
クルマ・ジャケコーナー第337回は、Tinnaの「童夢~DOME IS A CHILD'S DREAM」(1979)です。
Tinna(ティナ 1979 - 81)、ご存知でしょうか?
Tinna(ティナ)は、惣領智子と日系アメリカ人の高橋真理子(元ペドロ&カプリシャスの高橋真梨子とは別人)のデュオ
惣領智子(そうりょうともこ 1952 - )は惣領泰則の元妻で、現在は阿部敏郎の妻であることは、
クルマ・ジャケ「TOSHIRO-ONE」/阿部敏郎 でふれました
2人は、惣領泰則(そうりょうやすのり 1949 - )が結成した「ブラウン・ライス(Brown Rice)」(1971 - 75)のメンバーでした

↑ おそらく、右端が惣領泰則でその隣が惣領智子(この時はまだ吉原智子?)、赤い服の女性が高橋真理子だと思います(他の2人はベースの金田一昌吾、ボーカルの池田美和(よしかず)??)
「ブラウン・ライス」は渡米し、1974年には、エンゲルベルト・フンパーディンクの前座としての全米各地を回ったり、フランク・ザッパやWARと共にコンサートを行ったり、アルバム「旅の終りに」制作するなど4年ほどアメリカで活動
『カントリー・ドリーマー』は、ポール・マッカートニーがブラウン・ライスのために書き下ろした曲のようです
『カントリー・ドリーマー』/ブラウン・ライス(1973)
作詞:阿久悠、作曲:ポール・マッカートニー
↑ こんなコンビの曲もあったんですね~😲
しかし、アメリカで多額の税金をかけられ、世界進出目前で撤退、「ブラウン・ライス」は解散(1975)・・・😿
惣領智子はソロとして活動(1976 - 78, 81 - )
『終わりのない歌』/惣領智子(1978 4thシングル)がオリコン21位とヒット
作詞:及川恒平、作編曲:惣領泰則
TBS系列のTVドラマ「愛がわたしを」の主題歌
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終わりのない歌 惣領智子
3rdアルバム「TOMOKO NOW AND THEN」/惣領智子(1978)
1st~5thシングルAB面+2曲のベスト盤
6曲が自身の作詞作曲、惣領泰則が全編曲
そして1979年、惣領泰則のプロデュースで「Tinna(ティナ)」が結成されます
1stシングル『Let Me Love You』(1978)
作・編曲:惣領泰則、作詞:ビル・クラッチフィールド、唄:ティナ、演奏:ブラウン・ライス
1stアルバム「POLE POSITION F1-GP Let Me Love You」(1978)
イタリアのF1ドキュメンタリー映画「ポールポジション(原題:Formula uno, febbre della velocità / 英題:Speed Fever)」(1977)の日本独自企画サントラ盤
日本独自のサントラ!?って映画の音楽のみを差し替えたってことでしょうか❓
帯には“東映洋画「ポール・ポジション」オリジナルサントラ盤”とあります
『Let Me Love You』『Pole Psition』『Live As A River』がティナの歌モノ(英歌詞)
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LET ME LOVE YOU / TINNA
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POLE POSITION / TINNA
映画「ポール・ポジション」は、1976年ドイツグランプリでのニキ・ラウダ炎上などの事故映像を中心に扱っていることから、現在ではモンド映画の一つとされてるようです
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Niki Lauda ("Formula Uno, Febbre della velocità" 1978)
2ndアルバム「ロング・ディスタンス LONG DISTANCE」/TINNA(1978)
惣領泰則が全作編曲、作詞は阿久悠、及川恒平、惣領智子ら
4thシングル『もうひとつの心』/TINNA(1979)
作詞:及川恒平、作編曲:惣領泰則
TVドラマ「愛と喝采と」テーマ ジャケは十朱幸代と渡瀬恒彦
十朱幸代演じる元歌手・音楽プロダクション社長が、自分が果たせなかった夢を新人歌手・武井吾郎に託す・・・というストーリーで、この新人歌手を演じたのが、デビューから3年半、売れずにいた岸田智史!
タイアップで劇中歌『きみの朝』がヒットし、物語はまさに現実に!
