クルマ・ジャケコーナー第134回は、Johnny Mathisの「Those Were The Days」(1968)です。
Johnny Mathis(ジョニー・マティス 1935 - )、ご存知でしょうか?
『数十枚のアルバムがゴールドまたはプラチナステータスを獲得し、73枚のアルバムがビルボードチャートにランクイン。(中略)4 億枚以上のレコードを販売しており、エルヴィス・プレスリーとフランク・シナトラに次いで 20 世紀で 3 番目に売れたアーティスト』(Wikipediaより)
デビューシングル『Wonderful! Wonderful!』(1956)が大ヒット!
「Wonderful, Wonderful」(1957 2ndアルバム)
代表作に『Chances Are(恋のチャンス)』(1957)、『Misty(ミスティ)』(1959)、『Too Much,Too Little,Too Late(涙のデュエット)』(1978 Deniece Williamsとのデュエット曲 全米1位)などがあります。
『Misty(ミスティ)』(1954)は、ジャズ・ピアニストのErroll Garner(エロル・ガーナー 1921 - 77)が作曲したバラード。
映画「Play Misty For Me(恐怖のメロディ)」(1971 クリント・イーストウッド初監督作品)で、人気DJに執拗につきまとう女ストーカーが毎日リクエストしてくるのがこの『ミスティ』でした。
エロル・ガーナー、1枚だけ持ってました。
「Concert By The Sea」/Erroll Garner(1955)
『Too Much,Too Little,Too Late(涙のデュエット)』が全米1位の時、2位はJ.トラボルタとオリビアの『Yoe’re The One That I Want(愛のデュエット)』だったようです(1978年6月3日ビルボード100チャート)。
クルマ・ジャケ「You're the One That I Want(愛のデュエット)」/Olivia Newton-Johnでご紹介してます。
その他、Dionne Warwic(ディオンヌ・ワーウィック)との『Friends in Love(フレンズ・イン・ラヴ)』(1982)、Ray Charles(レイ・チャールズ)との『Somewhere Over the Rainbow(虹のかなたに)』(2004?)など、デュエットのヒット曲もたくさんあるようです。
「Friends In Love(フレンズ・イン・ラヴ)」/Dionne Warwic(1982 22ndアルバム)
タイトル曲とB2『Got You Where I Want You(二人の定め)』もマティスとのデュエット。
バックが凄くて、D.フォスター(P.Syn.)がA1,2,4, B2,5に、J.グレイドン(G.Syn)がA1,2,3,4, B1,2,3,5に参加してるほか、ギター陣にS.ルカサー(A4)、M.ランドウ(B4)、L.カールトン(A5)などが名を連ねてます。
さらにコーラスにビル・チャンプリン、リチャード・ペイジとAOR好きにはたまらない布陣です。
『Over the Rainbow(虹のかなたに)』は、Rainbow(レインボー)がライブのオープニングで演ってましたね。
「On Stage」/Rainbow(1977)
さて、本日ご紹介のレコ以外で私が持ってるJ.マティスのアルバムは・・・
「Johnny Mathis in Person: Recorded Live at Las Vegas」(1972)
「Me and Mrs. Jones(ビリー・ホリディ物語)」(1973)
「I'm Coming Home」(1973)
「Feelings」(1975)
「You Light Up My Life」(1978)
「Friends in Love(愛にゆれて)」(1982)
先に紹介したディオンヌ・ワーウィックとのデュエット曲『Friends in Love』、『Got You Where I Want You』(J.グレイドンがアレンジ・指揮)を収録!
「A Special Part of Me」(1984)
「Misty/Johnny Mathis Greatest Hits」(19??)
↑ このアルバムとは違うと思いますが、「Johnny's Greatest Hits」(1958)は490週連続でチャートインし、その記録を破ったのはピンク・フロイドの「Dark Side Of The Moon(狂気)」(1973)。
そして、本日ご紹介のクルマ・ジャケ・レコが・・・
「Those Were The Days(悲しき天使)」/Johnny Mathis(1968)
サイモン&ガーファンクルの『The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)(59番街橋の歌)』など、ヒット曲カバー中心のアルバム。
タイトル曲『Those Were The Days(悲しき天使)』は、ソ連からの亡命者によって欧米に広められ、作者不詳の「ロシア民謡」となり、Gene Raskin(ジーン・ラスキン)が英語版を自作として発表(1962)し、ラスキンの作品と呼ばれるようになったそうです。
アップル・レコードの最初のレコードはこの『悲しき天使』(1968)。
Mary Hopkin(メリー・ホプキン1950 - )のデビューシングルでポール・マッカートニーがプロデュース。
「Those were the days」は「あの頃はよかった、あの頃がなつかしい」という意味で、壮年期の人間が青春時代を思い返し美化している歌なんだそうで・・・( இωஇ )
コチラでも登場してます。↓
「FROM RYOKO WITH LOVE」/森山良子
さてさて、ジャケのクルマは・・・
初代マスタング(ムスタング)ですね!
フォード副社長アイアコッカの「アメリカの民衆はスポーツカーは好まない。スポーツカーのように見える車を好むのだ」の持論を元に開発されたスポーティカー(ハイパフォーマンス仕様車もあるのでスポーツカーとも言えるかも)。
安価なベース車に膨大なオプションを組み合わせる「フルチョイスシステム」を取り入れ、フォード・モデルT以来の大ヒットとなり、日本でもスペシャリティカー・ブームが訪れます。
「フルチョイスシステム」方式を踏襲した初代セリカ(1970 ‐77)
リフトバック(LB)の登場は1973年。
セリカLBよりも早く登場した三菱・ギャランGTO(1970 - 78)
【登場車両】
Ford Mustang Hardtop 初代前期(1964 - 68)
【自己採点】
クルマ度 7点(マッスルカーではなくポニーカーと呼ばれるそうです)
魅惑度 8点(写り込み系ですが、王道のクルマ・ジャケ!)
音楽度 6点(あの頃がなつかしい・・・?)