2018年10月22日
2017年の途中から中国地区のジムカーナに参加し、2018年の中国地区のシリーズ戦も終了した今、「いつか書こうと思っていたこと」を書きます。
少し話が長くなりますので、前編では地区戦参加への経緯、後編では何故、地区戦への参加を勧めるのかについて書こうと思います。
地区戦参加の決め手となったのは2017年、中国地区に軽自動車クラス(BRKクラス)が新設されたことです。
それより以前に、「地区戦に出てみれば?」と声をかけられたことは何度かありましたが、正直、次の理由で気乗りしませんでした。
まず、エントリー代が高いこと。
「たった2回しか走れないのに、あのエントリー代はキツイ」が率直な感想でした。
また、中国地区には、当時、軽自動車に特化したクラスがなく、2駆、4駆、PN、Sタイヤ、改造クラスといったクラスに分けられているだけで、蚊帳の外感満載でした。
結果、軽自動車の2駆だと、排気量も関係ない普通車オンリーの2輪駆動のクラスに属することになるため、参加しても全くお話しにならないため、無理してでも出ようという気になれませんでした。
最後に、公式戦に出るのであれば、当たり前のことなのですが、レギュレーションに適合した車両でなければならず、当時のビートは全適合していないため、出られませんでした。
それまで参加したイベントは比較的ゆるいレギュレーションのものが多く、「細かいことは別にして、とにかく楽しく走ろう!」的なイベントが多かったため、「コレはダメ、アレはダメ」と言われたことが余りありませんでした。
そのため、クルマの作り直しをしなければならないことが、面倒くさいと思ったからでもあります。
そんな私がなぜ、地区戦(公式戦)に出てみようと思ったか。
以前もブログで書いたことがありますが、SPEC-Dの土居先生が「KAZUYA~、運転上手くなりたいんやったら、地区戦出てみぃ~」と言われたのがきっかけ。
そして、2016年8月。
その流れで中国地区の地区戦に出る前に、四国の地区戦のクローズドクラスに初参加(笑)
初めて参加したのが、モーターランドたぢかわで、四国の中でも「濃いメンバー」が揃っているという高知を選んだというのが、今考えてもディープだったなぁ~と(笑)
そのディープが気になる人はどうぞ。
2016.8公式戦初挑戦の旅【前編】
↓
https://minkara.carview.co.jp/userid/274366/blog/38467667/
2016.8公式戦初挑戦の旅【後編】
↓
https://minkara.carview.co.jp/userid/274366/blog/38472723/
土居さんの「どうにかしたるから来い!」という勢いに身を任せてしまいましたが、あのとき、飛び込んでよかったと今でも思います。
B級ライセンスを取得し、2017年から中国地区の軽自動車クラスが新設されることを知ったことで、本格的に公式戦仕様にクルマを作り直す決意をしました。
主に車高UP、排気系の見直し、鉄ロールバーの設置です。
ビートで最低地上高9cmを確保するためには、当時の低車高好きの私から考えれば、恐ろしくカッコ悪い車高にしなければなりませんでした(笑)
また、排気系はエキマニ&触媒のやり直しをしなければならず、鉄ロールバーを設置することは重量増にもなり、どちらかというと、公式戦仕様にするためにデチューンしたような感じでした。
その仕様変更をするためにもお金が当然かかりますので、資金繰りも大変でした。
車体の仕様変更を済ませた後は、足の仕様変更です。
縁あってJICと接点を持つことができたため、足を前シーズンと全く変更することを決意。
JIC工場長と相談しながら、テスト走行とフィードバック、仕様変更を重ねていき、2017年の地区最終戦の前日まで仕様変更を何度も行いました。
この試行錯誤を繰り返した過程は、とても勉強になりました。
公式戦への参加については、当初、地元のタカタサーキットで開催されることがわかっていたので、その第3戦(4月)だけは参加しようと目標にしました。
他のクラスの人から「NAのビートでターボ相手かぁ~結構、厳しいねぇ」と言われましたが、タカタなら(正回りですが)走り込んでいるし、「負けたくない思い」があったので、公式戦の選手権クラス初参加のド素人のクセに、勝つ気満々でした(笑)
結果・・・
九州から乗り込んで来られたAZ-1のいけしさんに0.4秒で負け、2位終了(ちーん)
周囲の人から「九州の地区戦のクラスで負けなしの人だし、善戦した方だと思うよ。」と言われ、「あ、そういう人だったんだ」と知ったのですが、負けたくないと思っていたタカタで負けたことと、「あのとき、もっとあぁすればよかったかも」という思いが沸々と沸き上がり、悔しくて仕方がありませんでした。
今まで、思い通りに走れなかったことや、ミスコースしたことで自分に腹が立つことはあっても、それらとは類の違う悔しさがこみあげてきました。
たぶん、そのタカタラウンド(第3戦)で負けなかったら、次は出ていなかったかもしれません。
その悔しさがきっかけとなり、ズルズルとその後も参加し続け、結局、2017年は最終戦のスポーツランドTAMADAのラウンドまで出ました(笑)
そして、今に至るわけです。
この続きは後編で。
Posted at 2018/10/22 21:21:56 | |
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