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2026年07月09日 イイね!

クルマ・ジャケ「MEMORIES of JAPAN GRAND PRIX」

クルマ・ジャケ「MEMORIES of JAPAN GRAND PRIX」クルマ・ジャケコーナー第405回は、「MEMORIES of JAPAN GRAND PRIX」(1983)です。

完全後付け💦400回記念“レーシングカー・シリーズ”第5弾!

ジャケに“日本グランプリ20周年記念 HISTORIC CAR FESTIVAL '83 SUZUKA”とあり、1963年に鈴鹿サーキットで開催された「第1回日本グランプリ」の20周年を記念して開かれた「ヒストリックカー・フェスティバル'83鈴鹿」を記録したレコです。





ネット上に「ヒストリックカー・フェスティバル'83鈴鹿」公式プログラムの画像がありました













レコのライナーノーツによると「ヒストリックカー・フェスティバル'83鈴鹿」とは、

“20年を経て今、鈴鹿ではロータス23、カレラ2、ジャガーD、そして当時のクラウン、コロナ、パブリカ、スバル、ブルーバード、フェアレディ、スカイライン、キャロルなどがこれまた当時のドライバーである多賀弘明、杉江博愛(徳大寺有恒)、細谷四方洋、片山義美、浅岡重輝、北野元、田中健二郎、生沢徹などの手によりドライブされ、元気な姿と昔を再現”

した催しだったようです

ライナーノーツの写真





クルマ・ジャケ「白熱のグラン・プリ・レース」





















また、第1回と第2回の日本グランプリの興味深いエピソードも山盛り!


以下、省略しながらご紹介します

〈黎明・第1回日本グランプリ 1963年5月3~4日〉
 自動車がやっと庶民の手に届くようになりつつあった時代だった。4輪レースが何であるかを大半の人は知らなかったし、外人ドライバーが駆る本格的なスポーツカーの走りと姿は目の前にした日本のドライバーと2日間で20万人集まった観衆に強烈なショックを与えた。何しろ、出場した148人のドライバーのうち、鈴鹿を走った経験者は望月修、鈴木義一、吉田隆史の3人だけで、主催者のJASA(日本自動車スポーツ協会)は急遽、レース講習会を開いたというエピソードが残されているような時代だったのだ。

CⅠにはスズライト・フロンテ、スバル360、マツダ・クーペ/CⅡにはパブリカ、三菱500、スバル450、キャロル/CⅢにはコンテッサ、ルノー、DKW、ブルーバード、 /CⅣにはフォルクスワーゲン、ブルーバード、/CⅤにはコロナ、ヒルマン・ミンクス/CⅥにはクラウン、ベレル、セドリック、グロリア、スカイラインなどがいた。そしてBⅠにはDKW、ヒーレー・スプライト、ポルシェ、MGミジェット、コンテッサ、フェアレディ/BⅡにはフェアレディ、トライアンフTR2、同TR3、同TR4、MGA、MGB、スカイライン・スポーツ、セドリック、ポルシェ/BⅢにはジャガーE、メルセデスベンツ300SE、ヒーレー100、ヒーレー300などが出場していた(ちなみに各クラスの先頭に書いたクルマがそのクラスの優勝者である)。
 今では信じられないことに、これらはすべてナンバー付のクルマで、そのほとんどが鈴鹿まで自走してきたものだった。当時、東名も名神もなく、ドライバーは東京からだと10時間以上走って到着、レースをやって日帰りというのが当たり前だったのだ。いわば個人参加の腕におぼえのあるアマチュアが結構上位入賞できたGPは、ただしこの第1回のみといっていいだろう。すでにトヨタはメーカーとしてレースに積極的であったし、事実3クラスに勝ち、これを大宣伝。レースに勝つことがクルマを売ることに結びつくことを他メーカーも知り、翌年の第2回日本GPでは早くもメーカー同士の全面対決の場と急転していくのである。
また、BⅡレースにおいて田原源一郎のフェアレディが欧州のはるかに優れているスポーツカー(と、当時は思われていた)のトライアンフやMG、ポルシェに大差をつけて勝ち、観客に国産車の優秀さを初めて見せつけ、驚かせ、喜こばせたことも特筆しておかねばならない。

