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ねも.のブログ一覧

2023年11月23日 イイね!

牛久城址ドライブ

牛久城址ドライブとってもいいお天気になるという予報で、「牛久城址」に行ってみようとドライブしてきました。

今回もオデくんです。


「千勝(ちかつ)神社」(つくば市)に立ち寄りました。

参道下の駐車場に停めましたが、上に舗装された広い駐車場がありました。



猿田彦大神(千勝大神)を祭る神社です。



天孫降臨の際、天孫一行をより良き地へと導いた神で、家庭円満の道、仕事や経営の道、合格への道、旅や移動の道、などなどに障害が生じた時、それを打ち祓って願いを叶えてくれる「諸願成就の神」だそうです。

「旅や移動の道」に障害?
今日も無事故・無違反で過ごせますように。
どうかスチグレくんが直りますように・・・



って、巫女さんに気を取られてるようではダメですか? (;^_^A

下妻市に「千勝神社下妻社(元宮)」があるようです。


参拝した後、牛久市へ。

本日のメインイベント「牛久城」攻城です。

「市営牛久城跡観光専用駐車場」(牛久市)に停めました。


戦国期、この地は後北条氏と佐竹・多賀谷氏が激しく対立する“境目”であり、城郭が数多く築かれたそうです。

「牛久城」は佐竹氏の南進に備えるために岡見氏が1550年ごろに築城したと伝わります。



天正15(1587)年、下妻の多賀谷氏の攻撃で、岡見氏の有力支城である谷田部城や足高城は落城するも、牛久城はかろうじて多賀谷氏の侵攻から守り切ったそうです。

しかし天正(1590)年、秀吉の小田原攻めの際に牛久城は落城。秀吉により由良国繁が城主となるものの元和9(1623)年に廃城となっています。

民家わきから攻城です!





「腰廓」?


土橋(?)を渡ると・・・


いきなり「本丸」?


当時は三方を牛久沼に囲まれてたようなので、本丸側の防御は薄かった?

戻って北に進むと・・・


「二の丸」?


本丸より高い感じがしたのですが・・・

土橋(?)を渡って「木戸口」の方へ。


畝堀?


「三の丸」に出ました。




こちら側に説明板がありました。


東西約800m、南北約1kmに及ぶ惣構えの城で、北条流の築城技術を取り入れた複雑な縄張りだったようです。

数年前までは歩くことも困難だったみたいですが、歩きにくい所はなく、保存整備に感謝です。
順路などの表示は無く、帰宅してからネットで調べて、あそこが「本丸」?という感じですが、それもまた面白いです。



【参考にさせていただいたサイト】
お城散歩 日本の城のガイドブック/ガイドマップ 牛久城


攻城を終え、「かっぱの小径」を歩いて「河童の碑」を見に行くことに。


「(特養)元気館」の方のおクルマ? 好きなのばっかり!




「河童の碑」、てっきり牛久沼の畔にあると思ってかなり先まで行って引き返し・・・






「牛久市住井すゑ文学館」(牛久市)


庭と展示ギャラリー「抱樸舎」は無料公開。





住井すゑ(1902 - 97)は、大ベストセラー『橋のない川』で知られる奈良県出身の作家です。
この地は夫・犬田卯の郷里です。
2018年に建物・土地がご遺族より牛久市へ寄贈され、改修し2021年に開館されました。





展示棟は\100。写真撮影はNGです。


中には住井すゑが使っていたテーブルや万年筆、蔵書類がありました。
係の方がとてもていねいに案内してくださいました。


「牛久市住井すゑ文学館」から少し歩くと・・・



「小川芋銭記念館 雲魚亭(うんぎょてい)」(牛久市)


河童の絵を数多く残したことから『河童の芋銭』と呼ばれる画家・小川芋銭(おがわうせん 1868 - 1938)が最晩年に建てた住まいを兼ねたアトリエです(市指定文化財)。

