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てっちゃん@のブログ一覧

2017年11月03日 イイね!

新型グロムで行く 長崎の絶景と戦時遺構巡り2泊3日の旅 その②

その①からの続きです。

次の目的地へ到着です。


ここは


石原岳山頂にある


佐世保要塞の内のひとつである


「石原岳堡塁」(いしはらだけほうるい)です。


佐世保要塞とは


佐世保軍港の防備のため設置された


大日本帝国陸軍の要塞ですが


ここは


石原岳森林公園として


整備されている


珍しい場所です。


公園内にはキャンプ場もありますが夜は怖そうです(怖


堡塁には


階段で降りて行く事が出来まして


その上に


あるのが


砲台跡のようでした。


東屋から


全体を見渡してみました。ちなみにここは実戦での使用は無かったようですが、独特の雰囲気があり当時に想いを馳せながら次の目的地へ向かいます。


しばらく走って行きますと・・・


次の目的地である巨大な「三本の塔」が見えて来ました。


逸る気持ちを抑えつつ、目的地へ到着です。


ここは国指定重要文化財である


旧佐世保無線電信所(針尾送信所)でして


旧日本海軍が大正7年から11年にかけて建てた


送信施設です。


日露戦争を契機として無線連絡体制の強化が必要となり


総工費155万円(現在の約250億円)を費やして建設されたそうで


大東亜戦争の開戦を告げた「ニイタカヤマノボレ1208」を


送信した施設として有名な反面、そのことに関する資料はなく実際に送信したかどうかは不明なんだそうですがガイドさんのお話によると、実際に父がここで働いていたという人物が数名訪れた事があるそうで、「ニイタカヤマノボレ」は確かにここからも送信されていたと言っていたのを覚えていると言っていたそうです。


現在遊歩道等を整備中のようで完成したら他の塔の近くまで行けるようになるみたいでしたが、ここは以前から気になっていた所でしたので訪れる事が出来てよかったです。大満足で次の目的地へ向かいまして
※画像は電信室です。


到着です。


丁度工事中のようでこちら側からは入る事が出来なかったので


正規の入り口から入ってみます。


ここは川棚町の片島にある


1918年に開設された魚雷発射試験場跡でして


佐世保海軍工廠や


三菱長崎兵器製作所で製造された


魚雷の発射試験が行われていたそうです。


こちらの建造物が


魚雷発射試験場のようです。


ここは魚雷の調整池でしょうか?似たような施設が大分県日出町にある人間魚雷「回天」大神基地跡にもありましたが・・・


こちらの建物は


本部の跡のようですが


屋根は戦後の資源不足で鉄泥棒の被害に会った[戦艦三笠]と同じように


金属類は全て泥棒もとい、撤去されてしまったのか


屋根部分は全て無くなっていました。


ここで合格となった魚雷のみが船で佐世保鎮守府に送られていたそうで


真ん中に2本ある線はレールが通っていた跡のようでした。他にも近くに観測所が2カ所あるようでしたが時間が無かったので急いで次の目的地へ向かいまして(残念


次の目的地へ到着です。


ここは同じく川棚町にある


川棚魚雷艇訓練所跡です。


敷地内には資料館と


「特攻殉国の碑」があります。
大東亜戦争中、小串に置かれた海軍特攻隊の訓練に励み、遠く南海の果てに散った三千人もの隊員を顕彰する鎮魂の碑で、昭和42年、南海の激戦地コレヒドールと沖縄の石を使って建立されたそうです。


資料館は閉まってましたが


壁には当時使われていた用材が展示されていました。


こちらが特攻艇震洋ですが我が地元にも特攻121震洋隊の基地があったので、ここも訪れたい所だったのですが


日本が戦後1度も戦争をせず自衛隊も他国へ向けて1発の銃弾も撃つことなく平和に暮らしてこれたのは過去の戦争によって犠牲となった多くの人々の歴史の上に成り立っていることを、決して忘れてはなりません。

特攻は絶対にあってはならない事ですが当時強い愛国心と信念を持ち国の存亡を賭け散華された特攻隊員と強い愛国心を持った日本国民の存在があったからこそ現在でもその壮絶な歴史が日本という小さな国を他国からの侵略から護る最大の抑止力となっている事に感謝しなければなりません。

