鎌倉ドライブ、いよいよ最終回!(笑)
「万福寺」から相模湾沿いの道を走り、昨日見逃したお寺をいくつか回りました。
「安養院」(鎌倉市)
専用駐車場(4,5台?)が境内下にありました。
拝観料\200を箱に入れ境内へ。
本堂手前の右手にソテツ、左手には樹齢7百年のマキの巨木。
北条政子が頼朝を供養するために建てた長楽寺などが前身で、「安養院」は政子の法名。
本堂裏手に、北条政子の墓といわれる石塔と、鎌倉時代後期(1308年)建立の宝篋印塔(ほうきょういんとう)(国重文)があります。
本堂の北条政子の像などの拝観はできないようでした。
↓ 大正時代の制作とみられる政子像(画像はネット上からお借りしたもの)。
小池栄子、良かったですね。
念願の大河出演、しかも主役級!
讀賣新聞オンライン(2022/12/8 配信)にこんな記事がありました。
尼将軍と呼ばれた北条政子、晩年の姿を3Dプリンターで復元…「強さや悲しみ読み取れる」
安養院にはもう1体、制作年代不明の政子像があり、傷みで表情が判らず、今回それをスキャナーで読み取り、3Dプリンターでレプリカを作成したとのこと。
また、像の木片を放射性炭素で測定した結果、室町時代から江戸時代初期と判明したそうです。
次に
「来迎寺(らいこうじ)」へ向かいました。
鎌倉市内に2つの「来迎寺」(西御門・材木座)があり、
まず、
鎌倉市西御門の「来迎寺(らいこうじ)」
1293年(永仁元年)、一向によって開山されたというお寺です。
明治の神仏分離により、頼朝を葬った法華堂(現・白旗神社)にあった3体の像がこちらに移されということですが、よく見ることができませんでした。
そして、
鎌倉市材木座の「来迎寺」 駐車場あり。
材木座の来迎寺は、1194年(建久5年)、頼朝が三浦義明(みうらよしあき)の菩提を弔うために建立した寺(当初は「能蔵寺」)だそうです。
三浦義明は89歳にして頼朝の挙兵に呼応し、当時平氏方だった孫の畠山重忠に攻められ討死した武将(和田義盛、三浦義村の祖父)です。
三浦義明と多々良重春の2基1組の五輪塔(お墓?)
本堂裏には三浦一族の墓(?)がありました。
「補陀洛寺(ふだらくじ)」(鎌倉市材木座)
頼朝が鎌倉入りした翌1181年に平家打倒の祈願所として創建されたと伝わり、開山は文覚上人、開基は源頼朝。
ここ補陀洛寺には、「平家の赤旗」が保管されているそうです。
70cm×40cm程度の大きさで、頼朝が平家を滅ぼした際、平家の大将・平宗盛の大将旗を持ち帰ったものと伝わるそうです。普段は公開してません。
そして最後に訪れたのは
「光明寺(こうみょうじ)」(鎌倉市材木座)です。
山門前に広い駐車場がありました。
鎌倉最大級の山門です。
山門のすぐ近くに高倉健の墓碑がありました。
なんでも、高倉健さん家は鎌倉幕府最後の14代執権・北条高時の末裔であると伝えられているそう・・・
現在、「大殿(本堂)」(国重文)は令和の大改修中。
4代執権・北条経時の帰依を受けた良忠上人が1243年に創建したと伝わります。
徳川家康が主要な浄土宗寺院18ケ寺とした「関東十八檀林」の首座であり、関東総本山。
徳川家康といえば・・・
2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」!
どうする古沢良太、どうやる松潤?!
ごく一部のグルメ情報を求めてる方のために・・・(笑)
ランチは「めしやっちゃん」(逗子市) 駐車場あり・P補助あり
釜揚げしらす丼(\1,000)、穴子天丼(\1,300)をいただきました。
テラス席がいい感じでしたよ。
以上で鎌倉観光終了~ 明るいうちに帰宅いたしました。(^-^;)
長々とお付き合いいただきありがとうございました。m(__)m
やっとクルマ・ジャケの方に取り掛かれる~ (;^_^A)
Posted at 2023/01/06 20:23:28 | |
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