牛久藩の重職にあった父が廃藩置県により失職し、一家はここに移り住んだようです。

当時のまま、とてもきれいに無料公開されてます。写真撮影はNGです。
現在もすぐお隣にご子孫が住まわれてるとのことでした。

「カッパ松」




その昔、いたずらカッパをこの松にくくりつけて殺そうとしたところ、カッパがあまりに泣いて詫びるので、気の優しい若者は、二度と悪事をしないことを約束させ放してやると、それ以来、沼で溺れる人はなくなった・・・



「改善一歩の道標」


大正11(1922)年に城中青年会が旧牛久村の主要な道すじに立てた道標の一つで、小川芋銭が「永久に耐えられる石柱にしなさい」と寄付してくれたもので、現在7本が地区内に残っているとのこと。

青年会が芋銭先生の名を刻もうとすると、「改善一歩」と刻むよう言われたそうです。
“自分の歩む道を善い方へ改めて進みなさい”という意味だそうです。


「河童の碑」(市指定文化財)




昭和27(1952)年に芋銭を敬慕する人々によって建てられた碑です。


一旦、駐車場に戻り、クルマで「徳月院」へ。


かつての城主・由良国繁(ゆらくにしげ)の母・妙印尼(みょういんに)の墓碑である五輪塔や小川芋銭の墓があるお寺です。

入ってすぐ左手のお堂に「閻魔大王」と「奪衣婆(だつえば)」の座像がありました(ともに市指定文化財)。




「閻魔」は死者を裁く十王の中の第五の王で、死後五七日(35日目)忌の審判に当たるという・・・死者の衣を奪う「奪衣婆」は閻魔の妹なんだそうです?!



芋銭の作品『樹下石人談』のモチーフとなった榧(かや)は推定樹齢450~500年の大木(市指定文化財)。


本堂裏手に小川芋銭の墓と妙印尼(みょういんに)の五輪塔がありました。






妙印尼は戦国屈指の女傑だったそうで、その母のおかげで国繁は牛久に所領を得ることができたそうです。


この後、ランチとしました。

「中華団欒食堂りんりん」(牛久市)


ネット情報で塩ラーメンが美味しいというお店です。11:30開店で15分程並びました。開店時点で約10人位並んでました。

待つ間、隣に座ったおばちゃんたちと少々会話を。「女化神社行って来たのけ?」と聞かれ、面白そうな感じだったので、帰りに寄ってみることにしました。

塩ラーメンも美味しそうだったのですが・・・

「とつげきラーメン+ジャンボ餃子(4ケ)」\1,090


「中華丼」\730


いや、とても美味しかった~


で、食後に・・・(;^_^A)


しばらくぶりに来てみたら・・・





?!!? 俊ちゃんが\550 、ずうとるびが\1,100~ ?!!? ( ゚Д゚)

で、お買い上げはコチラ↓


タツローの「IT' A POPPIN' TIME」\16,500 ではなく、
松崎しげると寺尾聰の2枚(どちらも\110)(;^_^A)


この日最後は、おばちゃんたちに教えてもらった「女化(おなばけ)神社」(龍ケ崎市)。

  
Wikipediaには「社地は牛久市女化町内の飛地にある。」・・・ってどういう意味? 牛久市なの? 竜ヶ崎市なの?

祭神は保食命(うけもちのかみ)で、五穀豊穣・商売繁盛の女神だそうです。

「女化稲荷社」→「保食神社」→「女化神社」へと改名した歴史があるようですが、「女化稲荷神社」と呼ばれることが多いようで、現在の社殿は平成14(2002)年に再建されたものです。











周辺は「女化原」と呼ばれる元原野で、『女化物語』という民話が伝わり、その一つは、牛久城主岡見氏の老臣・栗林義長が猟師に狙われていたキツネを助けると、社前に亡き妻に似た女がおり・・・というような・・・



確かに原野かも・・・



いやあ、近場にこんな面白いところがあったなんて・・・また訪れたい牛久市です! 竜ヶ崎市も!