〈名勝負・第2回日本グランプリ 1964年5月2~3日〉
2日間で24万人という大観衆を熱狂させたのがGT-Ⅱ(1001~2000cc)レースだ。当時、テストのために1時間20万円のコースレンタル料を湯水のように注ぎこんで、全メーカーがレースに傾注していた。日産と合併する前のプリンス自動車も最も熱心なメーカーのひとつであった。スカイライン1500をロングノーズにし、そこへグロリア用に直列6気筒OHCの2lG7型エンジンを押し込んだスカイライン2000GTを急遽100台生産し、送り込んだ。しかもウェーバー40DCOEキャブを3連装。当時、発売されたばかりのホンダS600が50万9千円だった時、このキャブ1基が10ン万円。いかにプリンスが必勝を期していたかがわかる。そこへ衝撃のニュース。ポルシェの最新鋭マシン、カレラGTS904が式場壮吉の名でエントリーして来たのだ。世界中から垂涎の的である904が日本に来るハズがない…!?水平対向4気筒DOHC、1966ccのエンジンで180馬力を絞り出すモンスターはしかし、鈴鹿にその姿をレースまであと2週間に迫った4月16日、現したのだ。
 ところが5月1日の予選。この904が雨の中、第1コーナーでクラシュしてしまう。この時プリンスはすでに生沢が2分49秒3、砂子が2分50秒0という限界タイムを出していた。904は余裕を残して2分50秒6。クラッシュの状態から904のレース出場は無理と誰もが思った。スカイラインの圧勝は間違いなし、と。
 しかし、1964年5月2日朝、GT-Ⅱレース決勝の直前904は再び鈴鹿にその姿を現した。名古屋での2日2晩の修理を終え、帰って来たのだ。スタート4分前に904がコースへ滑り込んだ時、場内は大きな拍手に包まれていた。結局、レースは不死鳥のように甦った904がスカイライン勢の執ような追撃を振り切って優勝するのだが、16周のレースの7周目、生沢のスカイラインがヘヤピンで904を抜くという“ドラマ”がおこる。生沢が8周目のスタンドに帰って来た時、観客は我を忘れて総立ちになっていた。周回遅れのクルマを抜くのに手間どった式場が生沢に追いつかれた形なのだが、この時「スカG神話」の第1話が誕生したのだ。
 7周目の“ドラマ”には親友であった生沢と式場の間で事前に談合があったとか、904は実はトヨタが対スカイラインのためにお金を出して買わせたものだとか、後になって“ウワサ”が流れた。しかしこの件について式場は沈黙を守り通し、以来2度とレースに出場することはなかった。「お金はトヨタが多少は出したのでは…? 談合は、冗談で言い合ってただけ」という生沢の発言が“真相”だろう。いずれにしろ、この2人の2台のバトルこそ、ドライバーのスター性、マシンの格式からいっても日本のレースの幕開けといっても過言ではない。いみじくもこの年の8月、西ドイツGPでホンダのF1、RA271がデビュー。1964年という年を日本のモータースポーツ史上、忘れ難いものとしている…。
 そして20年。鈴鹿にこのGT-Ⅱレースが再現された。前年ながら式場は来られなかったが、代わりに津々見友彦が904をドライブ。生沢のスカイラインGTに加え、MGB、ロータスエラン、フェアレディ1500などと激しいバトルをくり広げ、史実と同じく、今回も904が見事1位でフィニッシュしてみせた。

文:モータージャーナリスト・近藤健二


で、本日ご紹介のレコ
「MEMORIES of JAPAN GRAND PRIX '83」(1983)


LPの出だしはコニー・フランシスの『ヴァケイション』のインスト(“V-A-C-A-T-I-O-N”のところはボーカル入り)


そこにレース音が被り、次のようなアナウンスが入ります

「1983年10月10日、鈴鹿サーキットに続々と懐かしい車が集まって来た。ちょうど20年前の5月、日本における最初の自動車レースの幕開けというべき第1回日本グランプリ自動車レース大会がここ鈴鹿サーキットで行われたのだ。あれから20年も歳をとってしまったドライバーやレーシングマシンがもう一度、同じ場所で同じように熱い戦いを再現しようと自動車レースのお祭りが開かれた。40を過ぎた中年の男たちも今日ばかりは若者のようにはしゃぎまわっている。」

A面最後には、生沢徹へのインタビューが収録されており、次のような声を聞くことができます
“ツーリングカーと今でいうF2が一緒に走るようなもんだからさ(中略)「一回くらいは抜かせろよ」と言ったような記憶もおぼろげにあるような、ないような…”

