ソロキャンプ編からの続きです。
これでこの旅最後の記事となりますが、今回かなりの長編になりましたので・・
最初の記事から見られる場合は
こちらから行けますのでよろしければご利用ください。
キャンプ場を出発して直ぐに気になる看板が目に入ったのでUターンしてみると
我が地元にもゆかりのある神武天皇の碑があるようなので
階段を上って行くと
戸柱神社という神武天皇にゆかりのある神社がありましたので
参拝し
先ほどの
神武天皇御発航伝説記念碑を見て来ましたが
大和地方平定のため、柏原港から出港したとされる初代神武天皇の御発航記念碑なんだそうです。
横には古そうな灯篭らしきものがバラバラに・・(汗
階段を下って出発すると
また気になる石碑が目に入ったので
Uターンしてみると
東串良町役場近くにあるこの戦没者慰霊碑は、日清戦争から大東亜戦争までに戦死した町出身者の陸軍309人、海軍124 人、計433人もの御霊が祀られており
祖国のために尊い生命を捧げた英霊に心から敬意を表し
その志を受け継ぐべきことから戦後70年の節目の年に
慰霊殿跡地に建立したものなんだそうです。
偶然にも出会う事ができた慰霊碑と名碑に刻まれている英霊に手を合わせまして
次の目的地へ
到着です。
ここは鹿屋市の海上自衛隊基地内にある史料館でして
陸地にありますが海上自衛隊の基地なので・・・海自らしく中には戦艦比叡の主錨をはじめ
退役した海上自衛隊の航空機などが展示されてまして
ここはもう何度も来ていますが
せっかくなので
史料館へ立ち寄ってみます。
まずは3分程のビデオを観まして
撮影可能な
1階にある
資料に
目を
通します。
ここには世界で一機のみしか現存しない
二式大型飛行艇が
展示されているのが
目玉なので
改めて
じっくりと見てみますが
目前にあるのが世界で唯一の「二式大型飛行艇」です。
シンボルであるステンドグラスを眺めながら
二階の展示フロアへ
ここは
零戦のみしか
撮影できないので
改めて
じっくりと
見て
みます。
別々の海底にバラバラになって沈んでいた二機を
一機にまとめてレストアしたものなんですが凄い技術ですね。
再び一階へ降りると
自衛隊の
展示スペースと
なって
おりまして
次は外に展示されているものを見に行きます。
これは我が地元の門川町沖合で見つかった
紫電改のエンジンなんですが
遠見山の山頂にある
「
太平洋戦争日向灘空域戦没者鎮魂碑」 が建立されるきっかけになったものなんですよね。
様々な海域で墜落した機体のプロペラや魚雷の展示に
こちらは
戦時中に使われていた国旗掲揚台です。
敷地内も見どころ満載ですが
ここは何といいましても
この
二式大型飛行艇が
目玉で
圧倒的な
存在感を
放って
おりますが
当時アメリカ軍指揮官も「飛行艇技術では日本が世界に勝利した」と賞賛した
日本が世界に誇るこの技術は
何と現代でも同じ会社が存続し退役したこちらの機体US-1や
現役のUS-2に受け継がれているという事を想うと感慨深いものがありますね。
という訳で久し振りに「二式大型飛行艇」を見る事ができたので
鹿屋航空基地史料館を後にして
帰路に着きますが・・せっかくなので串間経由で山道を走りながら帰ろうと向かっていたら雨が降り出したので慌てて進路を最短ルートに変更しまして(汗
何度も降ったり止んだりを繰り返しながら川南町まで戻って来るとやっと雨が止んだので、旧陸軍落下傘部隊の給水塔に寄って近くのラーメン店へ到着するもまた雨に追いつかれ(涙