帰り道、牛久学園線(国道408)のアメリカフウ(モミジバフウ)がきれいでした。

Posted at 2023/11/25 21:14:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | オデッセイ | 日記
2023年11月13日 イイね!

仙台ドライブ(2日目)

仙台ドライブ(2日目) 仙台ドライブ2日目は仙台市を離れ、海の方へ。


まず訪れたのは「多賀城跡」(宮城県多賀城市)です。




奈良~平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀中頃まで東北地方の政治・軍事・文化の中心地であったところで、平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに日本三大史跡に数えられています。

「多賀城跡管理事務所」わきの駐車場へ停めたので、いきなり「政庁跡」。

「政庁」は約900m四方という広大な城内の中央に置かれ、重要な政務や儀式が行われた場所です。








本来のルートとは逆と思いますが、「政庁跡」から「南門(なんもん)跡」へ。



多賀城創建1300年にあたる令和6年(2024)の公開に向け絶賛工事中。





「多賀城南門(なんもん)」の復元工事が進められていました。







「多賀城碑」(重文)




神亀元年(724)に大野東人(おおののあずまひと)が多賀城を築いたことなどが記されているそうです。



クルマで移動し、「東門跡」へ。




「東北歴史博物館」は月曜休館・・・
「多賀城廃寺跡」、見逃して来ました・・・😢


そして松島方面へ

「鹽竈(しおがま)神社」(宮城県塩竈市)


表参道下に駐車しました。



その昔、塩づくりを広めた鹽土老翁神(しおつちおじ)に案内を受けた陸奥国を鎮定した武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)の二柱が祀られた塩竈神社です。

「随身門」




元禄11年(1698)上棟。

「唐門」をくぐると正面に「左右宮拝殿」、右手に「別宮拝殿」があります。
祭神は向かって左側の右宮が経津主神(ふつぬしのかみ)、左宮が武甕槌神(たけみかづち)、別宮が塩土老翁神(しおつちおじ)とそれぞれ違います。





園児たちがお参り中でした。

仙台藩4代藩主伊達綱村の時に地鎮、5代吉村の時に竣工したという社殿14棟と鳥居1基が国重文です。

「銅鐵合製灯籠」


伊達9代藩主周宗(ちかむね)が寄進したという灯籠には、霊獣・端獣などがたくさんいました。

「蜃(しん)」


口から気を吐いて楼閣を作り出す霊獣。大蛤の姿もあり、火難除けの力があるとされる。

「白澤・白沢(はくたく)」


徳のある為政者の治世に姿を現し、万物の知識に精通する霊獣。病魔除け・コレラ除けの力があるとされる。

「麝香猫(じゃこうねこ)」


狸のような(?)顔の猫の端獣。

とても面白かった~


「志波彦(しわひこ)神社」


鹽竈神社のすぐ隣にあり、祭神は「志波彦大神」。
明治時代に鹽竈神社境内に遷座し、現在は1つの法人「志波彦神社・鹽竈神社」となっているようです。



帰りは「七曲坂」を下りて戻りました。225段の表参道より楽かも~。
流鏑馬神事ではこの未舗装路の坂を騎馬で上り下りするとのことです。


“東日本大震災による津波 この地点まで到達する”の碑がありました。



「円通院(えんつういん)」(宮城県松島町) \500


日本三景・松島にある臨済宗妙心寺派のお寺で、2代藩主・伊達忠宗の次男 光宗の菩提寺です。
コインPに停めることができました(30分\200)が、海沿いの観光地で賑わっており、クルマで行くと結構苦労する感じでした。

「雲外天地の庭」




「三慧殿」(圓通院霊屋)(国重文)


