先日寝る前にiPhoneを落下させてしまい、ディスプレイが死んでしまった.
Bluetoothイヤホンで着信はできるのだけど発信を含むいっさいの操作ができない.
機種変更に適したタイミングだったので新機種に変更してしまった.
これはiPodtouch.
当時から素敵なパッケージングだ.
10年前、iPhoneが世に出た時は興奮した.
Appleの携帯電話である、興奮しない方がおかしい.
しかし日本では発売されず、あきらめきれずにiPod Touchを買った次第.
マップの画面をスワイプするとページがめくれる演出、
これを当たり前にしてしまうのがAppleだった.
iPod touchでははWi-Fi下において「話せないiPhone」を経験する事ができた.
不思議なのはGPSが生きてナビとして使えた事.
カナダのオタワでは地図データをDLできルート案内もしてくれた.
このサービスは都市部に限る.
無事目的地に到着.
iPhoneではないのに、だ.
バンクーバーの空港では制限付き無料のWi-Fiが使用できた.
このWi-Fiで初めてお椀にカレーを盛った人のブログを見たのだ.
とある偉大な方に「面白い人がいますよ!」
と画面を見て頂いた.
「これは何をやっとるのかね」
とのお言葉、文句なく賛辞だった.
なにもかも、素敵な時代だった.
当時のMX-5だ.
見よ、この美しいデザインを.
ロードスターがエバーグリーンの美しさを堂々とみずみずしくたたえている.
あれから世の中も人も、クルマのカタチもずいぶんと変わり果ててしまったものだ.
帰国してまもなく、日本でもソフトバンクがiPhoneを取り扱う事が決まった.
俺はもちろんDoCoMoの携帯から乗り換えた.
孫氏がジョブスと会見してどんな条件を交わしたか知らないが、先見の明があったのだと思う.
逆にiPhoneを見せられて「こんなものは日本で受け入れられない」と吐き捨てたのはDoCoMoの社長だった.
「自分が気に入らないだけだろう」
DoCoMo様は一生iPhoneなんか扱わなくて良い、と思った.
iPhoneとは、目と耳と声とGPSと言う感を持ち世界に繋がっているツールだった.
なにか、とてつもなく素晴らしい明日をもたらす未来のツールだった.
その感動は今でも強く印象に残っている.
ある友人に「なんだこれ、電池替えられないのか」
と言われた時は、Appleを決して受け入れられない人は多くその方が主流なのだと思った.
AppleはマイノリティだからAppleだったのだ.
その感動から10年以上が経った.
いまやスマホは常識、iosの操作とデザインはサムソンが真っ先に真似て、いまや誰もが当たり前のように使ってる.
もはや誰もiPhoneがオリジナルとは知るまい.
もう「スマホのフタを開けてバッテリーを予備に交換する」なんか誰も考えないでしょう.
当時のPhoneはパソコンを所有していないと売ってもらえなかったのに.
スマホはファーフェイなんかがトップシェアになり、Appleは7パーセントくらいに落ちればよいと思う.
それに従いさらに高価になり、機能性能以外にコストをかけて普通の人は選ばぬ機種になったら言い.
ポルシェとプリウスが競争する事はないでしょう.
案の定、高価になったiPhoneは売れ行きが良くないらしい.
それでいい、高くても欲しい人が買ったら良いのだ.
ファーへーの方がずっと安くてできる事は同じで良いのだ.
ライカのカメラがついてるなんてすごいと思う.
残念だがAppleに他社のロゴがついて価値が上がるなどあり得ないのだ.
待ちきれなかったiPodtouchから10年、3、4,5,6,7,と経てXsになったわけだが私の感動の度合いは年々小さくなっている.それでもまだ、あれとは違ってiPhoneにはAppleらしさは多く残っていて肌身花澤香奈である.
Posted at 2019/01/31 21:21:47 | |
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