ここ数回の記録をざっくりまとめれば、
一代一業とは、成果ではなくプロセスを味わうことこそが人生最上級に楽しいことの一つである、という人生観に腕立てしながら立脚し、守ることだけのすなわち最高級のホットドックそのカラシだけを舐めて腹を満たすかのような辛み成分しかない人生ではなく、「お前も人生楽しんでいいんだぞ」というメッセージを多分に含んでいると解釈し、
子育ては同時に長期的な経営でもある、という恐らくはこの戦後に生まれた概念・感覚たる仕事と家庭を完全セパレートしている考え方では理解しがたいものがあろうかとも思いますが、
他方で、一例を挙げますと当時石川島播磨重工業社殿の従業員氏で「おやじと同じ会社、同じ事業所に就職しました」という若い方のインタビューを見たことがありますが、
20年前後に渡って、社会はもとより、その当該会社という具体事例を見て学び、感じて知り、聞いて理解し、質問して興味を増し、育って感謝し、小さい頃聞いていたTさんは、今は部長なのか、と生きた人事を骨付きカルビで知ることでもあり、そうしてその会社や一人ひとりの集合体である組織やそこにある人生までをも深くまで理解し、いや知らず知らずのうちに会得し、
技術畑であれば、その技術の競合との関係性や、独自性、あるいは壁をこえた苦労話に逸話、営業畑であれば客先や、三菱重工という強敵がいてな、ここの部長さんはなかなかの切れ者な上に人徳者でとときに競合含め、業界について生き字引的な指南役すらいる幼少期や青年期を過ごし、自社だけでなく他社の人事まで20年30年見るようになれば、人の移ろいや育成につき先々どうなっていくのか既視感も持つようにまでなり、あの仕事では辛い思いをした、あの仕事は最高に気持ちよかったと、聞いて育てば各戦跡についてもけして教科書にもネットにも載ることがない道を知り、
もしくは当該企業での出世のコツや傾向、子にとっては上司の上司にあたる後輩の性格や思考パターンをプロファイリングの視点合わせて伝えてみれば親子二代で大企業のトップ層へ登る確度も上がるやもしれず等、ポケモンをみて、ゲームをしながら、あと英語はたくさん勉強したけど、という教育の道程を歩んで来て社会に出たときのケースとで考えれば、戦闘力はまさに達観した大人と子供ぐらいの差があるものと思われ、そしてポケモン組若頭はその差を知ることなく社会に出てから努力ゲームの火ぶたが切って落とされる羽目となりかねないと思います。なおポケモン組という形容につき、大人になってそれに一所懸命になっているケースもありますが、家に帰ってからすることもなく、思いの外人生やることがない、というのが実は人生半ば以降に起きやすい真っ当イベントであることを示唆するのも一考かもしれず、私のカメラ趣味も似たようなポジションです。
既視感というサバンナにおいて数キロ先、蜃気楼の中に佇むシマウマも見つけるほどの視力3.0並みの老眼視点でいえば、80歳まで社を育て、社員の中から後継者を選び、そして死を迎え、その後がどうなっていくのかを見たかのような既視感が私にはあり、これを比較的若年者のうちにグリップできたことは大変幸いなことであると思っておりますが、
いくつものケースがあるゆえ、一概には言えないながら、
本田宗一郎氏は「親族を社に入れない、後継にしない」と明言し、しかし子を関連会社の社長にして、その会社は少々トラブルもあったかと思い、私も従前は家督じゃあるまいしこれが現代的感覚なのかとも思い受け、あるいは自分が社員ならと想像し、一切家族に親族は関わらせないというポリシーで経営をしていましたが、他人にそこまで気を使う必要もなく、その他人の中には「将来独立するため」と思って入社してきてリソースにつき給与をもらいながら盗んでいく泥棒みたいな者も含まれるのは世の常でという側面があったり、いやむしろ既述してきたメリットのほうが大きいことに思い至り、