Youtube 「MEMORIES of JAPAN GRAND PRIX 日本グランプリ20周年記念 HISTORIC CAR FESTIVAL '83 SUZUKA」A3 '64第2回日本グランプリ“生沢徹、あの日を語る”(インタビュア:渡辺靖彰)


そしてB面最後には、40年ぶりにカーチス号で走った76才の本田宗一郎の肉声が収められてます
Youtube 「MEMORIES of JAPAN GRAND PRIX 日本グランプリ20周年記念 HISTORIC CAR FESTIVAL '83 SUZUKA」B2 本田宗一郎、40年振りにカーチス号で走る


裏ジャケのこの写真がカーチス号ですね







で、ジャケのクルマは・・・


1964年の第2回日本グランプリで、式場壮吉が乗るポルシェ904(カレラGTS)と生沢徹のプリンス・スカイライン2000GT(S54)とのデッドヒートシーン・・・


を「日本グランプリ20周年記念 HISTORIC CAR FESTIVAL '83 SUZUKA」で再現したもので、

左がポルシェ・カレラ904GTS


右が日産プリンス・スカイライン2000GT-B


スカイライン1500(S50型)のフロント部を約200mm延長し、グロリアの2L直列6気筒エンジンを押し込んだホモロゲーションモデル

第2回日本グランプリ(1964)のGT-Ⅱレースは、ポルシェ904が優勝でしたが、スカイラインGTが2〜6位で、レース後、スカイライン人気が沸騰
販売用ホモロゲモデルは即売、そしてカタログモデルとなり、“羊の皮を着た狼”という言葉も生まれました

ニッサン プリンス スカイライン 2000GT-B S54型 1967






1966年8月にはプリンス自工と日産自動車が合併しますが、1968年までスカイラインの車名に“プリンス”が残ります

第2回日本グランプリ後、プリンス自工は打倒ポルシェを目標に、桜井眞一郎を中心に純レーシングカーR380の開発に取り掛かります


第3回日本グランプリ(1966)でR380A-Iが優勝(プリンスと日産の合併で車名は「ニッサンR380」に)

そして市販車「ニッサン プリンス スカイライン 2000GT」は「GT-R」(1969)へと繋がっていきます・・・


Youtube スカイライン伝説の始まり


スカイライン人気が復活することはあるのでしょうか・・・

ガンバレ日産!


【登場車両】
Porsche Carrera GTS(Porsche 904) 1964




日産プリンス・スカイライン2000GT-B 1964


【自己採点】
クルマ度  8点(日本のレースの幕開けを演じた2台!)
魅惑度   7点(歴史的シーンの再現)
音楽度   3点(冒頭のBGM『VACATION』が40を過ぎた中年の男たちのお祭りを表現?!)
Posted at 2026/07/09 20:13:26 | コメント(3) | トラックバック(0) | クルマ・ジャケ | 音楽/映画/テレビ
2026年06月28日 イイね!

鮎釜TRG~風薫る大関和の故郷 黒羽へ~

鮎釜TRG~風薫る大関和の故郷 黒羽へ~恒例のRA272さん主催の「鮎釜TRG」に参加しました

ドライブルートや参加者(車)の詳しい情報はコチラ
第32回プチツー 鮎釜TRG~風薫る大関和の故郷 黒羽へ~行ってきました(2026年6月28日)

朝、家を出てしばらくすると土砂降り☔

ナビが不調で、画面に触ってもいないのに、勝手にどこかの海の中を目的地にセット(タイトル画像)
タッチパネルも物理ボタンも反応しなくなり、コンビニでエンジンをかけ直して元に戻りました(寿命か?!)


集合場所は「道の駅 たかねざわ 元気あっぷむら」(栃木県高根沢町)

自然豊かな広い敷地に天然温泉や宿泊施設、レストランなどがあるようですが、集合場所としてしか利用したことありません💦


自己紹介、RAさんのドラミがあって、出発です








こんな接骨院がありました  なんか痛そう・・・


源平合戦で平氏の軍船の扇の的を射落とした伝承で有名な那須与一(なすのよいち)ののお墓がここ大田原市の玄性寺にあるそうです


最初に目的地「道の駅那須与一の郷」(栃木県大田原市)に到着~

現在放映中のNHK連続テレビ小説「風、薫る」のパネル展示などがありました
(朝ドラ、観てないんです…😿)