食事を諦め慌てて出発。日向市に入ると雨もあがったので
地元の美々津町にある「日本海軍発祥之地」碑を経由して
日向市内の協和病院へ。
ここは戦時中富高海軍航空隊の基地があった所でして、滑走路の一部が残されており
当時は真珠湾攻撃に備え空母「赤城」の艦載機がこの地に集結し猛訓練を行ったという、歴史的にもとても重要なところでありまして
その後戦況が悪化すると「神風特別攻撃隊」の出撃地(知覧や鹿屋基地への経由地)となり・・
敷地内にはいまでも空襲で受けた爆撃の痕が残されていますが・・・
協和病院様による保存活動に心から感謝ですm(__)m
※夏に慰霊祭が行われており、海上自衛隊の方々も毎年慰霊に来られています。
という訳で旅の最後は地元に残る戦争遺構で〆まして←そうこうしてたらまた雨が降って来た(汗
結局鹿屋から日向市まで雨雲と競争しつつも何とかずぶ濡れになる事も無く、14時過ぎに無事帰宅する事ができました。
今回は観光メインでしたので走行距離は2日間のトータル470.9kmと少な目でしたが
今回の旅でグロムの積算距離が19000kmを越えたので←まだ納車後一年ちょっとなんだけどw
次は10回目のエンジンオイル交換をしなければです。
今回も急遽決めた旅程ではありましたが以前から気になっていた所を全て巡る事が出来たのでとても充実した旅となりました。←実はこの旅のブログをupするだけで約8時間以上も掛かりましたがw
来週こそは自宅でゆっくりと過ごそうと思いつつ・・・
今夜は(も?)旅の思い出を肴に飲みますかね♪
おしまい
Posted at 2018/03/18 23:21:04 | |
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大東亜戦争・戦跡・史跡・歴史探訪 | 日記
2018年03月17日
鹿屋市の戦争遺構編①からの続きです。
予定より時間が押していたので急遽巡る順番を変更し次の目的地へ
到着です。
ここは見学時間が16時まででしたので
何とか20分前に到着できて良かったです(汗
ここは海軍航空隊岸良基地跡に残る
地下壕第一電信室跡でして
何と
内部が
見学できるので
早速中へ
入ってみます。
壕の中には
地下壕の見取り図と共に
音声ガイダンスがありましたので
興味のある方は動画をご覧ください・・・
この
壕の中で
串良基地から
飛び立って行った
若き特攻隊員の
最後の
瞬間を
聴いて
いたんですね・・・(涙
戦争は
もう二度と
起こしては
なりません。
当時に想いを馳せながら
外へ出て来ると
のどかな風景が広がっており・・・
今の平和な暮らしは先人達の多大なる苦労と犠牲の上に成り立っているという事を現代に生きる我々は決して忘れてはなりません。
改めて地下壕全体の様子を眺めてみると戦時遺構としては珍しくとても綺麗に整備されており驚きでした。
残された戦跡を後世へ伝えるべく大切に保存している鹿屋市に感謝しつつ、次の目的地へ向かいまして
到着です。
ここは
海軍航空隊
笠野原基地跡にある
川東掩体壕です。
酷く傷んでいますが空襲の痕跡でしょうか?
掩体壕は
我が地元にも
残っていたのですが
区画整理事業の為
取り壊され
今ではこのように欠片がモニュメントとして残されているんですよね。
宮崎市内にも多数残されているので比較的目にしやすい戦時遺構です。
続きまして次の目的地へ
到着です。
ここは
旧笠之原海軍航空基地跡に残されている
地下道入り口跡です。
機銃掃射の跡でしょうか?