あるいは日産は初代からして途中で内部的乗っ取りがあった歴史であると形容するべきか、大卒で入ってきた頃は初々しいはずだった者が、いつしか権力の奪取だけを考えるようになり、大きな戸がある定食企業殿のように内部的乗っ取りはそれが尾を引いていくことになるのか、痛切にいうなれば「経営能力なき者の乗っ取り」という意味では「無能な乗っ取り」であり、これを大筋ではそれが起こらないよう「もうたのむよ、うまくやってくれよ」と言われぬようにするのが先代の役目その一つであり、はたまたこれは客先やノウハウを盗んで起業したような泥棒創業につき、会社のヒストリーその起点をぼやかして記載するか、あるいは記載することができず何ら触れていない不自然な会社もまたありますが、ときに参入障壁の低さがなせる業であればその構造までも盗人は内包し後々ブーメランもあろうかと思い、または創業理念からして嘘で塗り固めるほかない中小零細のケースにも当てはまるかと思い、隣国の立国時かのようにのちのちにも影を落とすようになるかとも思いつつ、
という中に、トヨタの親族に恵まれて、親族で核を固め、親族統治も秀逸に、競合他社と比して確固たる芯を持つ組織と文化が形成され、実は組織にとって隠れたる致命的失敗の礎要素となるトップの人間性や機微というものにつきそれがなきよう伝承されていること合わせ、そのデザインとハンドリングをやり切り、兄弟は他人の始まりという言葉もあるほどの世の中に、あれだけ親族がいて骨肉の争いが発生しない、まさに究極のコーポレートガバナンスからして世界一かとも思いますが、
仮説を雑に立てて、日産が80点主義的に故障が少ない生産管理を行い、なおスバルは「最高のメーカー」「二度と買わない」とユーザー評価が両極端の傾向にあるのは独自技術はよい点ながらこの具現化たる生産管理がうまくなく商品のばらつきが多いような会社かと思われつつ、ここに原価低減合わせトヨタのノウハウがときの流れとともに入っていくのかもしれませんが、日産の仮定に話を戻しましてマーケティングも達人級で、シェアをトヨタよりも大きく伸ばしてきたジャッジを重ね歩んだとして、
権略謀議という大きな変動値だけはそのまま等身大的にぶっこんで想像してみることとして、そのようなトップシェアの日産内で数度の権力奪取が起こり、ということがあったとしたら、やはり安定している競合がいる中で社内の士気が下がったり、混乱があったり、客先での信用低下が合ったりする中に、製品企画のプロセスにエネルギーが向かわず、担当のストレスは下請けに向かい、下請けのストレスはユーザーが使う部品の精度に顕れ、結局としての目が市場に向いていないことにもなり没落に向かうのではないかと思い、
いやもっと簡易にトヨタにお家騒動や謀反が続いていたら競合はその混乱をしり目に商品力や販売力の向上に力を集中でき、と考えれば分かりやすいか、そしてじゃあなぜ血筋に関係なく謀反が起こる本質はなんのかと考えてみたりして芯に迫る作業をしてみて、という心臓部のさらに深層的部分にスポットを当てて、そのような視点を一つもってみて、考えてみるのも、また一つなのではないかとも思ってみて、はたまた大きな塚がある家具店は、幼い頃から落成式も出席していた女傑があとを強引に継ぎましたが、何がいけなかったのか、親族に頼ったところが汚点だとすれば、車にタイヤかエンジンは必要ないという議論に似ていると思い、そうではなく、どうタイヤやエンジンの設計がよくなったのか、と考察や仮説を立てて検証してみるのがまずは必要かと思いつつ、
7D2+EF135mm(換算216mm)F2 のF2開放
同 F7.1
同 F8と絞りとボケについてレクチャーしてみて、
でもさ、おやじが言うその要素はこのケースだと当てはまらなくないか?ソニーとキヤノンを比べて考えてみればさ、とか、グロバーバルに見ればさP&Gやユニリーバがありこの事例だと、と
うるさい、お前は社会を何も知らないんだから偉そうに口を出すんじゃない、等虚空をもって偉そうに威圧的要素で論破もどきの器が小さい制圧をするのではなくて、
