クルマ・ジャケコーナー第386回は、Franco Corelliの「ナポリ民謡名曲集」(1962 ?)です。
「ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピック」開幕記念・イタリア特集第12弾
Franco Corelli(フランコ・コルレリ(コレッリ) 1921 - 2003)、ご存知でしょうか?
圧倒的な声量と煌めく✨高音、180cmを超す長身、映画スターのような容姿から「Prince of Tenors(テノールの王子)」と称えらた20世紀のイタリア・オペラ界を象徴するテノール歌手です
いい体もしてたんですね💛😅
出身はイタリア中部、アドリア海に面する港湾都市Ancona(アンコーナ)
1951年、30歳の時にフィレンツェの5月音楽祭の声楽コンクールで優勝、その年に「カルメン」のドン・ホセ役でデビュー(遅咲き?普通?)
1954年にはミラノ・スカラ座でマリア・カラスと「ヴェスタの巫女」で共演(リチニオ役?)し、一躍有名に
↑ その時の写真かは不明(阿部寛じゃありませんよ)
1961年、40歳の時に「トロヴァトーレ」のマンリーコ役でニューヨーク・メトロポリタン歌劇場デビューし、1975年まで15シーズン、365回も出演(19もの役柄)したそうです
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ヨーロッパの主要なオペラハウスの舞台に立ち、3度来日もしています(1971,73,75)
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声量、声質などまだ十分に活躍できると思われていた1976年、55歳で引退
引退後は主にニューヨークとイタリアを行き来し、晩年は指導者として活動
教え子には、現代を代表するテノールの一人、アンドレア・ボチェッリなどがいます
引退後も「黄金のテノール」としての人気は衰えず、世界中のオペラファンから敬愛され続け、2003年の逝去に際しては、スカラ座をはじめとする世界各地の歌劇場がその死を悼みました(享年82歳)
さて、本日ご紹介のクルマ・ジャケ・レコは、
「ナポリ民謡名曲集」/Franco Corelli(1962 ?)
4曲入りEP盤
A1は『オー・ソレ・ミオ ('O sole mio)』
“ナポリ民謡のトレード・マーク的存在の名歌です。明るい太陽、抜けるような青い空、そうした美しさを恋人にっとえた歌です”(レコの解説より)
Franco Corelli - O sole mio (LIVE 1971 Tokyo concert) HQ
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A2は『帰れソレントへ』ですが、レーベルには『Torna a Surriento』とあり、どうやら『帰れソレントへ ('O Paese D' 'O Sole)』ではなく、『帰り来よ (Torna a Surriento)』の間違いのようです
“ソレントから船出をしていった恋人に、このソレントを忘れずに、一日もはやく帰ってきてほしいとうたう郷土賛歌です。”
Franco Corelli "Tu, ca nun chiagne, 'O surdato 'nnammurato & Torna a Surriento" | Ed Sullivan Show
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↑ 2:13あたりからが『Torna a Surriento』
B1は『カタリー(薄なさけ)(Core 'ngrato)』
“冷たい心の女に、切ない恋を告白する歌で、カタリーというのは相手の女の名前です。この素晴らしい歌を世界的に流行させたのは、エンジェル・レコードでおなじみのディ・ステファーノです。”
Franco Corelli: Core 'ngrato
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↑ 『つれない心』となってますね。『薄情な心』という邦題もあるようです
B2は『情熱 (Passione)』
“「可愛い女と別れてから1年たった。この1年間、おれのあたまは、その女のことでいっぱいだった。酒も飲まないのに、おれの足はふらふらだ。マドンナ様!どうかこの熱をさましてください!…」と歌うのが「情熱」です。”
Passione - Franco Corelli
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“こうしてみると、有名なナポリ民謡のほとんどは、男が女にふられた歌ばかりです。「弱き者よ、なんじの名は男なり!」です。”
いやあ、カンツォーネ、いいもんです・・・💦
さてさて、ジャケのクルマは・・・
フランコ・コレッリのガレージには、ジャガー、アルファロメオ・ジュリエッタ、リンカーン・コンチネンタル、キャデラックなどがずらりと並んでいたそうですが、これも愛車だったんでしょうか?