モデルとなった“日本のナイチンゲール”と称される大関和(おおぜきちか)の父は下野の黒羽藩の国家老で、和が19歳のとき、黒羽藩の次席家老であった渡辺家の次男、渡辺福之進と結婚(のちに離婚)

朝ドラがここ栃木県大田原市でクランクイン!ということで地元は大いに盛り上がってるそう

大関和を演ずるは、大河ドラマ「光る君へ」で藤原彰子を快演(怪演❓💦)した見上愛


ダブルヒロインのもう一人は上坂樹里(こうさかじゅり)


多部未華子も出演してるんだ~💛


ダブルヒロインならぬダブルオヤジで盛り上がってみました😅


「風、薫る」重ね押しスタンプ




番組美術スタッフが描いた「東京の大通り」が出来上がり~


スタンプはこの日まで  昨日まではシールがもらえた?

↓ 直美が英語を勉強する本






無料なのでお近くの方はぜひお出かけください

係の方が親切に集合写真を撮ってくれましたm(__)m



次の大関和記念碑&大雄寺を目指し、ここから“風、薫る”オープン




大田原市立黒羽小学校のすぐ近くの臨時?駐車場に停めました(ほぼ満車状態)


「大関和生誕の地記念碑」


みなさんで何かやってる?


マンホールでした


あじさい祭り開催中


黒羽小学校の侍門





少し歩いて「黒羽山 大雄寺(くろばねさん だいおうじ)」に到着


駐車場はいっぱいで、2021年に大田原市ドライブ(大雄寺など) で訪れた時とはまったく違う賑わいです😅





600年以上の歴史を持つ曹洞宗の禅寺で、領主であった大関氏の菩提寺
大関和もここに眠っているそうですが、見逃してきました

本堂・庫裏・禅堂・鐘楼・経蔵・総門・廻廊(3棟)の計9棟が国重文
総門は修理中




去年ここでクランクイン会見が行われたそうです



「ハンカチの木」は滑らかな手触りでした










本堂で組紐と盆栽が展示されてました


盆栽は「山の謌」(yamanouta_bonsai)という方?




今年創った盆栽や100年経っているもの、生と死をテーマにした(??)ものなどなど…






時間があれば、もっとゆっくり味わいたかったです

で、お次が鮎釜❣
大雄寺からすぐ近くの「黒羽観光ヤナ」










ALPINさん、いつもありがとうございます。m(__)m

食後は「御亭山(こてやさん)」をひとっ走り


mayomayoさんにインタークーラーのパイプを交換していただいた後は好調です(今のところ💦)
今日はエンジンルーム・チェックはありませんでした(ほっ)


この後、天気が怪しくなり、「山あげ会館」「タテヤマパン」「茂木昭和館」には行かず、「すずらん本舗南那須店」に立ち寄り、「道の駅 サシバの里いちかい」で解散となりました








オープン走行時間は短かったですが、とても楽しく走れました。

RAさん、参加された皆さん、ありがとうございました m(__)m
またご一緒させてください


でっ、発掘調査😅


見つけたクルマ・ジャケ
「Standard Folk Song Best Collection」/Odd Fish Band


古書コーナーで見つけた本


「F1マシンの秘密」はどうせ理解できないので、結局、この2冊をお持ち帰りとしました
Posted at 2026/07/01 14:35:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | コペン | 日記
2026年06月26日 イイね!

発掘調査ドライブ

発掘調査ドライブ快適な曇り空オープンドライブ
からの雷、土砂降り~

現場では地震

火事は無くて良かった…
オヤジはここに居ます😅


そんな発掘調査ドライブの調査結果です


クルマ・ジャケはゼロ・・・😿

で、こんなレコだけお持ち帰りしました


千春の17thシングル『On the Radio(オン・ザ・レディオ)』(1984)は、2007年から続くラジオ「松山千春 ON THE RADIO」のオープニングテーマ

初のイラスト・ジャケということでよく見たらクルマ・ジャケじゃないですか!