江戸城内において19歳で早世した伊達光宗の霊廟。
政宗の孫の光宗は、徳川幕府が恐れるほど文武に優れる逸材で、毒殺説もあるそうです。


三慧殿の厨子には、慶長遣欧使節を率いた支倉常長が西洋から持ち帰ったバラと、フィレンツェを象徴する水仙が描かれています。





境内にバラ園があり、「薔薇寺」の異名をもつそうです。


「洞窟群」


「三慧殿 禅林瞑想の庭」


本堂「大悲亭」





そして仙台ドライブ最後に訪れたのが、

「瑞巌寺(ずいがんじ)」 \700


「円通院」のすぐお隣です。



戦国時代末には廃墟同然にまでなっていた円福寺を、江戸時代に伊達政宗が復興・全面改築したんだそうです。

「庫裏」(国宝)




庫裏から本堂への「廊下」も国宝ですが、内部は撮影禁止でした。

警備員の方が、部屋によって天井の造りが違うことや、廊下も身分で歩くところが違うこと、3つの門は3mずつずらされていることなどなど、いろいろ教えてくださいました。m(__)m

「本堂」(国宝)


桃山建築の本堂。

「中門」(重文)


「御成門」(重文)




参道の杉並木は東日本大震災の津波の塩害で約300本が伐採されてしまったそうです。



「涌谷城跡(涌谷要害跡)」や「白石城跡」などにも行きたかったのですが、またの機会とし、帰路に着きました。

あ、2日目のランチですか?
松島周辺には、牡蠣、牛たん、海鮮丼・・・等々いろいろありましたが、急に寒くなり、コインP近くにあったラーメン屋さんに入りました。

味噌ラーメン \850 (;^_^A)


相方の塩バターの方が美味しかったです(笑)


帰路、オデくんの古いナビで結構苦労し・・・

松島海岸→岩沼(\1,190) 一旦下車(笑)、岩沼→谷田部(\6,330)と高速をひた走り(往きの倍以上の高速料金)、約4時間で無事帰宅しました。


スチグレくんの復活はあるんでしょうか・・・
まあ、スチグレくんのナビも昨年で地図更新終了・・・

スマホのナビを使いこなせるようにならなきゃ、ですね。


拙いブログをお読みいただきありがとうございました。m(__)m
Posted at 2023/11/19 09:00:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | オデッセイ | 日記
2023年11月12日 イイね!

仙台ドライブ(1日目)

仙台ドライブ(1日目) 仙台方面を1泊2日でドライブしてきました。

スチグレくんが不調のため、今回はオデくん。

タイトル画像は東北道のどこかのSA。

貴重なクルマを見ることができました~


東北道(矢板IC→仙台南IC(\3,520 休日割引))を使い、4時間20分で「瑞鳳殿」に到着。

無料駐車場が9時からでちょうどピッタリでした!
帰るときには数台並んで待ってました。

「瑞鳳殿(ずいほうでん)」(仙台市青葉区)\570







主君が仁のある政治を行うときに現れるという瑞獣「麒麟」(かな?)



1637年に建立された伊達政宗の霊屋。戦災によって焼失し、現在のものは1979年に再建されたものです。



本殿両脇には殉死した家臣15名と陪臣5名の宝篋印塔が並んでいます。





独眼竜政宗と称されますが、竜の彫刻は無く、屋根に居るだけだそうです。




「スケート靴のような石畳み」




最近、結婚・離婚した彼の影響が大きい地です。
しかし、なんだかなあ・・・


二代 伊達忠宗の霊廟「感仙殿(かんせんでん)」と、三代 伊達綱宗の霊廟「善応殿(ぜんのうでん)」などもあります。






「仙台城跡(青葉城址)」と「大崎八幡宮」(国宝)はコペン納車の翌日に訪れてるので今回はパスしました。
納車→仙台へ(2017.3.4)