そして我々日本国民は戦後GHQの洗脳教育から目覚め「大和魂」を取り戻し、日本を支えてこられた諸先輩への心からの尊敬と、日本はとても素晴らしい国であるという事に誇りを持ち、全ての国民が改めて日本という国のありかたを再認識しなければならない時期に来ていると感じます。


遠い長崎の地にて様々な想いを馳せながら最後の目的地へ向かいますが


ハウステンボスを通過して


せっかくなので、あえてこのお方の会社の前を通過してw


何とか暗くなる前の17:30頃に


隠居岳キャンプ場(無料)へ到着です。本日の走行距離は460.9kmでした。


貸し切り状態でしたので乗り入れさせてもらい、夜露対策で立木の下へ急いでテントを張りグロムも立木の下へ停めまして


夕飯の準備に取り掛かります。


疲れていたので夕飯は簡単に準備しまして


かんぱ~い♪


ここは標高が高く冷え込んできたので固形燃料に火をつけて


適度に換気しながら


暖かいテントの中で一人二次会を開催しまして


時より吹き付ける突風にドキッとしつつ


飲み進んで行きまして


早々に撃沈です。

その③へ続く
2017年05月21日 イイね!

初老の夫婦で行く 巨木巡りと霧島ジオパーク1泊2日の旅 その①

今週末は天気が良さそうでしたので金曜日の日中に急遽宿をとりまして。
久し振りの夫婦旅行となりますが、土曜日の早朝から妻の首根っこ摑んで出発ですw


西米良村から湯前町へ抜けまして


最初の目的地へ到着です。


最初の目的地は


人吉市にあります、


青井阿蘇神社です。


北側から南に本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門、五棟一連の御社殿は、相良20代長毎(ながつね)が江戸時代はじめの慶長15年(1609年)から18年の4ヵ年にわたり造営したものらしく

本殿はじめ一連の御社殿がすべて同時期のものであるということは全国的に見ても大変貴重なもので、平成20年6月9日に九州内では55年ぶり、県内では初となる国宝に指定されたそうです。


千回以上にのぼる熊本地震の余震によく耐えてくれたものだと感心しつつ


次の目的地へ


向かいますが


球磨川ではカヌーのトレーニングが盛んに行われていました。


次の目的地は人吉城址です。


江戸時代末期に施された石垣の


はね出し武者返しが


我が国の築城史上でも珍しい遺構なんだそうです。


こちらも珍しい


水ノ手門跡です。


こちらは復元された堀合門といいまして


現物は別の所へ移築されており現存しているそうです。


途中にある東屋から


人吉市街地を


眺めつつ


複雑かつ


とても立派な


石垣に


感心しつつ


巨木の間を抜けて


一息つきまして


本丸跡へ


行ってみましたが


天守閣は建てられていなかったようです。


ですが当時の石垣は


しっかりと現存しており


当時に


想いを


馳せながら


見学して


行きますが


重機など無い時代に


全国各地に城を築いてきた


昔の人々の情熱と努力に驚くばかりです。


その②へ続く
2017年03月12日 イイね!

プリウスPHVで行く 都井岬海軍レーダー基地跡 遺構巡りドライブ

今日は天気予報が一転し、とてもいい天気になりましたので急遽都井岬までドライブです。


日南海岸では自転車のイベントが開催中でした。お馴染みの景色を眺めながら


港の駅めいつ へ到着。レストランで受付を済ませて開店まで物産館を見てまわったり


港の駅めいつ名物?激安爆盛りサービス満点な ちりめん屋さん で買い物をしまして


開店して名前を呼ばれてから入店。
海鮮丼定食を美味しくいただきまして


都井岬へ


到着です。


いつもは車道から御崎馬や景色を眺めるだけでしたが


ここ都井岬には戦時中「海軍呉警備隊都井崎特設見張所」があり、その遺構が数多く残されているようですので今回は扇山展望所近くまで車を乗り入れて山を歩いてみます。


まずは八十八ヶ所巡りと言われる


石像があちこちにありまして


最初に見つけた戦争遺構はこちら旧海軍の濾過槽と


貯水槽です。


こちらは


地下司令壕跡です。


中まで入れるようになってました。


壕の上には祠が置かれているのですが


なんと司令壕の通気口を利用して置かれていたんですね。


その後ろ側にも


通気口らしきものがありました。


電波塔の先まで行ってみましたが


その先には行けそうになかったので


引き返します。


こちらは白蛇神社です。


閉鎖されていましたがこの神社は兵舎跡に建てられているそうです。


こちらは


発電室跡で


中に入る事ができました。


戦後50年とありますので20年前に作られた案内文でしょうか?


