富士重工業が、2017年4月1日付でSUBARUへ社名を変更しました。
SUBARUといえば、インプレッサ、レガシー、フォレスターなどのAWDの看板クルマを擁する会社。
「それじゃ、それらのクルマを作っているメーカーの名前は?」と聞くと、普通の人はもちろん、クルマ好きな人でも、「SUBARU(スバル)」と答える人がほとんどじゃないかと思います。
私も過去、インプレッサ(GC8)に乗っていましたが、そのときに、「SUBARUの・・・」と言っていました。
もちろん、富士重工業の名前は知っていましたが、あえて「富士重工業の・・・」とは言っていませんでしたね。
逆に、富士重工業という名前を聞いてピンとくる人は、「クルマ屋というより飛行機会社でしょ?」という感じじゃないでしょうか。
今や、SUBARUというブランド名が日本のみならず国外へも浸透しているので、富士重工業のクルマという方が、なじみが薄い人が増えているのかもしれません。
富士重工業について少し調べてみると、前身は1917年に設立された旧中島飛行機製作所までさかのぼります。
1917年というと、1914年から始まった第一次世界大戦の最中にあたりますね。
その後、1939年から第二次世界大戦が始まり、益々、戦闘機の需要が高まります。
その頃、陸軍の主力戦闘機の生産を中島製作所が担い、海軍の戦闘機の生産は三菱重工業が担っていました。
富士重工と三菱重工とのライバル関係は、このころからあったことになりますね。
1945年の終戦時には、B29で工業を爆撃され、中島飛行機の製造ができない状況に追い込まれたこともありますが、終戦直後に社名を富士産業株式会社に変更します。
しかし、GHQによる4大財閥の解体命令に準ずる企業として、富士産業株式会社も解散させられます。
その後、1950年に朝鮮戦争が始まり、GHQによる財閥解体の動きが緩和され、戦争のために工場を活用する方針に軌道修正されました。
その流れで解体されていた中島飛行機が再合同されていく形となり、1953年に富士重工業株式会社が誕生しました。
ここまでの歴史を振り返ると、富士重工業がクルマメーカーというより航空機メーカーという方が自然なのも納得です。
そして、SUBARUといえば、六つの星が輝く六連星(プレアデス星団)のエンブレムを忘れるわけにはいきません。
私も何故、六つの星をエンブレムにしているのか考えたこともなかったので調べてみました。
六連星が生まれた経緯は、「富士工業、大宮富士工業、宇都宮車両、東京富士産業、富士自動車工業」の5つの会社を富士重工業が吸収合併し、その6社を一つにまとめる意味があったようです。
ちなみに、「六連星」は「ろくれんせい」と読むのではなく、「むつらぼし」と読むのが正解だそうです。
あと、SUBARUといえば、三菱のランサーと共にインプレッサでWRCを戦っていたイメージが強い人が多いと思います。
私もそのインプレッサがWRCで大ジャンプする映像を観たとき、「流石、航空機メーカー(笑)」と勝手に思っていたものです。
ブランド名がそのままSUBARUという社名になったわけですが、このニュースをきっかけにいろいろと調べてみると、SUBARUの歴史は面白かったです。
あと、SUBARUといえば、水平対向エンジン。
SUBARUのボクサーエンジンが1966年に誕生し、50年の節目を迎えます。
そのSUBARUボクサーの歴史が一目できるサイトをみると、SUBARUファンはもちろん、そうでない人も「へぇ~」って思えると思います。
↓
https://www.subaru.jp/boxer50/
SUBARU(富士重工)の前身である旧中島飛行機製作所の設立から100年、ボクサーエンジン生誕50年。
富士重工業がSUBARUに社名変更するには、非常にいいタイミングだったのではないかと思います。
Posted at 2017/04/08 20:07:08 | |
トラックバック(0) |
車ネタ | クルマ