予定よりだいぶ早く着き、また雨の予報でしたがいい方に外れたので、2日目に予定していた「秋保温泉郷」へ行きました。

「秋保・里センター」(観光案内所・レストラン)が無料駐車場なのでそこへ。
ほぼ満車でした。

「磊々峡」を散策しました。



「らいらいきょう」、読めないですねえ。

“清流と巨岩奇石が織りなす峡谷”で約650mの遊歩道が整備されてます。





「奇面巌」






「秋保・里センター」に戻ったら何やら行列が。





新米の「秋保米(ひとめぼれ)」の試食、先着100名様で、並んでみました。





新米とタラコ、美味しかった~

で、足湯(無料 4~11月の土日祝)にも入って・・(#^.^#)


で、評判という「さいち」さんの「秋保おはぎ」(2こ\280)を購入。
「なかよく食べな~」とご指導いただきました。(;^_^A)





いやあ、「秋保おはぎ」、とっても美味しかった~!

この日のお昼は豪勢に「牛たん」!と考えてましたが、結局2人で\280。(笑)


ランチ(笑)の後、もう少し奥まで行ってみました。

「秋保大滝不動尊(西光寺)」




立派な不動様でした。



境内の裏から少し階段を下りると・・・

「秋保大滝」


高さ55m、幅6m、日本の滝百選。
思ってた以上の滝でした!

不動滝橋Pに停め、急な階段を下りて下まで行ってみました。






「慈眼寺(じげんじ)」


「大峯千日回峰行」(山道を一日48km、千日間歩く修行)、「四無行」(九日間、食べず、飲まず、寝ず、横にならずを続ける修行)を満行した仙台市生まれの住職・塩沼亮潤大阿闍梨が2003年に開山したお寺です。


「秋保神社」




平安初期、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷平定の折、この地に熊野神社を祀り、室町時代には秋保村領主秋保氏の祖先、平盛房が諏訪神社の御神霊を勧請し「戦の神」として崇拝。
伊達二代藩主忠宗公より伊達家の永久祈祷が仰せ付けられたという歴史がある神社です。

境内にはたくさんの“勝負の神”の幟がありました。

「トヨタ自動車東日本レガロッソ」は宮城県を本拠地とする男子ハンドボールチーム。

「秋保神社」のHPによると、山形県の村山ピジョン自動車整備工場が運営するレーシングチーム「RSオガワ」がホームコースの菅生で暫く勝てずにいたところ、「秋保神社」に参拝すると優勝。その後も参拝し必勝祈願すると、富士・岡山と勝ち星をあげ、シリーズチャンピオンに輝いたそうです。

みんカラ Teru@しろくろシビックさんのブログ
MMC走行会に向け、RSオガワ・小川さんのところに挨拶に行く


仙台中心部に戻り・・・

「仙台東照宮」(仙台市青葉区)

↑「鳥居」(国重文)
主な部材の花こう岩は政宗の夫人 振姫の郷里・岡山県犬島から海路で運ばれたそうです。

仙台藩2代藩主伊達忠宗が創建、徳川家康をまつる神社で「東照宮」が正式名称。
徳川家康をまつる「東照宮」は諸大名が競って勧請し、全国に508社もあるんだとか。


天正19年(1591)に家康が一揆鎮圧の視察を終え、この地で政宗と休息したといういわれがあるようです。
政宗没後、領内で大火、大洪水など災害が続き、藩財政が重大な危機の中、仙台城の正確な北東に鬼門鎮守としての創建も由縁の1つだそうですが、財政は大丈夫だったんでしょうか?

大工棟梁は、大崎八幡宮本殿(国宝)、瑞巌寺本堂(国宝)などを建築した梅村彦作之三。
唐門、本殿など4棟と鳥居1基が国の重要文化財に指定されています。

随身門(重文)




唐門(重文)


透塀(重文)と本殿(重文)


徳川家康像を安置する本殿は非公開です。



東北最大ともいわれる御神輿に乗せて、江戸から仙台まで7日かけて渡御したという御神体は見ることができませんでした。


この日のドライブはこれで終了。
助手席のお方様を宿に送り届け、私は1人、仙台駅前を走り・・・





ま~ったく掘れませんでした・・・(T_T)
(いつもながらアホやな~)

拙いブログをお読みいただきありがとうございます。m(__)m
2日目に続きます。
Posted at 2023/11/19 06:17:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | オデッセイ | 日記
2022年11月12日 イイね!