発電機の基礎部分らしきものが3つありましたが内部はかなりしっかりとした状態で驚きました。


真上には


通気口らしきものが。


馬型の兵器から無数にばらまかれている地雷を避けながら


歩いて行くと


三角点らしきものがありまして


こちらは地下電波探知室跡らしく探知の任務にあたっていた壕のようですが


出入り口は土に埋もれかけてました。


壕の上には通気口らしき穴がありましたが、ここが高射機関銃の基礎の跡でしょうか?


斜面にも通気口らしきものがありまして


更に進んで


行きますと


ありました。


これは電波塔の基礎部分のようですが


特に破損している所もなく完全な形で残されていました。


その先に小高い山が見えたので


景色を


眺めながら


歩いて


行きます。


この山を登ると


都井岬の


景色が


360度


見渡す


事が


出来ました。


素晴らしい景色に


初老の妻も思わず・・


ジャンプ!(笑


しばし絶景を眺めまして


心地よい風を


浴びながら


戻って


行きます。


都井岬の戦争遺構はまだ他にもあるのかもしれませんが今日の所はこれにて終了です。


今回は戦争遺構巡りが目的でしたがせっかくここまで来ましたので


都井岬の


灯台まで行きまして


先ほど歩いてきた山の


尾根を眺めつつ帰路へ。


途中でディーラーに寄ってジムニーのランドベンチャーを注文して帰宅しました。
↑息子の代わりに代行しただけですが何気に裏山鹿~w


今日は以前からずっと気になっていた都井岬の戦争遺構巡りが出来て良かったですが、これだけ歴史的価値の高い遺構が数多く残されているのに都井岬の観光案内に無いとは勿体ないものですね。ちゃんと整備して全国にアピールすればここだけでも十分観光資源として成り立つと思うのですが(汗

ちょっと複雑な心境になりつつも今夜も思い出を肴に呑みますかね♪

おしまい
2017年03月05日 イイね!

佐伯市の史跡巡りとプチ山登りドライブ その①

今日の宮崎県の県南方面は午後から雨予報でしたがお隣のおんせん県南方面は天気が良さそうでしたので、まずは佐伯市までドライブしまして


最初の目的地 豊後・佐伯城へ到着です。以下紹介文より

佐伯城は毛利高政が築いた城として知られています。江戸時代には佐伯藩の藩庁が置かれ、明治に至るまで毛利氏12代が城主を務めました。毛利高政は豊臣秀吉の家臣として大坂城など多くの城の普請にかかわっていることもあり、この佐伯城も2万石の大名とは思えないほど立派な城でした。3代・高直のときに、山麓に三の丸を増築して居所を移しています。この三の丸の櫓門は現存する唯一の建築遺構です。佐伯城は国木田独歩の「春の鳥」の舞台にもなった城でもあり、お浜御殿が城下町佐伯国木田独歩館で利用されています。また、大手門跡から佐伯藩主毛利家代々の墓がある養賢寺へとつづく道は、日本の道100選に選定されています。


早速散策してみますが城下町だけあって学校にも立派な門がありました。


散策マップで見どころ等を確認しまして


まず向かったのは 櫓門 です。

以下佐伯市観光協会のHPより転記

櫓門(やぐらもん)は、豊後佐伯城の現存する唯一の遺構です。佐伯観光の最大のシンボルでもあります。
「佐伯城三ノ丸櫓門」として、大分県有形文化財に指定されています。


寛永14年(1637年)佐伯城の正門として創建。
上に櫓(やぐら)を設けた門の形式で、とくに城に構えられる門を総称して「櫓門」というそうですが、当時のままの状態で現存しているとは凄いですね。


櫓門の 乳鋲 です。


櫓門を通り抜けまして


後ろ側からも眺めてみました。


三の丸にあったとされる文庫跡


現存当時はこんな感じだったのでしょうか?