内臓テレコン+1.4外付けテレコン合わせ、784mm
くそう、なるほど、じゃあこう考えるのはどうだ、
いやでもそれだとさ、とさらに反駁招聘状態となったりするような日が来るのが楽しみです。
しかし議論で終わるのではなく、次は実験、実証です。
ディレクションも含まれたディスカッションで導き出された普遍的要素が見つかったと仮定して、それを応用して当て込みをしてみて、じっさいにそうなのか、コアたる研究テーマと関係ない変動値を他事例を入れて予測排除してみたりもしながら、さらに討議し、
let's do it、その繰り返しが、
そこいらのゾウリムシよりは目に見えにくい、しかしダークマターよりは観測しやすい要素として、
EOS R×EF200-400mm F4L IS USM ×内臓エクステンダー 1.4×テレコン1.4の756mm 1/800 F8でISO5000
同756mm 1/1000 F8でISO2500
EOS R5に変えて 同756mm 1/800 F8でISO4000
さらなる探求の成果が一端だとしても見つかっていくのかもしれません。
アイスを食べながらの大砲ごっこを過ごした後は、
坊主ヘアスタイル希望を抱きながら、美容院へ向かいました。
写真から半月少し経ったこの九月半ば、小学校の友達も遊びに来てくれてプラレールも大活躍のひのき舞台を走れて、
これから約六年間、アウトドアにオフロードと、行くことができれば幸いです。
このブログを記している日からたった20日前の髪型ですが、懐かしくすら思いつつ、
相談の結果、坊主は避けて、しかしベリーショートというのでしょうか、かなり短めにしてもらいました。
と、さらに10日ぶりぐらいに筆を進めると、もう一か月前の出来事になりつつあるこのとき。
我が家のリゲル氏、いろいろ異なる名前で呼んできていますが、ロドリゲス氏、山下?、太郎?などありつつ、最近は「はるひと?」「誰だよそれ」とオリジナルからよりかけ離れた名詞が家族内でじわじわ笑いが来ていました。
経営の特に根幹に関わるような、たとえば社の方針や戦略を考える作業をなぜ戦略コンサルや大手コンサルにアウトソーシングする大企業があるのか。
全社的に説得力を高めるコンセンサスもどきという形を作りたい場合含め、それをアウトソーシングしてしまうのであれば、経営者は不要であり、社長失格だとも考えますが、後継者の中には非常に有能であっても不遇にもトップの素養としては不適任でそれができないケースが常に点在するのがまた世の常であり、そこにニーズがあり、という関係性なのだと思われつつ、
図式としては似ているところがなくもないのが家庭内での「笑いのアウトソーシング」かもしれません。テレビでお笑いを観る、釘付けになる、という行為なのではないかと思わなくてもありません。
やがて、家庭内で笑う、笑わせるということを芸人殿に頼りきるようになり、家族間の会話もそれが多くなり、
家族間での笑いが生まれる会話が少なくなる一方で、家の中で笑うことはさも「テレビをみて」「お笑い芸人をみて」することである、という刷り込みともいえることをもって昭和、平成と歩んできた気がします。
笑わせる、ということにおいて、芸人の世界において先鋭化が進み、プロ中のプロという世界観が形成されていき、日ごろから笑わせることばかり考え、鍛えて、プロ同士で磨き合い、研究を進めているわけですから、
笑いのコンビニ、笑いのファストフード、笑いの創作居酒屋辺りまでグループ化されていき、
家庭内にいるど素人が「笑わせる」で敵わなくなっていき、
家庭内で笑わせ合うことがなくなり、さらには会話まで少なくなっていき、という文化の流れがあったのではないかと総括をしてみました。
そうやってテレビを観る以外では、家から笑いが消えてしまったという俯瞰要素があった気がしなくもなく、さすれば「お笑い芸人の功罪」があったかもしれず、この点を認識反省し、