『きみの朝』/岸田智史(1979 8thシングル)
ドラマの中では当初『モーニング』というタイトルだったそうです
作詞:岡本おさみ、作曲:岸田智史、編曲:大村雅朗
岡本おさみは「愛と喝采と」の脚本家・岡本克己の実弟
4thアルバム「マンディ・モーニング・レイン」/TINNA(1979)
1st~6thシングルなどを集めたベスト盤
5thシングル『マンディ・モーニング・レイン』(1979)、6thシングル『スペイシー・カウボーイ』(1979)は、どちらも作詞:松本隆、作編曲:惣領泰則
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Tinna / Manday Morning Rain
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Tinna Spacy Cowboy
シティポップ~❣
5thアルバム「1999」/TINNA(1980)
↑ 最後はなぜかこんなジャケのアルバムをリリースしてTinnaは解散
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ティナTINNA /1999 (1980年)
惣領泰則、Tinna(ティナ)、要 再評価と思います
さて、本日ご紹介のクルマ・ジャケ・レコは、
「童夢~DOME IS A CHILD'S DREAM」/TINNA(1979 3rdアルバム)

↑ おそらく、左が惣領泰則、右が高橋真理子
株式会社童夢代表・林みのるの実弟・林正史の企画による、2時間TV番組「栄光のルマン24時 -童夢挑戦の記録- 」(1979)のサントラ盤
曲間に、ルマン24時間耐久レース(1979 6/9,10 仏サルテサーキット)で録音されたSEが入り、全9曲のうち英詞7曲(ビル・クラッチフィールド)、日本語訳詞1曲(岩谷時子)、インスト1曲、作編曲はもちろん惣領泰則
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TINNA/童夢
ライナーノーツには、惣領泰則が京都にある童夢の自動車工場を訪れ「童夢0(ゼロ)」が組み立てられているのを見たことや、フランスでのルマン24時間耐久レースを見に行ったことが書かれてあります
で、ジャケのクルマは・・・
「童夢-零 RL」
株式会社「童夢」(どうむ 1978 - )のルーツは、1965年に林みのるが設計・製造し、浮谷東次郎の運転でレースに出場したホンダ・S600改造車
↑ ツヤ消し黒(マットブラック)で通称「KARASU」
林みのるは、1975年にビジネスとして成り立つスポーツカー製造を目指し、従兄である林将一のハヤシレーシング内で童夢プロジェクトを進めます
1978年、「株式会社童夢」を会社登録し京都に本社を建設
「童夢」と言えば・・・
「Every Good Boy Deserves Favour(童夢)」/ムーディ・ブルース(1971)
全英1位となったムーディ・ブルースの7thアルバムですが、林みのる氏がプログレファンだったかどうかはわかりません・・💦
1978年、第48回ジュネーブ国際自動車ショーでスーパーカー「童夢-零」の試作車を発表
一躍脚光を浴び、「童夢-零」の量産化を目指すも、当時の運輸省が難色を示したため断念
アメリカ法人「DOME USA」を設立し、「童夢 P-2」を製作しアメリカでの認可取得を目指しましたが、これも実現なりませんでした・・・😿
しかし、「童夢-零」の玩具ライセンス収入を元に、ル・マン24時間を目指すレーシングプロトタイプ「童夢-零 RL(レーシング ル・マンの略)」の製作へ
F1用に販売されていたフォード・コスワース・DFVエンジン(3L V8)を搭載した「童夢-零RL」で1979年のル・マン24時間レースに初挑戦!
予選では参加車で最速の340km/hを記録し注目を集めるも、本選では無念にも、7号車がエンジントラブル、6号車はガス欠でリタイア・・・
ジャケの「童夢-零 RL」は、序盤5位を保つも1時間20分でオーバーヒート、ピットインを繰り返した末に3時間でリタイヤした7号車のようです
↓ 画像はネット上のモデルカー
レコのインサートと同じ「Tinna」のステッカーが見えます
“翌年のRL80で日本車初のルマン完走”など詳細はコチラで ↓
Youtube
ルマン初参戦でいきなり最高速 欧州勢に潰された幻の童夢 零【解説】【童夢 零】
大きな夢をもって海外に挑戦した「童夢」と惣領泰則の「ブラウン・ライス」・・・
その足跡は大いに評価されるべきではないでしょうか
F1やルマン24のサントラを歌った「ティナ」の2人もね💛
【登場車両】
童夢-零 RL 7号車 1979
【自己採点】
クルマ度 8点(子供たちに、いや大人にも大きな夢を与えた童夢❣)
魅惑度 8点(美人・クルマ・ジャケ💛)
音楽度 8点(シティポップとして再評価されても…)