1958 Buick Century Riviera 2-Door Hardtop あたり❓




クルマ・ジャケ「夢の旅人」/松山千春 に追加です(ネタ切れしたら新規ブログに😅)


大橋純子の10thシングル『たそがれマイ・ラブ』(1978)は、クルマ・ジャケ「OOH BOY」/大橋純子 ではイラストジャケを載せてましたのでジャケ違いで追加


亜紀ちゃんの33rdシングル『あなたに逢いたい』(1981) は、クルマ・ジャケ「ヒット歌謡ベスト30 八代亜紀」/八代亜紀に追加です


ジャンクじゃないコーナーには岡田奈々ちゃんのレコがありました


『賭け』(1979 14thシングル)は2000円、『静舞(クワイエット・ダンス)』(1980 15thシングル)は5000円!😲

とても手が出せません


帰り道、信号待ちでホンのちょっとだけヤンチャなシルビアが横に並びました


5代目S13型(1988 - 93)
きれいに乗られてますね❣

ホンダ・プレリュードが復活したので、日産にも期待したところです(なかなか厳しいだろうけど… ガンバレ日産!)
Posted at 2026/07/02 12:11:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | コペン | 日記
2026年06月26日 イイね!

クルマ・ジャケ「'69 日本グランプリ-富士山麓ビッグ・マシンの激突」

クルマ・ジャケ「'69 日本グランプリ-富士山麓ビッグ・マシンの激突」クルマ・ジャケコーナー第404回は、「'69 日本グランプリ-富士山麓ビッグ・マシンの激突」(1970)です。

完全後付け💦400回記念“レーシングカー・シリーズ”第4弾!


'69 日本グランプリの決勝(1969年10月10日 富士スピードウェイ)の実況中継を記録したレコです


「'69 日本グランプリ-富士山麓ビッグ・マシンの激突」(1970)


ジャケには「'69 日本グランプリ JAPAN GRAND PRIX CAR RACE富士山麓ビッグ・マシンの激突 COLUMBIA SOUND LIBRARY」、「協力:富士スピードウェイ(FISCO)」/日本自動車連盟(JAF)とあります







大排気量二座のレーシングカーによって競われた最後の日本グランプリで、日産、トヨタのライバル対決に加えて、西ドイツからポルシェのワークスチームも参戦

▲(上)⑭ジョー・シファードのポルシェ917 (下)⑰ハンス・ヘルマンのポルシェ908





▲㉑黒沢元治 ニッサンR-382


▲⑳北野 元 ニッサンR-382


▲③川合 稔 トヨタ7

〈国産ビッグ・マシン2車の精密透視図〉上:NISSAN R-382 右:TOYOTA-7


優勝は日産・R382の黒澤元治!


▲チェッカーフラッグをかいくぐる㉑黒沢元治のニッサンR-382


▲表彰式 左(2位)北野 元  中(1位)黒沢元治  右(3位)川合 稔

詳しい解説も載ってます

「'69日本グランプリのドラマ」久保正明 AUTO SPORT編集長


V型12気筒6リッター・エンジンのニッサンR-382が'69日本グランプリを制し、V型8気筒5リッター・エンジンのトヨタ7は、その後塵を拝した。―これが長い準備とトレーニングのすえにつけられた'69日本グランプリの総決算であった。

●群を抜くニッサンR-382の速さ
 「5リッター」のエンジン排気量でエントリーしていたニッサンR-382がじつは「6リッター」だったと判明したのは、'69日本グランプリの公式予選前夜、10月8日夜のことだった。
 V型12気筒エンジンのかん高い排気音。つぎつぎに更新されていく富士スピードウェイでの練習タイム。1周6kmのラップ・タイムはグランプリが近づくにつれて1分46秒台から45秒台へ。平均スピードにして、じつに204km/hから206km/hという速さだ。
 「ニッサンが6リッター近いエンジンを積んでいるだろう、くらいのことは練習タイムからみても想像はついていた。しかし、それにしても・・・」トヨタ側のエンジニアは、こういってホゾをかんだ。エントリー締切り段階では「500cc」で申し込んでいたニッサンR-382だったのに、公式予選前夜になって「6リッター」―正確には「5945cc」への排気量変更届を提出したのだ。「完全な肩すかしだ。やりかたがフェアでない。」言外に、そういう意味をこめてニッサンを非難するトヨタに対し、当のニッサン側は「当初予定していた5000ccエンジンが練習でこわれたまでです。」と、あくまでもクールだ。・・・