あちこちに痛々しい痕跡が残されていました。
そして次の目的地へ向かいまして
滑走路跡と思われる直線道路を走って行くと
到着です。
本日最後となる地は
串良平和公園です。
ここは神風特別攻撃隊の基地として使用された「串良海軍航空基地跡」でありまして
敷地内には
一般攻撃隊と
神風特別攻撃隊を
祀る
慰霊碑が
建立
されています。
滑走路跡の直線道路は桜の名所とされているようでしたが
少し早かったのでまだチラホラとしか咲いていませんでした。
こちらが慰霊塔で
手前に建てられている
灯篭に目を潤ませながら
慰霊碑のもとへ
到着です。記帳してから
慰霊塔に手を合わせ
串良海軍航空基地出撃戦没者の
名簿に目を通して・・
平和公園を
後にします。
ソロキャンプ編に続く
Posted at 2018/03/18 21:37:51 | |
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大東亜戦争・戦跡・史跡・歴史探訪 | 日記
2018年03月17日
軍国酒場編からの続きです。
ドライブイン薩摩隼人を出発しまして
錦江湾と
桜島を眺めながら
しばし走って次の目的地へ到着です。
ここは金浜海岸にある「進駐軍上陸地の碑」でして
この碑の
直ぐ近くにある
海岸に
進駐軍アメリカ海兵隊が
戦後初めて本土上陸した地です。
当時、鹿屋の多くの人々が進駐軍を恐れ
山間部に逃れたと言われているそうです。
参考までに上陸時の画像です。揚陸艇から最初に上陸したのはブルドーザーだったようです。
当時に想いを馳せながら
次の目的地へ向かいまして
到着です。
ここは
高須海水浴場でして
海水浴場の脇に
米軍の本土上陸に備え
作られた
トーチカが
ありました。
銃身を出すには小さな覗き穴です。
付近には
当時のものと思われる跡や
お地蔵様が。
近くの磯場には
鳥居がありまして
展望所からは開聞岳や
桜島を
望む事ができました。
実際には戦後先ほど訪れた金浜海岸へ
進駐軍が上陸したんですね。
当時に想いを馳せながら次の目的地へ向かいまして
到着です。
ここは
野里国民学校跡でして
戦時中は
人間爆弾・桜花作戦を行う
神雷部隊の特攻隊員達が
出撃を待つ日々の中で
暮らして
いたという
所で
当時の
国旗掲揚台の
一部が
残されていました。
↓画像右側に見えますね
ここから戦地へ向かって行った
特攻隊員達を見送っていたんですね・・
次の目的地は
桜花の碑です。桜花とは通称「人間爆弾」と呼ばれ単独では飛行することができない為、特攻隊員が乗り込んだ後に
一式陸上攻撃機の腹部に搭載し、離陸後上空で切り離しジェットエンジンに点火して高速で敵艦に突撃するという
凄まじい特攻兵器ですが、実際には重すぎて離陸するのもやっとの状況だったらしく
その多くは敵艦へ突入する前に撃墜されてしまったそうです(涙
さぞ無念だったであろう・・と、慰霊碑に手を合わせ
次の目的地へ向かいまして
到着です。
ここは
小塚公園(旧鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者慰霊塔)という所で
鹿屋基地から出撃し命を落とした特別攻撃隊員908名の御霊を祀る慰霊塔がありまして
銘板には戦没者908名が刻まれており
桜の花咲く4月に慰霊祭が行われているそうです・・・
慰霊碑に手を合わせ
次の目的地へ向かいます。
その②へ続く
Posted at 2018/03/18 21:01:03 | |
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大東亜戦争・戦跡・史跡・歴史探訪 | 日記
2018年03月17日
戦史館編その②からの続きです。
「戦史館」を見学し終えて降りてくると隊長から誘われて食堂の二階へ。
怪しげな扉の向こうには・・・
ボガーン!