芸人殿に頼るのではなく、という意識から始めて、家庭内で笑いを生産することに回帰してみようと考えてみるのも一つなのではないかと思ってみる次第です。
笑いのプランニング、笑いの生産管理、笑いの販売まで内製し、笑いのワンストップ戦略です。
しかしそれらよりも狂的に恐ろしいのが「スマホの功罪」といえ、習性にまで入り込んで、
何をするよりもスマホ、何をしていてもスマホ、と片手と視線、そして脳が支配され続ける最新の昨今が続いていくことに憂慮も意識しつつ、この頃連日毎日5匹前後のふ化が見られた時期でした。
悪気はないながらに、子供よりスマホ、子供と会話するよりスマホ、子供の目を見るよりもスマホ、子供を抱いて寝るよりもスマホを握りしめる、という中毒を刷り込まれ、
ゆえにこれを意識して、スマホは置いて出かける、多少リアルタイムな渋滞が分からなくとも、渋滞も思い出くらいに思い、トレードオフ的に、本来の大切なものを取り戻す、という日があってもよいかもしれません。
我が家のGIジョー氏、2歳の頃にここを渡っておじさんに褒められたことはまるっきり覚えていませんでした。
久しぶりにこの公園に付き合ってくれましたが、後ろ姿も成長を思います。
最たるに発がん性物質の一つである、といっても差し支えない糖類を市場へ過剰に供給し続け膨大な成人病を生む各種飲料メーカー群、
夏場に段ボールに汗ひとつ落ちても、長距離トラックのドライバーに買い取りをさせ、実物は渡さず倉庫内で配布したりするそうですが、諸外国では考えられないことが習慣化しており、大人のいじめとも言えそうで、
そういう方々はCMでは綺麗な女性を使い浜辺を走らせて消費者に訴求し、それを家の夕食時に家族に誇り、大手メーカーというベールの鎧も纏いながらそこで働く人はSNSでまたぞろ美しい人生観を展開しているのだと思いますが、
しかし裏ではそのようなことになっているとyoutubeとそこに書かれたコメント群で知り、まだまだ知らぬことばかりですが、
そのような不条理も少しずつ是正されていくことを願うばかりです。
他方で、時に人を極限まで追い詰めるネットでの誹謗中傷という社会問題。
いい歳をした大人が、自分への批判は微塵も許さないながらに、他者が他者を批判するのは批判しつつ、自らは批判し、
などを矛盾にすら思わず、という風潮は段々と変わっていき、
中学生の頃にとある芸能人につき「うちの親戚なんだぜ」という自慢をしていた同級生は、
それから20年ほど経って、ネットの広がりで結果として、在日の血であることの告白となってしまう性質に変わっていきましたが、
今されている書き込みは、これから先あとになって遡及的に誰が書いたか広く分かる日が来るやもしれません。
文章や語彙の傾向、趣味趣向、年齢、性別、地域、行動パターンでだいぶ絞られ、これがまるで地球上の飛行機や風の向きが誰でもいつでも分かるのと同じように、見えてしまう日が来るかもしれません。
誰か分からないから、という匿名性だけで、好き放題人を誹謗し、
もしくは顕名をしていても、あるいはメーカーを批判したり何を言っても許されるということは対面でもないわけですので、それがネットでなら許されるということもなく、今後このあたりのネット倫理とそのリテラシーが進んでいくのかもしれません。
そうまでならないとしても、コロナでJR東西という強靭に固いインフラまでもビジネス上の脆弱性が露呈され、はたまた将来的に家庭において発電と蓄電が行き届くテクノロジーが広がれば、電力会社という岩板も崩れかねないほどに、時代は変わっていくのだと今般思いましたが、
大人ですらSNS疲れという言葉があるほどの中に、子供のときからSNSで繋がっていくこの時代、多くの子供達の大変さも思う次第です。
と、激動が続きながら、ブーメランの性能も向上する昨今、そのようなネットリテラシー教育も必要な時代なのかもしれません。