クルマ・ジャケコーナー第136回は、フランク永井の「恋心」(1967)です。
フランク永井(フランクながい 1932 - 2008)、ご存知でしょうか?
アメリカ駐留軍の下士官クラブ専属ジャズ・シンガーをしながら、「ノド自慢荒らし」と名をはせ、1955年(昭和30年)にビクターと契約。
同年9月に『恋人よ我に帰れ』でデビュー。
A面は羽生奈々子の『時計のまわりで踊ろう』 ?
フランク永井のデビューSP盤「恋人よわれに帰れ」(1955:S30)を追ってから画像をお借りいたしました。詳細もコチラに載っています。
ヒットに恵まれず、ジャズから歌謡曲に転向し、有楽町そごうキャンペーンソング『有楽町で逢いましょう』(1957)が大ヒット!
作詞:佐伯孝夫、作編曲:吉田正。
映画「有楽町で逢いましょう」(1958)の主題歌でもあります。
松尾和子とのデュエット曲『東京ナイト・クラブ』(1959)などもヒット!
『東京ナイト・クラブ/大阪ぐらし』カップリング盤(ゴールデンベスト 1980)
『東京ナイト・クラブ』は作詞:佐伯孝夫、作編曲:吉田正。
『大阪ぐらし』は作詞:石浜恒夫、作編曲:大野正雄。
『君恋し』(1961)も大ヒットし、日本レコード大賞を受賞!
二村定一のヒット曲をジャズ風にアレンジしたそうです。
作詞:時雨音羽、作曲:佐々紅華。
『有楽町で逢いましょう/君恋し』(ゴールデン・ミリオン・シリーズ1976)
参考
「フランク永井データブック」に掲載していないレコード類
『霧子のタンゴ』(1962)、『妻を恋うる唄』(1965)などもヒット!
『霧子のタンゴ/哀愁のバイパス道路(ロード)』/フランク永井/平尾昌晃(1962)
こんなカップリングのシングル、当時は普通にあったんでしょうか?
『霧子のタンゴ』は作詞曲編曲:吉田正。『哀愁のバイパス道路』は作詞:水島哲、作編曲:吉田正。
『加茂川ブルース』(1968)
作詞:東次郎、作編曲:吉田正。
『おまえに』(1977)
↑ 元は『大阪ろまん』(1966)のB面曲。A面にして再発売しヒット!1977年にも再録音されヒット!
ジャンク箱からこんなに見つかりました~。
こんなシングルもあります!
『WOMAN』(1982)
50歳の時にリリースした山下達郎プロデュース作品! 作詞曲:山下達郎。サントリー「樹氷」のCM曲。
B面『愛のセレナーデ』は作詞:伊藤銀次、作曲:山下達郎。
なぜこのお二人が・・・?
持ちかけたのはタツローからだそうで、詳しくは
「山下達郎の作品「WOMAN」とフランク永井」に書かれてあります。
タツローの楽曲提供は、マッチ、キムタク、KinKi Kidsなどジャニーズ関連にも多く、近藤真彦(こんどうまさひこ 1964 - )には5曲を提供してます。
『恋のNON STOPツーリング・ロード』(作詞:すずきひさし、作編曲:山下達郎)は4thシングル『ギンギラギンにさりげなく』(1981)のB面曲。
そして、7th、15thシングルはAB面とも作詞:松本隆、作編曲:山下達郎です。
『ハイティーン・ブギ/Momoko』/近藤真彦(1982 7thシングル)
『永遠に秘密さ/One more time』/近藤真彦(1984 15thシングル)
タツローは、2nd~4thシングル『横浜チーク』『ブルージーンズ・メモリー』『ギンギラギンにさりげなく』ではコーラスで参加してるようです。
マッチのレース活動での活躍、クルマ好きについては省略しますが、愛車の1台には1956年製 AlfaRomeo Giulietta !
しかしなぜ、タツローがマッチに・・・?
RCAレコードのディレクター小杉理宇造が、山下達郎・近藤真彦・桑名正博を担当していた関係からだそうですが、、、
この小杉氏、タツローの1stアルバム「CIRCUS TOWN」(1976)のアメリカ・レコーディングを実現させ、1982年に33歳でMOON RECORDS(ムーン・レコード)を立ち上げ、その後45歳でワーナーミュージック・ジャパンの会長職にまで上りつめた人物。
↓ コチラに詳しく載っています。
Musicman インタビュー「第28回 小杉 理宇造 氏」
さて、フランク永井ですが、そのディスコグラフィーは多すぎて数えるのも大変でしたが、1985年までにシングル245作(78回転盤のSPレコード含む)、アルバム約52作(ライブ・ベスト等を含む)をリリースしているようです(かなり曖昧です)。
私がジャンク箱から掘り出したLPは・・・
「フランク永井 ステレオ・ハイライト」(1964 SJV-1 \1,500) 2ndアルバム?