櫓門以外以外に現存するのは石垣のみのようですが、その石垣はほぼ完全な状態で残されているようです。


それでは 独歩碑の道 から本丸へ向けて登ってみる事にしますかね。


ここが城山の登り口ですが


カッパの銅像がありまして


カッパの手に触れてから少し離すと水が出ます とあったので試してみたら、
テッペン から勢いよく水が出て来てビックリドッキリでした(笑


それでは運動を兼ねつつ


登り始めます。


当時のままなの道なのかは不明ですが


当時からあったであろう巨木に思いを馳せながら


とても雰囲気のいい道を登って行きます。


約20分程登りますと


佐伯城址の頂上付近へ到着です。


虎口部から本丸のあった石垣が見えます。


釣りバカ日誌のロケ地とされる場所から


佐伯市を眺めます。


文豪 国木田独歩の碑がありまして


本丸の石垣を登ると本丸跡がありまして


本丸には天守台があり、当時は三重の天守が建っていたそうです。←後に火事で消失


本丸から見える景色です。


二の丸や


北の丸跡を眺めつつ


廊下橋跡を


歩いて渡って


行きまして


二の丸跡へ。


虎口を抜けて


向かった先が


西の丸跡です。


西の丸付近には


円形の窪みがありまして。井戸の跡だという説もあるようですが、よく見てみるとセメントが使われているので当時の物では無いだろうと思い、帰宅後調べてみたところ、やはり戦時中に作られた高射砲の跡だったようです。


こちらは西の丸から見える景色です。


下山は翠明の道を


歩いて下って行きますが


結構急な下り坂となり足元が滑りやすく、特に高齢者には危険なので


行きはこの道かもしくは 登城の道 から登って


独歩碑の道 で降りて来るのがお勧めかな?


という訳で麓まで降りて来ましたので


歴史と文学のみち を


のんびりと


歩いて


行きます。


時より


立ち寄って


みたりしながら


昔日の


面影を


感じつつ


しばし


観光


気分を


味わいます。


観光交流館に


立ち寄ってみたり


お寺や


日露戦争の碑などを


見てみたりしまして


お昼は以前来た事のあるこちらのお店で


美味しくいただきまして


佐伯城祉を後にして


次に向かったのは


旧海軍佐伯航空隊の


掩体壕です。


ここは私有地の中 (興人株式会社 佐伯工場内) にありますので


守衛で受付を済ませてから見学となります。


2つある内の1つは宮崎に数か所残されている掩体壕と同じく物置となってました(汗


掩体壕の近くには海上自衛隊の佐伯基地分遣隊(呉地方隊管轄)がありまして
※ちなみに戦時中に航空隊司令部庁舎があった場所に建っているそうです。


ここには用途支援艦「げんかい」が配備されており、国内に6ヶ所ある基地分遣隊の中でも、とある理由から重要な任務を担っているそうです。


造船所と艦艇のある風景はどこでもお馴染みですね。


その②へ続きます。
2016年12月04日 イイね!

午後からは

天気が回復してきたので路面が乾くのを待ってグロムでちょっと出かけまして


美々津にある「日本海軍発祥の地」碑へ。


我が町は


神武天皇御船出の地であり


日本海軍発祥の地でもあるので、ここは海上自衛隊が定期的に訪れ清掃活動をしてくれているんですよね。


ちなみに寄港していた海上自衛隊の掃海隊群は既に出港して居なくなってました。


美々津の街並みでは何やらイベントが開催されており賑やかで


そんな街並みを抜けて


神武天皇御船出の地の


モニュメント前を通過し


国道10号線を南下し「道の駅都農」でUターンしまして


往復52km程走る事ができましたが


今日は終日雨予報で走れるとは思ってなかったのでラッキーでした^^

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「[整備] #セロー250 タナックス¥オフロードタンクバッグ3取り付け https://minkara.carview.co.jp/userid/2703528/car/3734770/8387215/note.aspx
何シテル?   10/03 21:08
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