〈第二面〉
3. 優勝した黒沢元治の喜びの声と「君が代」
 ㉑黒沢元治は延々720キロに渡ってニッサンR-382を単身乗り切り、最初のチェッカード・フラッグを受けた。コースを一順した後、グランド・スタンド前でテレビのインタビューと、それを取り囲むカメラマンとにもみくしゃにされている。一歩でも前へ進み出ようとマシンの回りに群がるカメラマンの圧力で、合成樹脂製のR-382の薄いボディーはメリメリと音を立てている。そのボディーをかばおうとニッサンのメカニックも大わらわである。
 続いて、片手に花束をかかえる黒沢はなん度もカメラマンの要求にこたえてポーズを取らされている。  解説/斎藤宏清・石田善之


さてさて、ジャケのクルマは・・・


日産・R382


前年(1968)の日本グランプリを制覇した日産・R381はエンジンがシボレー製だったため、エンジンも日産製マシンでの優勝を目指して開発されたマシン

開発されたV型12気筒5.0リットルのGRX-1型エンジンをさらにパワーアップした6.0リットルに拡大したGRX-3型が公表されたのは、前述のとおりグランプリ決勝の2日前

予選は3台のR382が1−2−3(ポールポジションは北野元)、決勝1-2フィニッシュと圧倒的な速さを見せたR382

2位の北野元の20号車ニッサンR382(予選はポールを獲得)


予選3番手の23号車ニッサンR382(高橋国光/都平健二)は、燃料系のトラブルで10位


可変式リアウイングが禁止になり、ボディ後端をウイングのような形状にしてダウンフォースを稼いだようです

翌1970年の富士インター300マイルでも北野、黒沢で1-2フィニッシュ

しかし、翌1970年のグランプリは、日産が排ガス対策に集中することを理由に参戦を取り止め、トヨタもそれに追随したため中止・・・

トヨタとの開発競争を制し、自信満々で乗り込んできたポルシェを返り討ちにした日本レース史に燦然と輝く名車R382は倉庫で静かに眠る・・・

1974年はオイルショックの影響で中止となってますから、モータースポーツにとって厳しい社会情勢だったことのでしょう


2004年に米国で発見されたR382がレストアされ蘇ってます
NISSAN R382 黒澤元治 再び【Best MOTORing】2005


頑張れ 日産!


【登場車両】
日産・R382 21号車 1969




【自己採点】
クルマ度  6点(ポルシェを返り討ちにした日本レース史に燦然と輝く名車)
魅惑度   5点(黒沢元治に焦点?)
音楽度   ?点(エンジン音、排気音…が好きな方は10点?)
Posted at 2026/06/26 08:04:18 | コメント(3) | トラックバック(0) | クルマ・ジャケ | 音楽/映画/テレビ
2026年06月21日 イイね!

発掘調査ドライブ

発掘調査ドライブ6月後半の調査結果をご報告~

この現場、不定期に、LPが550円→110円→55円→10円 と処分セールを行います

この日は、12インチも7インチも10円❣

もちろん、普通の人が欲しがるようなブツはほとんど残ってませんが、私はちょっと普通じゃないので😅



もう、


(笑)



私の後から来た若い方が、DJレコをほとんど箱詰めし、持ってきましたが、その残りにクルマ・ジャケありました~



↑ なんでコレは置いてったのかな?

他にも・・・





↑ 右のレコはなんとか車種判定してご紹介したいな~💛

↓ コレはなんとかなる❓




微妙なシングル盤もゲット




↑ 男性の迷惑顔がなんとも面白い



↑ クルマにするか悩み中~(トヨタ博物館にはありました!)

↓ これは絶対わからないな~(懐中電灯かも(笑))


↓ コレはなんとかなる?



別日の違う現場では・・・



↑ ゴールデン・ハーフに安西マリア❣

↓ ファニカンのクルマ・ジャケ❣、ベンチャーズ、地元レコ



なかなかいいのが掘れました~

発掘・収集活動は進みますが、収納・調査が停滞・・・
そのうち、AIにブログを書いてもらうようになるかも・・?💦
Posted at 2026/06/25 04:50:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ・ジャケ | 音楽/映画/テレビ

プロフィール

「[整備] #コペン スマートフォンホルダー改 https://minkara.carview.co.jp/userid/2770919/car/2364173/8441246/note.aspx
何シテル?   11/20 20:35
スチグレ・タンレザーに一目惚れした「ねも」と申します。2017年3月に10年・10万km超の中古を手に入れることができました。愛車を通じて皆さんと交流できたら幸...

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