ・ローリング・ストーンズが2014年3月22日(土)にオーストラリアのアデレードでライヴを行うことを発表した。
あわせてメンバーの出演するプロモーション動画が公開されている。
この映像でのミックとキースの発言の日本語訳は以下の通り。


ミック「みんな、こんにちは」
キース「アデレードのみんな、こんにちは。ずいぶんご無沙汰しちゃったよねえ」
ミック「みんなから3月22日にアデレードの歴史的なオヴァルの運営再開に招待されることになって最高だよ!」
キース「みんなとは3月22日に会おう。俺たちが新しくなったオヴァルを開陳することになるからな!」
ミック「このライヴについてはものすごく楽しみにしてるんだよ。アデレードはこれでもう20年ぶりくらいになるからね」
キース「みんなと会場で会えるのを楽しみにしてるよ」
ミック「会場で会おうね!」


ローリング・ストーンズは、今年7月にハイド・パークでライヴを行い、その映像作品『“スウィート・サマー・サン”ストーンズ・ライヴ・イン・ロンドン・ハイド・パーク 2013』を10月30日にリリースしたが、今後の活動については明らかになっていなかった。



オーストラリア公演の後に日本でもライブをやるって噂もありますが、いかに!?
来年の3月後半がXデーかな??
Posted at 2013/11/21 22:10:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2013年11月21日 イイね!

Jaguar F-Type Coupe - Dynamics and launch promo







ジャガー・Fタイプに対する連続投稿で恐縮ですが、連続投稿するほど、ホレましたw
Posted at 2013/11/21 21:23:22 | コメント(7) | トラックバック(0) | 自動車関連ニュース | クルマ

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「@きむきむ580さん 今時の謝罪会見って、変な詮索されて、二次被害三次被害四次被害って起きそうですわな。」
何シテル?   06/20 21:56
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