『逢いたくて』『君恋し』『東京ナイト・クラブ』『霧子のタンゴ』『有楽町で逢いましょう』などを収録。ベスト盤?
「フランク永井 at RO-ON」(1964 SJV-64 \1,500) 大阪労音実況録音盤
「フランク永井 ステレオ・ハイライト」に入ってる曲は収録されておらず、『大阪ぐらし』、『恋うた(ラブ・コール)』『赤ちゃんは王様だ』や『グリーン・フィールズ』など海外のフォークソングが入っています。
曲間のおしゃべりもソフトな甘い声。
「魅惑の低音 フランク永井ベスト・ヒット」(1966 ? JV-222~3-S \2,000)
デビューして12年のベスト盤。
ロータス・セブンの写真とともにこんなクレジットがありました。
「カーマニアとしての彼もかなり有名だ。現在は、ジャガーEタイプ(乗用)、ジャガーSタイプ(スポーツ)、それに国産車の三台を持っている。ニ、三年前まではスチュードベーカーなどアメリカ車にのっていたが、だんだん、シンプルでしかもゴージャスな感じのするヨーロッパ・スタイルに惹かれるという。」
ジャガーの“(乗用)(スポーツ)”、逆じゃないのかな?
「スチュードベーカー」(Studebaker 1852 - 1967)は馬車では全米一位、自動車も生産した(1897 - 66)メーカー。
その最終モデルがスポーツクーペ「アヴァンティ(Avanti)」(1963 - 66)。
↑ もしかしてこんなクルマに乗ってたかも?
実は、「魅惑の低音 フランク永井ベスト・ヒット」を掘り出した店には、「フランク永井 ベスト・コレクション」(SJV-671-2 1973 ?)もあったのです。
・・・が、おこづかいが乏しく(置き場所というより切実な問題もあり)、そちらは断念。
ジャケ内も撮らせてもらいました。(^-^;
「〈車〉2台ともジャガー。セダンはXJ-6。スポーツはEタイプ。Eタイプはスポーツカーの究極でこれ以上のスポーツ車はない。」
あ~、やっぱりコッチも買っとけばよかった・・・(笑)
まあ、相当に売れた歌手で、相当なクルマ好きとわかります。
それにしてもフランク永井のレコ、膨大なリリース量と思うのに、それ程ジャンク箱では見かけません。リサイクルに回らずもう捨てられてしまったのか・・・
さてさて、本日ご紹介のクルマ・ジャケ・レコは、
「恋心」/フランク永井(1967) \1,500
13thアルバム?
帯には「フランク永井が唄うヒット・メロディー集」とあり・・・
岸洋子の『恋心』(原曲は「L’amour C’est Pour Rien」/Enrico Macias)
越路吹雪の『ラストダンスは私に』(原曲は「Save the Last Dance for Me」/The Drifters)
坂本九の『上を向いて歩こう』
布施明の『おもいで』 ・・・などが収録されてます。
いやあ~、それにしても素晴らしいゲートフォールド・ジャケ(見開きジャケ)!
撮影場所は高速道路の料金所!?
愛車ジャケをリリースできて、本人も嬉しかったでしょうね~。
ジャケのクルマは・・・「ジャガーEタイプ」の乗用(笑)
クルマ・ジャケ「ALL ABOUT JIMMY SMITH」/JIMMY SMITHで登場してます。
そのページにはこう書かれてあります(;^_^A 、
「Eタイプは、生産された14年の間に3回のモデルチェンジがあり、シリーズⅠ、Ⅱ、Ⅲと分類されており、シリーズIIは、アメリカの安全規制強化を受けて、ヘッドライトを覆っていたガラスがなくなり、フロントバンパーが大きくなり、ウインカーがバンパーの下に。シリーズⅢは、フロントマスクが大きく変わり、ホイールがワイヤーでなくなり、、、」
フランク永井のEタイプはライトカバー有、ウインカーがバンパーの上にあるので、シリーズⅠですね!
当時、ほとんどが北米マーケット用に造られた左ハンドル仕様だったらしいので、この本国仕様の右ハンドルは貴重!
いやあ~素晴らしい!!
【登場車両】
Jaguar E-Type シリーズⅠ ROADSTER with FACTORY HARDTOP 1966 ?
【自己採点】
クルマ度 9点(E-Type! 10点でもいいかな~)
魅惑度 8点(素晴らしいゲートフォールド・ジャケ!)
音楽度 6点(カヴァー集?)