ディスプレイラック~吉見町ドライブ

ディスプレイラック~吉見町ドライブ去年、「コスモス・ポンポン・ドライブ+「オールドカーin川島町2021」(2021.10.24)の時に行きはぐった(行きそこなった)場所に行って来ました。








ランチは「味のきんせい」(埼玉県比企郡吉見町)で。

白湯ラーメンセット(\900)


サクサク・ふわふわのアジフライ付き~

デラックス定食(\1,160)




チャーハンは大盛?! 餃子がでかい!

美味しくいただきましたが、食べすぎで苦しい・・・(;´Д`)


お腹をさすりながら、目的地に到着。

「岩殿山安楽寺(吉見観音)」(吉見町)






「仁王門・仁王像」(県指定建造物)






仁王像は平成8~10年の解体修理で、その胎内から元禄年間の造立時の寄進者を列記した板が11枚発見されたそうです。







「安楽寺本堂」(県指定建造物)






坂東11番の札所。
約1200年前に聖武天皇の勅命を受けた行基が観世音菩薩像を彫り岩窟に納めたことが始まりと伝えられています。

幼少期に身を隠していた源頼朝の弟・範頼(のりより)が、本堂・三重塔を建立したが北条氏との戦いですべて消失し、現在の本堂は今から約350年前に再建されたものだそうです。
東に約500mのところに「伝範頼館跡」と呼ばれる息障院があるそうなので、そちらはまた次の機会に訪れたいと思います。

「安楽寺三重塔」(県指定建造物)


高さ約24.3m。本堂・三重塔・仁王門・大仏等の中では最も古く、約380年前の寛永年間の建築とのこと。


次に訪れたのは「岩室観音堂」(吉見町)


「吉見百穴」のすぐお隣、岩肌に張り付くようなお堂です。

弘法大師が観音像を彫刻して岩窟に納め、岩室山としたと伝えられているお堂です。天正18年に建物の全てが焼失。現在のお堂は江戸時代に再建したものと伝えられています。

1階にはお地蔵様






階段を上がった2階には観音様が祀られています。




「吉見百穴」が見えました。


観音堂の奥に「胎内くぐり」があります。


鎖を頼りに上り、ハート型の穴をくぐってみました。




「松山城跡」はこの上になるのでしょうか? ここはもしかして元は城門・・・?

「松山城跡」もまた次に機会です。


この日はスチグレ君ではなく、オデ君。


なぜなら・・・

リサイクルショップで見つけたコレを持ち帰るためだったのです。


「ディスプレイラック」と呼ばれる物で、帰宅後、ポイントを全て使い、搬入を手伝ってもらいました~。

これで少しはジャンクレコを整理できるかな・・・(^-^;)
Posted at 2022/11/13 20:50:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | オデッセイ | 日記
2022年01月09日 イイね!

アクアワールド~初詣ドライブ(大洗町など)

アクアワールド~初詣ドライブ(大洗町など)「アクアワールド茨城県大洗水族館」(大洗町)への送迎を引き受けてしまい、その間に初詣をして来ました。


まず、那珂川を挟む2社で1つの信仰を形成しているという神社を訪れました。


1つ目、「大洗磯前(おおあらいいそさき)神社」(大洗町)です。


あ、今回のドライブはオデくん。初出? 
誘導され、松林の奥へ駐車(無料)です。

一の鳥居、二の鳥居はスルーし、これは三の鳥居かな?


