FJ登園の日々が
平和に平和が続き、ダブルピンフで、
そういえば昨年の今頃はよくママのグラタンを好んで食べていたことも写真をみて思い出し、
つい最近の家風呂も、私が先に上がるほど長風呂傾向ですが、この頃もお風呂好きは無論健在で、
また朝が来て、
ジープ二台の光景も見つけて、それだけで親子喜ぶ登園があり、
この頃、帰りによく寄っていた公園Bも懐かしく、
毎夜の寝顔撮影も欠かさずで、
1年前は幸楽苑つけ麺に、こしょう大量投入+酢で某有名店の味に肉薄して仕立ててたのも懐かしく、
レゴの日々はそう合ったわけではありませんが、今ではソロレゴ活動で簡単な4駆も作れるようになり、嬉しく寂しいリピーターです。
我が家のオフロード事業統括責任者。今でもことあるごとに「S早く売りなよ」というあたり、筋金が入魂されてきているかもしれません。Sが無くなりますと、いよいよ全車ラダーフレーム車のみ保有という環境到来です。
ときに率先して朝のゴミ出しもやってくれ、
当たり前のようで当たり前ではない、たとえば1年も経てば弊員たるおじさんの体力劣化も甚だしく、つい一年前は余裕あったことでも、疲労が邪魔するときがあり、つまりは一年後は今当たり前に思うことが当たり前にできなくなっているやもしれず、有難く今日も過ぎていくように思います。
一年前は七五三祝いも無事に執り行わせてもらうことができました。
GLは新しい設計で、Gはクラシックな設計でぐらいにしか思っていなかったわけですが、ラダーフレーム車か否かという大きなそして決定的差を意識もせずな頃。
「やってみたい」とういうことで、人生初のおみくじが大吉だった七五三。
翌日は羽田へ。この頃はまだ羽田頻度を保っていたようですが、最近は飛行機への興味よりもオフロード。
カーセンサーは1分の1モデルなおもちゃの玉手箱なごとくな様相がゼロではないもしれませんが、玩具と決定的に異なり面倒なのは車庫証明です。
仕事にのめり込み勤しみ、それが充実して楽しい日々であった20代。
高層階でふんぞり返りながら、ピーク時は会社を毎週1調印の勢いで買いまくっていた30代。後半は調印式だけ出るようになっていましたが、1調印すると預貯金にCFは無論、付属の子会社や営業車、不動産、株、ゴルフ会員権およびゴルフセットなどがついてくることもあり、という意味では大人買いの一例かもしれません。無論加えて債務もついてきます。
そして子育て、いや我が子という「人」とともに過ごすことにのめり込んでいる40代を経過中、オフロード入門とクロカン購入に勤しむ日々。
この頃まではよくフルーツ店のフレッシュジュースを飲んでいましたが、最近は出かけるとすればオフロード増量基調ゆえ、このお店へ一緒にいくことも激減しました。一つひとつがそしてその瞬間ごとが懐かしく過ぎていく人生の旅情に思い。
昨年、私に餅のつき方を教えてくれたカナダ人のパパ友。
今年の餅つきもご一緒させてもらいましたが、話していますとインコが大好きだそうで、好きになったきっかけがご息女がインコが好きでyoutubeを見ていたら自分がはまったとのこと、
インコとオフロードというテーマの違いはあるものの、根本は子の影響という点で一緒だ、と思った次第です。
昨日あたり後進が運転する、ヒッチサイクルキャリアに子供の自転車とストライダーを積んだ我が家のジムニーが走る姿を後ろからみていると、己のことながら客観的に「子供想いのパパオーラ」がムンムンするジムニーに見えた次第です。
つい2年前後前までの2年間前後、カメラをよく買っていました。
これが車であったら大変なことだけど、カメラで済んでいるから節約になっているんだ、という論陣を張っていましたが、先を見た論拠を持たねばならぬホトトギス。
車なぞベンツのSに乗っていれば他に望むこともなく、安全性含め何らの問題なくかつそれ以上必要性もなく、まさかラダーフレームにこうして傾斜していく織り成しが生まれていくとは想像していなかったゆえ、致し方ないともいえます。
「パパがはじめてした時計どんなの?」という登園の会話がありました。
一番最初の最初は記憶にありませんが、高校の入学記念に、つけていた時計をそのままはずし頂いたことがあり、これのインパクトが最も強く、
その方はホテルをたくさん持っている方で、局地的ながら〇〇エリアのホテル王という異名もあったのか、頂いた腕時計は今でも大事にしてあります。そういうえば私の名前に一字頂いた方です。
