ちわ、皆様お久しぶりでござます。お元気ですか?(cv.井上陽水)
HUACの中で未だに最多の肩書き(やはりほとんどが不名誉称号)を持つ、車両担当泣かせのアクセル踏みちぎり、部車破壊神、スピセンボルトねじ切り王、ミッションベアリング圧砕おじさん、ツイ廃、HUACのサニーの人こと中島です。
みんカラでお目にかかるのは、この前のジャガーの整備以来ですね。
もうこの自己紹介を書くのも最後になるのか…としんみりしております。
大分存在を忘れられていそうなので、改めて長ったらしく自己紹介させていただきます。
どうかお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
【名前】
名前は中島宗一郎と申します。
宗一郎という名前でピンと来た人も多いかと思いますが、名前は僭越ながら本田技研工業の創業者、本田宗一郎からいただいています。なのに愛車は日産、まことに恐れ多いです。なので誰か自分にプレリュードかインテグラかシビックを恵んでください。

富士スピードウェイのホームストレートに立つ中島
元々父親が車好きで、ワンダーシビックやAE86レビン、A31セフィーロなどに乗っていたらしいです。
色々なメーカーの車に乗りながらも、やはりホンダ車がいい。ということで宗一郎という名前をつけたみたいです。
ふりがな書く時大変ですけど、名前自体は非常に気に入っています。良い名前をありがとう。
【出身地】
出身は神奈川県の横浜の東の方です。
ハマっ子なので当然横浜市歌を歌うことができますし、公立小学校出身なので、6年生の時に日産スタジアムに集められて謎のダンスを踊ったりもしていました。
【車好きになったきっかけ】
自分の車好きシーズンは主に2期に分かれます。
1期目は幼少の頃。
当時一番好きな車は、父親の影響からワンダーシビックでした。
私の父親が見せてくれた初めての車、それはワンダーシビックの写真で私は0歳でした 。
その車は赤くて角張っていて、こんな素晴らしい車を見せてもらえる私は きっと特別な存在なのだと感じました。
今では私が上級生、後輩に勧めるのはもちろんワンダーシビック。
なぜなら、彼らもまた、特別な存在だからです。
その後小学生から高校2年の頃までは車から離れていましたが、高3の時に展示車両の70スープラを見て一気に車熱に目覚め、気がつけば自動車部に入っていました。
【学部学科】
自分は文学部の史学科に所属していて、西洋現代史を専攻しています。
卒論必修のこの学部である以上、卒論を進めながらの部活をやる一年、頑張っていきたいです。
卒論テーマは1960年代の西ドイツにおける政治史を扱おうと考えています。

キャンパス一番の目玉であるボアソナードタワーの26階からは、都内はおろか果ては丹沢山系や富士山まで…関東平野を一望できます。

市ヶ谷キャンパスの魅力は都内の大学でも随一に新しい校舎が林立するキャンパスです。
このように夕方〜夜の時間帯はライトアップされてます。
【出身校】
自分はHUACの中"では"名門
(要検証)と名高い法政大学第二中高等学校出身、誇り高き我が母校です。
気がつけば早いもので、自分は今年で法政10年目になります。
悔いが残らないように、残りの1年を駆け抜けていきたいです。
【部内での役職】
自分は主務と書類責任者を兼任しています。
大学の方や、自動車部を統括する組織との連絡、書類の作成,提出の他、大会エントリーや会議への参加など…目立たない仕事ですが、大会やイベントが終わった時に皆が充実した顔をしているのを見ると、非常にやりがいを感じます。

部員が誕生日プレゼントで贈ってくれたTシャツ
とても気に入っています。イラストはHUACのデザイナーこと伊南です。Thank you!
【個人車】
自分は日産のサニーという車に乗っています。
ご存知の方は、、そう多くはないと思ってます()
B15と呼ばれる型に乗っていて、自分のは前期型です。
中島は2001年生まれで、サニーは1999年生まれ。
車の方が歳上ですね。
これは自動車部あるあるで、3年の渡邉君のように車の方がオーナーより10歳近く歳上、ということもたまにあります。

3月末をもって遂に閉鎖された石岡総合運動場で撮影されたサニー
白ボディの車っていいですよね…
【最後に】
入学された新入生の皆様、おめでとうございます。
今入部を検討している方も、車詳しくないけど気になっている方も、今この記事を見た方も是非一度見に来てください。
自分も見学して入部を決断したものです。
百聞は一見にしかずですよ。
入部して後悔する、ということは無いのかなと思います。
もちろん時として厳しい経験をすることもありますし、大会などで悔しい思いをすることもあるでしょう。
選手になれるのはごく一握りの部員なわけで、選手選考に通らなければサポートメンバーに回る構図は基本的にどの部活とも共通していることであると考えています。
自分は2年の時に多くの大会で選手として出場させていただいてから3年でサポートに回った身ですが、サポートの側に回ったことで新たに得られた経験や知見もありました。
競技車に乗って試合に出る選手だけではクルマのコンディションを十分に保つことができないですし、かといって整備はできても走るのが苦手なサポートメンバーだけではクルマのポテンシャルを最大限発揮することはできません。
総ての部員が異なる役目を持っていて、各々の仕事が達成されてはじめて大会で結果を残すことができるという点は、他の部活動とも共通することであると考えています。
皆の努力が大会で結実する瞬間というのは、何事にも替え難い達成感があるものです。
大学で過ごす4年=1,400日近い日々、授業や単位、バイトに恋愛、人間関係、3,4年になれば就活などなど…その時々に大学生らしい悩みや壁にぶち当たることでしょう。
しかし大切な仲間たちと時に笑い、時に悩み、対立し、涙し、互いに励まし合いながら勝利に向かって努力していく自動車部での経験は、人生の壁を乗り越える上で示唆的な力を持っていると考えています。
そして何よりも自動車部での経験や思い出は一生の宝になると信じてやみません。
それでは自動車部でお待ちしています。
以上中島がお送りしました。
シタ