水戸藩主の徳川光圀・綱條(つなえだ)が再興したそうで、本殿・拝殿・随神門が茨城県・大洗町の文化財に指定されています。

「随神門」


「拝殿」








「本殿」




御末社として、本殿南側に八幡宮、水神社、大杉神社が、北側に大神宮、静神社、水天宮が祀られています。





波間に立つ「神磯(かみいそ)の鳥居」は車中から拝むことができましたが、写真に収めることはできませんでした。画像はネット上から拝借いたしました。



そして2つ目、「酒列磯前(さかつらいそさき)神社」(ひたちなか市)へ。

カーナビで辿り着いた場所がここ。




で、海岸の駐車場にクルマを置き、急坂を上がりました。
(神社前には広い駐車場がありました~ (>_<))

「水戸藩九代藩主徳川斉昭公お腰掛石」


「拝殿」


「リスとぶどうの彫刻」は左甚五郎の作と伝わるそうです。



リスと栗じゃなくてホッとしました(馬〇)。

「本殿」


兄弟なんだ~


『周辺海岸の岩石群は南に約45度に傾斜して並んでいるが、その内の一部の北に傾いた部分、すなわち「逆列(さかつら)」の地名が社名の由来とされる。のちに酒の神様を祀るところから「酒列」となったとされる。』 だそうです。


「川子塚古墳(かごづかこふん)にちょっと立ち寄りました。(ひたちなか市指定史跡)



阿字ヶ浦海岸を見下ろす那珂台地に残存する最大級の前方後円墳(約85m)。


早めのランチは「うどん市」でランチセット(\800くらい)を。





次に訪れたのは「村松山虚空蔵堂(むらまつさんこくうぞうどう)日高寺」(東海村)です。


近くの民家の駐車場(\300)を利用したのですが、境内脇の無料駐車場が空いてました。
まあ、そこまで行くにはかなり人混みの中を進まないと行けなません。

また、すぐ奥の「村松大神宮にも参拝者用駐車場がありますが、こちらには「日高寺参拝の方は駐車できません」のような意の看板がありました。

 ① 虚空蔵堂駐車場(たぶん無料)
 ② 村松大神宮駐車場(たぶん無料)
 ③ 民家の駐車場(\300)
 ④⑤ たぶん無料の駐車スペース


「仁王門」






なぜか、境内に電子タバコ?の体験コーナーが!?


狛犬? 右は牛だと思うのですが、左は??




空海作と伝わる虚空蔵菩薩がご本尊で、伊勢朝熊山金剛證寺(伊勢市)、圓蔵寺(福島県柳津町)とともに日本三大虚空蔵堂の一つだそうです。

「本堂」








「三重之塔」(1998年に1716年建立の塔を再建したもの)




「多宝塔」


1900年に火災でほぼすべてが消失し、現在の建造物はその後再建されたものだそうですが、かなり立派でした!


そしてすぐ隣り奥にある「村松大神宮(むらまつだいじんぐう)」(東海村)もお参りしました。


伊勢神宮から直接分霊され、「茨城のお伊勢さん」と信仰を集める、創建西暦700年頃とされる由緒ある古社です。

「神社界最高尊神」!

自分で言うのもなあ~(^-^;




さて、アクアワールドへ戻るまで約1時間半。

さらに北に進み・・・


鈴木英人のイラストが色あせたような感じの店へ。

制限時間7分。・・・戦果は0(馬〇)。


アクアワールドのオーシャンシアターは、大洗町成人式で貸し切り(13~14時)だったそう。

いやあ、とてもいいお天気で、オープンで走りたかったな~(オデくんごめん・・・)

第6波が来ているので、行かない方が良かったか・・・
しかし、こんな思い、いつまで続くんでしょうね・・・
Posted at 2022/01/10 12:49:48 | コメント(1) | トラックバック(0) | オデッセイ | 日記

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スチグレ・タンレザーに一目惚れした「ねも」と申します。2017年3月に10年・10万km超の中古を手に入れることができました。愛車を通じて皆さんと交流できたら幸...

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