
4月10日、今回はこの旅一番と言える目的地へ向かいます。 相当な覚悟で臨むつもりです。
垂水から指宿まで鹿児島湾をグルッと周るルートは約200Km、旅中で一番短い行程だけれど特に時間を掛けたい場所があるので。
『いつか』がやっと叶います。
それでは心してスタートしましょう。
朝6時の“道の駅・たるみずはまびら”

ここも新しい道の駅で、広大な面積の駐車場でした。
フリーのWi-Fiの感度も良く、昨晩はネット動画を見ながらいつの間にか寝落ちしていました。

TV受信も良好で、それを見ながらの朝食も相変わらず食べ過ぎです。(笑)

スタート前に少し散歩。
これから向かう桜島が見えています。

お世話になりました。 午前7時にスタートです。
コンビニが併設されていて、とても便利な施設でした。

走行30分して“道の駅・桜島”へ立ち寄りましたが、小さな道の駅でまだ営業前だったのでトイレ休憩のみでした。

その少し先で停車しているのが

“霧島錦江湾国立公園” 駐車場にcw号を止めたら散策しましょう。

“桜島”の端に在る公園で、とても整備の行き届いた綺麗な場所でした。

足湯が有りましたが、それほどゆっくりできないので撮影のみです。

桜島フェリーがやってきました。 鹿児島市内がすぐそこに見えています。
対岸までは約10分で行けるそうですが、cw号はあくまで海沿い走行を優先しました。

“桜島”を時計回りに走行して“道の駅・たるみず”で休憩。
ここも眺めの良い場所で鹿児島湾の奥の方、霧島方面を望めます。
この日は日曜日だったからでしょうか、マスツーリング(50台以上)のバイクが休憩していました。

“霧島市/姶良市”を通過して先ほどの公園の真向かいまでやって来ました。
今日は桜島のご機嫌はよろしいようで。

鹿児島市内でcw号を駐車します。
近辺に青天井のパーキングが見当たらなかったので車高が高いクルマだと苦労するかも?
cw号は2.1Mに抑えているので問題無し。

地下から階段を上がればすぐの所にいらっしゃいました。
軍装の“西郷隆盛像”です。
上野にいらっしゃる西郷どんより頭でっかち? (失礼!)

ちょっと高い場所にいるので近寄れません。
真下の歩道からだと画角が悪いですね。

手前の歩道に撮影広場が有り、そこに西郷さんの愛犬“つん”君がいました。
かなりリアルに出来ています。

ここだと“つん”君なめの西郷さんを撮影できるので、横の詰所に居るボランティアさんに撮影してもらえるそうです。

ここでボランティアさんとお話少し。
これから観光客が撮影してもらう様です。
僕は手前のおばさん(聞いたらほぼ同じ歳)とお話、近所のお勧め店を教えて頂いたのでそこへ昼食取りに向かう事に。

当初はもう一つ先の目的地でお昼にするつもりだったけれど、昨日頑張って一つ先の場所で宿泊したので鹿児島市内でランチ出来ました。

アレッ? これって東京にもあるのでは?
あまりまぜソバ”が好きでは無いので“味玉醤油ラーメン”にしました。
僕好みのあっさりスープのラーメンで美味しく頂きました。
しかし鹿児島ラーメン(あっさり豚骨)か黒豚とんかつでも良かったナ。
きっとさっきのおばさん、その辺は食べ飽きているから?
あの、僕は観光客なんですけど・・・。 ま、いいか。(笑)

地下駐車場で待つcw号に戻ります。
なんか、久々の都会ってカンジ。
この後に給油しました。
429Km走行して28Lの給油だったので15.3Km/Lです。
どんな走り方をしてもいつもこの位の燃費、もう記録するのも無駄な位に変動無し。(笑)

鹿児島市内で久々に大勢のクルマに囲まれながらに走行し、しばし海岸線を離れて40Kmを1時間でやってきました“知覧”へ。
ついに来る事が出来ました! “知覧特攻平和会館”

入館前に見ることが出来る戦闘機は一式戦“隼”です。(米軍ではオスカー)
先日の“紫電改”(ジョージ)とは違ったライトウエイト感が有って、とても好きな機体です。 この機は左翼下に燃料増槽、右翼下に爆弾を抱えていました。
悲しい乗り物ですね・・・。

映画の為に製作された三型甲のレプリカで、雨晒しにされている割には綺麗な状態でした。 複列14気筒の片側7本の排気管と下部空気取り入れ口が確認できます。
こちらの知覧は陸軍で、海軍の方は“鹿屋航空基地史料館”の方。
し、しまった! こちらの方が余りにも有名な為、うっかり見過ごしていた事に気がついても後の祭り・・・。 次回は是非っ!