ネットでこんなLPを見つけました!
「SINGS NEAPOLITAN SONGS」/Franco Corelli(1962)
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EP盤はこれのトリミング😿ですね
で、ジャケのクルマは「フェラーリ・250GT カブリオレ」❓
↑ 三角窓があり、ドアノブもちょっと違いますね・・・
「250GT カブリオレ」は、当時最も高価な「250GT」をエンツォ・フェラーリがトリノのカロッツェリア・ピニン・ファリーナにカブリオレ化を依頼してできたフェラーリ初の量産カブリオレ
「フェラーリ・250」(1953 - 64)には、「250GTO」などのレーシングモデルと、数々のGTモデル(公道仕様)があったようです
Ferrari 250GTO(1962 - 64)
1953 Ferrari 250 Europa Cabriolet
1956 Ferrari 250 GT Berlinetta‘Tour de France’Series I
↑ 「Berlinetta(ベルリネッタ)」は、フェラーリがクーペ(2ドア、クローズドボディ)に使用する呼称だそう
1956 Ferrari 250 GT LWB‘Tour de France’by Zagato
↑ 「Tour de France」を、特定の顧客のためにミラノのカロッツェリア・ザガート(Zagato)が独自の軽量ボディを架装し250GT
生産台数わずか5台で、ザガートの象徴「ダブル・バブル・ルーフ」はそのうち3台のみ
1956 Ferrari 250 GT b.Genève Cabriolet by Boano
↑ フェラーリが少量の限定生産からロードカー生産へと移行する初期段階の試みとして製作され、ジュネーブ・モーターショー(1956)でお披露目され「b.Genève」と名付けられた250GT
こんなテールフィンのフェラーリもあったんですね(デザインはフェリーチェ・マリオ・ボアノ)
1958 Ferrari 250 GT Pinin Farina Coupé Speciale
↑ 特別な顧客のために3台造られ、それぞれ、テールランプ、ヘッドランプのカバー、サイドフェンダーベント、バンパーなどが違っていたそうです
いやあ、美しいですね❣
Ferrari 250GT Berlinetta Passo Corto
Ferrari 250 GT California Spyder
↑「250GTカリフォルニア・スパイダー」(1957 - 63)はその名の通りアメリカ市場向けのモデルでよりスポーティさを求めたモデル
1962 Ferrari 250 GT Berlinetta Lusso
う~ん、一致する「250GT カブリオレ」の画像が見つかりません・・・
一番近いのが、
1957 Ferrari 250 GT Cabriolet Pinin Farina Series I
↑ 三角窓、ドアノブ、ボディの長さが違います
フロントも違うかなあ・・・
もしかしてこの画像はシリーズⅡ ❓
“特別な顧客だった(はず)”のコレッリは、三角窓がない250GTを注文したのかも… ??💦
ちなみに、このレコの指揮者は「フランコ・フェラーリス(Franco Ferraris)」
「Ferraris(フェラーリス)」は一般的なイタリア人の姓で、「鉄(ferro)」が語源で「鍛冶屋」などを意味するそうです
「Ferrari」はイタリアで3番目に多い苗字で、「Ferraris」と末尾に“s”がつくのはイタリア北部でよく見られ、特定の家系や血統を示す古い複数形の形なんだとか…?
勉強になるな~
何の役にも立たず、すぐ忘れますが(笑)
【登場車両】
Ferrari 250 GT Pinin Farina Cabriolet Series I (1957 - 59)三角窓なしver.?
同一車両ではありませんが、リアやインテリアはこんな感じ
三角窓が着脱式ってことはありませんよね??
【自己採点】
クルマ度 8点(ピニン・ファリーナの手によるフェラーリ初の量産カブリオレ)
魅惑度 6点(トリミング😿 LPジャケがいいよぅ~)
音楽度 7点(魅惑のテノール・カンツォーネ♪オー・ソレ・ミオ~)