この写真をみて、発表会70-200F2.8を今年も持っていきました。危なく意識から漏れていました。
もう一方、私の名前に一字をくれた方がいまして、合わせて名前を拝命したわけですが、
このもうひと方は、今年鬼籍に入られました。お悔み致しつつ、ご冥福をお祈りしたいと思います。
ときに史上最高額の脱税事件として特捜に逮捕そして起訴され、一審は有罪、しかし裁判で戦い逆転無罪になるのですが、
当時は自家用ジェットで時に名をはせていた幹事長とラスベガスへ行ったり、言ってみればバブルの申し子なのか、時代の寵児なのか、
ときに個人での運用額が当時1兆円という桁も並みも外れたまさに破天荒な生きざまだったと思います。しかし静かに旅立っていきました。
他方ある方は、ピーク時の決裁権が年間1兆円というケースもあり、この方は特捜の事情聴取止まりな出来事や週刊誌に連日掲載されたりもあったりしつつ、そこからの生き様も強く敬意を思いながら、私からするとシムシティのプレイをもってしても途方もない額ですが、それぞれ個人での運用ケースと、それだけ決裁権を持つ組織の力あるバックグラウンドを持つケースとで、カラーの違いも一つ勉強になったかもしれません。
----------------2018.11月から12月にかけて
2019.10月から11月にかけて----------------
ばぁばの田舎から念願たる流しそうめん計画が一歩進み、
アウトドアーズもじわじわ進んだ2019晩秋の頃。
すなわちもうじき足掛け二年遅れのブログとなっていきそうですが、子が小学生になれば写真整理のピッチが上がることを期したいと思います。
いくら動かそうが、社会に大きく貢献しようがしまいが、名を馳せようが、馳せまいが、
やがて旅立つ日がくれば皆同じところに辿り着くのであり、そうだとしても少しでもこの子と一緒に居たい、あとはそれだけを望むばかりですが、
「時計も飽きる日が来るよ」と伝えてもみて、「あぁブルガリ、ブルガリの時計がほしいぃ、がまんできない、いやカルティエもほしぃ」という日も来るのやも知れず、初めは大人の世界に見えた腕時計やその高級な部類をはじめスーツに革靴など着飾る世界も、過ぎ去ってみれば虚飾に一生懸命となり滑稽に思い、同時に野望や野心、対峙するエネルギー量があればそれらの武装もパラレルに必要でありと思うわけですが、
かような剥き出しの純粋なエネルギー期もないならないなりに、あればあるなりに、大切な道程にも思ったりします。
1/18および1/1モデルの玩具がメインゆえいらないからパパにあげると並べていた夜。
他方でそのようなことに心が煌びくことがなくなれば、他に何を生き甲斐とするのか見つけるのが大変なほどに、思いのほか人生は暇なような気もします。
「2人の忘年会しようよ」
なんと嬉しいお声がけか、
我が子と同じあだ名である、小学校からの友人と年の瀬終盤に飲みにいくことになりました。
連れの指名で、途中我が友にも紹介をしたことがあり、その二人の関係が続ている故、もう14年来の付き合いになる元キャバお嬢様、現ラウンジお嬢のところへ行くことになっていますが、
その元キャバ嬢も出会ったときは、23歳だったのが37歳、もう一人は39歳とのことで、
過日、友に連れられ4年ぶりに働くお店へ行きましたが、お互いに歳を重ねるわけでして「親や親族全員にはまだどらちゃんの会社で働いていることになっているから(笑」と、
降園からそのまま台風の爪痕残る箱根日帰りドライブへ。「あっジープ」なんで分かるのかママから質疑が飛んでいました。
そう以前は会社に勤めていたこともあり、しかし男女関係はなく、どころか、お綺麗な方だとは思いますが、お互いに一切そのような気が起きる様子でもなく、自信があるほどにこの先も同じくで、非常にフランクな人間関係で来ていると思います。ゆえに「久しぶりに性欲を湧かせてもらいにお邪魔します」という返しに笑いが生まれてることになるはずです。
現在の会社は私の知る限りで身の回りで数名夜のお嬢様出身や元の方いや片足突っ込んだくらいの方が仕事を下さっていますが、夜を卒業するきっかけとしてくれたり、そうでないケースもあるやもですが、
14年来のお嬢と4年ぶりに飲んだその足で、別のお店へ10年来ぐらいのお付き合いになるのか、この方とも4年ぶりに会いました。この方は生粋の夜族夜の蝶と言ってもいいかもしれません。