記念館へ向かう道。 歩いていると既に込み上げて来る気持ちが。

“特攻平和観音堂” まずはこちらでお参りしました。
左に特攻隊員1036人の英霊芳名が刻まれた石碑が有ります。

いよいよ入館です。
コロナ対策はバッチリ、検温/消毒/記帳して¥500でした。

館内の撮影は入ってすぐのココとその先の零戦のみでした。
モニターにて貴重な資料映像が紹介されています。

これは海軍機の“零戦”(ジーク)です。
そう、父に聞いた話では当時『ゼロ』は敵性語だったので『れい』と呼んでいたとか。

やっぱり“れいせん”が正式のよう。

撃墜されたのでは無く、エンジントラブルによる不時着水だったそうですが、海底で35年の月日で機体後部が無くなっています。
この他に撮影出来なかったけれど、“一式戦・隼”や“四式戦・疾風”(フランク)が展示されています。
特に“はやて”は先日の“紫電改”とならぶ陸/海のハイパワー重戦として双璧ですね。 一番沢山プラモを作った思い出が有ります。
ちなみに独軍機ではFW190(特にD型)です。
と、ヒコーキ少年がワクワクしたのも束の間、時間割で行われる語り部による講話を聞く頃には悲しい気持ちが込み上げて来ます。
全てのモニター映像や展示品を見て回り、隊員全員の遺影を一人残らず見ている内に溢れてくる涙・・・。
両親や妻子に宛てた遺書も残らず読みましたが、当時の若者が達筆だった事に驚きました。
もう鼻水でグショグショになるマスクは3枚目です。(覚悟して持参)
悲しい歴史ですね。年配の方はだけでは無く、若い人も皆泣いていました。
遺影を見ている時、横にいた若い女性3人組(結構若い人が多かった)の話声が聞こえて来ました。
「韓国の人も戦ってくれたんだ」遺影下に記された名前を見た様です。
丁度目が合ったので「当時は韓国と言う国は無くて、皆日本人として戦ったんだよ」に「へぇ〜、そうなんだ」 3人揃って「おじさんありがとう」
お爺さんでなかったのが救いでしたが、日本の教育もっとちゃんとしろよ。
すでに3時間も経っています。 玄関外で一礼して記念館を離れました。

走り出して途中のここにも立ち寄りました。
特攻兵の最後の日々をお世話をし、戦後には遺族の方々の為に尽力した『特攻の母』鳥濱トメさんが営んでいた“富屋食堂”です。
映画『ホタル』に登場していて現在は“ホタル館 富屋食堂”として資料館となっています。 映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』でも舞台になっています。
この時でもまだ悲しい気持ちを引きずっていたので拝観しませんでした。

当初の宿泊予定地だった“道の駅・喜入”に立ち寄りましたが、なんか他の公共施設を無理矢理に道の駅にしたような感じがしてちょっとガッカリ。
温泉も有るで予定していたけれど、それもあまり綺麗そうでなかったので飛ばして正解だったかも。
でここは“道の駅・いぶすき 彩花菜館 (さかなかん)”です。
とても見晴らしの良い綺麗な施設でした。

また恋人の聖地ですかっ! 恋人もアチコチ大変だ。(笑)

本日の入浴はここ“指宿こころの湯”にしました。
指宿と言ったら砂蒸し風呂でしょうが、なんか一人では気が引けたのでこちらに。

ほほう〜、第7位か。 微妙な順位ですけどネ。(笑)
あ、九州圏内では1位だ。

さすが評判のスーパー銭湯です。
色々な種類の浴槽や数種のサウナも有り、ぬるめのお湯でゆっくりと浸かれました。 なるほど、近ければまた行きたいかも。
セットの料理はボリューム少なめだったけど味は及第点でした。
その後に15分走行して宿泊地“道の駅・ 山川港 活お海道 (いおかいどう)”に到着しました。
とても心揺さぶられる1日だったので中々寝付けず、午後12時近くまで悶々とした夜となりました。
○立ち寄り道の駅
桜島
たるみず
かわべ
喜入
いぶすき
山川港
○ハイタッチ 無し (日曜日だったのに みんカラ人気無し?)
※ 走行距離198Km 計2394Km
この旅メインの目的地を訪れた訳ですが、鹿屋基地の方をスルーしてしまった事に気が付きとても心残りです。 タイトル画像の赤丸印。
『いつか』が又増えてしまいました。 【~_~】