
朝食前に、もう一度「富岩運河環水公園」を散策
ライトアップされてないと少し淋しい感じですが、きれいに整備されてとても気持ちのいい場所です
自宅の近くにこんな散歩コースがあったらいいですね
「富岩運河 牛島閘門」(国有形文化財)
富岩運河といたち川の高低差約60cmを調節して船が運航できるようにしたもの(昭和9年完成、平成13年復元)
「ミルゾー」/永井一正(2018)
そして、「富山城」攻城
富山市営城址公園駐車場に車を入れると、富山祭りがあるので、11時前には必ず出庫するよう念押しされました
前田家ゆかりの武具や400年以上の歴史を学べるという富山市郷土博物館は開館時刻前😿
「富山城」は、上杉氏や信長の家臣・佐々成政など度重なる城主交代の後、1585年(天正13年)に秀吉により破却、後に前田利長が整備
1954年に再建された天守は国の登録有形文化財
現在見られる石垣は前田利次が改修したものの大半が野面積み、隅角には算木積み、鉄門の内桝形では布積み、鏡石も見られます
地下駐車場の入口はこんな感じ
駐車料金は1時間330円でした
次は「魚津城跡」(富山県魚津市) へ
廃校となった大町小学校に説明板や碑がたくさんありました
それらによると、上杉方の越中における重要な拠点であった魚津城は、1582(天正10)年に柴田勝家、佐々成政、前田利家らの攻撃を受け、本能寺の変の翌日である6月3日に落城
佐々氏、次いで前田氏の支配下になるも江戸初期に廃城となったそうです
昇降口前には「魚津城址」の大きな石碑
裏門わきに「ときわの松(2代目)」と「上杉謙信の歌碑」
謙信が津城外にたむろした時に詠んだ歌
『武士(もののふ)のよろいの袖をかたしきて枕に近きはつかりの声』
時は初秋、過雁一声(かがんいっせい)鎧のまま野伏せした謙信が思わず旅愁をそそられて口ずさんだと思われる句詩なんだとか…(難💦)
近くの「米騒動発祥の地」(富山県魚津市)にも立ち寄ってみました
「北陸街道」の表示
「旧十二銀行 米倉」
説明板にはこうありました
大正7(1918)年、全国をゆるがせた米騒動は、7月23日の魚津町(現・魚津市)で怒った汽船への米の積み出し阻止が発端といわれています。
ここは、旧十二銀行の米倉庫でした。当時は地元の米商人が買い付けた米(俵)は、銀行管理の倉庫に預けられ、そこから汽船に積み込んで出荷していました。現在は海辺の景観も変わってしまいましたが、この米倉が魚津の米騒動の名残りをとどめています。
大正3年(1914)に始まった第一次世界大戦は、日本に好景気をもたらしたが、その反面、物価は休場し、庶民の生活は困窮した。特に、米商人の買い占めや売り惜しみなどにより、米価は戦前の4倍になっていた。
このような状況下、大正7年(1918)7月23日、北海道への米の輸送船『伊吹丸』が魚津町に寄港した。おりからの米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら数十人が、米の積み出しをおこなっていた大町海岸の十二銀行の米倉前に集まり、米の積み出しをやめるよう要求し、このため米の搬出は中止された。
この事件は、地元紙により富山県内に大きく報道され、水橋、滑川、岩瀬、泊、生地など沿岸部で次々と米騒動がおこった。さらにこの騒動は全国に広がり、当時の内閣が総辞職に追い込こまれた。その後、日本で最初の本格的な政党内閣の誕生につながった。
「米騒動のモニュメント」
令和の米騒動の原因はなんだったのでしょうね…
今回のドライブで最後に訪れたのは「ヒスイ海岸」(新潟県糸魚川市)
「フォッサマグナミュージアム」の方?にヒスイの見つけ方を尋ねると、固いので角ばっている、重い、とのこと
見本を持たせてもらったら、確かに重い
私が持ち帰った石たち
ヒスイは無し😿
右下は「薬石」で、割って金魚鉢に入れると良いそう
高速に乗る前に給油し、北陸自動車道名立谷浜SAでお昼休憩
ホタルイカかき揚げ氷見うどん
ブリカツ丼
私は3日連続うどんランチ😅
ブリカツ丼、美味かったです
夕ご飯に「ますの寿し」を、おつまみに「ほたるいか素干し」を、朝ごはん用に「白えびしぐれ煮」を買いました(「ほたるいか素干し」はオススメ)
で、17時頃に無事帰宅
帰宅してから知ったのですが😅、今回のドライブで攻めた「金沢城」「七尾城」「高岡城」は100名城でした!
関東は9月は☔ばかりでしたが、今回のドライブは運よく、現地では気持ちよいオープンドライブを楽しむことができました
走行距離:1,352km
給油量:93.72L
平均燃費14.4km/l
ガソリン代:15,266円
駐車料金:1,630円
有料道路料金:11,910円
長文駄文ブログ、お付き合いいただきありがとうございました m(__)m
Posted at 2026/10/07 08:28:05 | |
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