日本一の歓楽街にでかでかと看板が出ていたこともあるその美しさも抜きに出るほどの元トップキャバ嬢、前雇われママ、現オーナーママまだ30代ですが、となったお店へ「ぽけっとに3万しかないけど足りる?」「足りるたりる、おいでよ」と電話してから行ってみれば、
数千円と安く飲ませてくれて、いや若いときに飲んでおくものだと思ったのが、
その面々に会うと、若い時を思い出し、若い時の気持ちになることができて、まるで若返ったかのような感じを得て、これがなかなかに感慨深く、
ひどい飲み方をしていた頃を思い出したり、当時の常連知り合いと会話したひとときを過ごすことができました。
この若い美人ママは相当に酒癖が天空なのですが、にもかかわらず長年若い子達が付いてきており、
その秘密は翌朝さっと謝れる、という器を持っているからではないかと見受けています。
その昔、一緒に後輩の女子大生が働くというキャバクラへ行く際に、一緒にタクシーの乗った瞬間から、おらぁ。ごるらぁ、と威勢よく荒れている中、
とくかく何故か私が謝り倒してなだめている、というときもありましたが、
翌朝に「ごめんね」と可愛いメールが入ってきます。これはなかなかできないことではないか、とくに男の世界では、と思い、勉強にもなる次第です。
他方、昨夜は人生の先輩方と後進交え、どうして都心はこんなに人が多いのだろうとお上りさんをしながら新橋で飲ませて頂きました。同期が連結総従業員35万人級のトップになったという、これまたなかなか付けないであろうポジションな中枢のお一人を紹介頂き、
いいよ、と泥水突入を許諾すれば「パパ大好き」と言いながら。
我が人生の先輩であり恩人の方が「これやれや!」という事業について「じゃあ新設の会社作って、みんなが余裕を持ってできるようにお金を生みましょう。A事業でやりたいのでアカウント作ってもらいましょう」「じゃああいつを呼ぶ」という流れの飲みでした。ついでに「おいどらさん、お前さんこの会社買いな」と同巨大グループの系列が有する社員数600名ほどの売り物案件まで持参頂きましたが、まだまだ緩い話のようにも思い、加えてMAはもう飽き飽きの上に慎重に考えたく、さてこれはどうなることか。
その方の先輩がM&Aで1兆円失敗をして、引責をした話を上記記したあとにたまたま聞きましたが、なかなかできる失敗ではなく、加えてそれでも会社がびくともしないのですから、それもまた思ってみれば驚異なお話です。そしてそれは敗戦国でありというまた社会の構造ということになろうのかとも思います。
各方面、多分に様々な既得権益や業界や頂上から麓までヒエラルキーを傍観してきて、この会社あるいは組織は社会的かつ国内に限れば8合目9合目あたりに位置するのか、就職をするのであればこの会社組織が最も幸福度が高いのではないかと、知るにつけ、現役や卒業をした方々の表情を見るにつけ、強く思いを重ねる次第です。
後進と話している間、愛車を入念に拭く我が子。
「私、今から就職できませんかね?」と冗談交じりに話題としてみると、
「お前はあそこから声がかかっていたじゃないか」と、24歳の頃、特待的にお声がけを頂いた組織があるのですが、
これはもう僭越に光栄なお話で、一週間お風呂に入るたびに悩み考えましたが「自分で会社を作った」その道で生きていこうと決めて辞退をしたことがあります。その方とも20年来のお付き合いが続いておりますが、
当時の大王的ボスが失脚し、主流派に組み込まれていっていれば、どうなったことか、分からないものです、という話題もしながら、
体力気力が続くのか、それが最も懸案ですが、春先目指して2つ立ち上げていく動きをしていきますが、思いのほかエネルギーの枯渇も感じ、オフロードの庭いじりをシフト制にしてこれらをゆるやかに遊べればと思っていますが、人生の先輩たるその方のエネルギーにスピードも敵わず、さてどうなることやら、と思案も重ねます。
「我が子に貴重な経験となりました。ぜひまた声をかけてください」「また行きたい」「他のところも行ってみたい」「いついくの?」「来週も来たい」「ぜひまたお願いします」など親御氏、子供達、若手殿達からも好評に思い、それが楽しみにの一つになってきましたが、ホスト役の責任としてより盤石な体制として今年の春から、みんな用オフロードカー稼働を期しています。今日はこれから東京からほどよい距離に見当たらない積雪求め温泉し、明日はオフロードして帰ってくる予定です。