な、ナンデスカコレハ!?(驚
隊長に勧められるがままにソファーに座ると、コーラをサービスして頂きまして(恐縮
凄まじい大音量で
軍歌を流してくれました!(喜
動画を撮ってみましたので興味のある方はご覧くださいw
個人的には軍歌や
戦時中の歌は同期の櫻や
海ゆかば、軍艦行進曲位しか歌えませんが、実はこのお店
天文館で54年間「軍国酒場」として営業してこられた頃に
↓当時の隊長
お店の中に展示してあったものを
↓当時の奧さん(素晴らしすぎて涙が出そうですw)
そのまま持って来て
去年テナントビルの取り壊しの為に
閉店したお店の
代わりに
「軍国亭」として
軍国酒場を
復活
させた
そうで
当時は
戦争体験者(元軍人)の
方々に
戦争を
語り合える場を提供したいと始めたお店で、入店すると「一名入隊!」と掛け声をあげ
瓶ビールを注文すると「魚雷発射!」
※ちなみに焼酎は「爆弾」、ウーロン茶は「中国」と呼んでいたそうですw
暫くすると突然「食糧配給!」と大東亜戦争当時の配給と同じくジュラルミンの容器に入った乾パンとコンペイトウが出てきて、更に「鉄砲の玉、配給!」と落花生が出てきたり、最後には「手榴弾!」として茹で卵を提供していたようで、「ぜいたくは敵だ!」をここでも徹底して実践していたようです(笑
「やっせんぼは来るな!」という強烈なお店だったようですので是非行ってみたかったのですが、時すでに遅しでしたので今回その雰囲気だけでも味わう事ができて感激でした!←変態
当時は(多分今も?)飲み放題、歌い放題で2000円だったらしく、儲けよりも元軍人さん達が集う場がとても楽しかったとおっしゃっていたのがとても印象的でした。
次は車中泊で飲みに来るぞ!と心に誓いつつ・・
後ろ髪を引かれる思いで「軍国酒場」を後にしまして
ちなみに店を出る時には「一名満期除隊! ご健闘祈ります!」と、掛け声をあげてくれたそうですw
※先ほど見学した戦史館に展示されているものは戦没者の方々のものですが、こちらに展示されているものは戦前の方々の物なんだそうで、そのお心遣いがとても素晴らしいと感じました(尊敬
次はドライブインの食堂で隊長や奧さんと談笑しながら
看板メニューというから揚げ定食を注文しましたが
しまった!と思う位のボリュームに一瞬食べ切れるか不安になりましたが、大分のとり天みたいなとても柔らかくて軽めの味と食感でしたのでサクサク食べれて完食でした♪
※ちなみにたったの500円です。
隊長がサービスで珈琲を淹れてくれたので
食後の珈琲を楽しみながら談笑していたら奥さんが「隊長は昔浮気ばっかりしてた」と暴露して大爆笑でした(爆
しかしお二人共に87歳との事で、そのパワフルさには只々脱帽です。敬礼!
桜島の噴火よりもトリプルインパクトな
真面目に凄かった「ドライブイン薩摩隼人」を後にして
次の目的地へ向かいます。←あまりにも面白過ぎて2時間以上も滞在してしまいました(笑
※ちなみに隊長は国粋主義者や右翼ではなく、お国の為にご尽力された人たちをたたえてあげたいという想いでありますから、くれぐれも誤解のないよう、お願い致しますm(__)m
鹿屋の戦争遺構編①へ続く
Posted at 2018/03/18 20:05:34 | |
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大東亜戦争・戦跡・史跡・歴史探訪 | 日記
2018年03月17日
その①からの続きです。
膨大な数の
様々な
展示品も
凄いのですが
この膨大な
資料を
隊長が
たった一人で
集めたと
いうのは
只々
凄いとしか
いいようのない
もので
次の予定が
なければ
一日中
じっくりと
見てみたいと
思うほどに
凄い
もので
個人的に
戦時資料館や
戦時遺構など
今まで
多数
訪れて
いますが
私の
記憶に
ある中では
この
戦史館が
圧倒的に
ダントツで
素晴らしい
所で
あることは
間違い
ありません!
そして
更に凄いのは
一つ一つの
遺品に
説明が
書かれて
いる事です(凄
後に隊長から
聞いた話では
天文館の軍国酒場で出会ってきた元軍人の方々が
戦後GHQの
廃棄処分から
守り抜いて来た
品々ばかりだそうで
只々感動するばかりでした。
後ろ髪を引かれる想いで戦史館を出ますと隊長の娘さんから隣にもちょっとした展示品があるとの事でしたので
昔の農機具などを見学させていただきました。
軍国酒場編へ続く
Posted at 2018/03/18 19:14:15 | |
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大東亜戦争・戦跡・史跡・歴史探訪 | 日記