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ねも.のブログ一覧

2023年05月28日 イイね!

三峯神社ドライブ

三峯神社ドライブ埼玉県秩父市にある「三峯神社」に初めて行った来ました。


圏央道と皆野寄居有料道路を使い、「道の駅 大滝温泉」で休憩し、自宅から2時間半ぐらいでした。 


「村営三峰第1駐車場」は 8:00 - 18:00 で開門まで並ぶのかなと思ったら開いてました。


駐車場から少し上がると鳥居が見えてきました。


珍しい三ツ鳥居の脇には狼が守護神ということで、狛犬の代わりに狼が鎮座。


中世以降、秩父を治めていた畠山重忠など東国武士の信仰を集めて大いに栄えますが、その後衰退・復興・・・
明治中期には社務所に600人が泊まれる施設があり、大正末期に秩父宮が参拝したことで信徒が全国的に増えたそうです。

「随身門」






江戸中期、仁王門として建立され、明治の神仏分離令により仁王像が撤去され、矢大臣神像(やだいじんしんぞう)、左大臣神像(さだいじんしんぞう)が置かれたようです。

「青銅鳥居」




1845年、江戸深川の堅川講中が奉納したもので、荒川を筏で引いてきたそうです。

「手水舎」


1853年建立。こんなに彫刻がある手水舎は初めて見たかも。

「八棟木灯台」


1857年建立の飾り灯台。

「拝殿」








1800年(寛政12年)建立。本殿と同じく総漆塗りで権現造。
格天井には三峯山の草花が描かれているとのことです。



ちょっと毒々しい ?

平成24年、その年の干支「龍(辰)」が現れた?!




「本殿」


イザナギノミコト、イザナミノミコトが祀られています。
1661年(寛文元年)建立の春日造。

「國常主神社」


日本神話で最初期に出現したといわれる神様、「國常立尊(クニノトコタチノミコト)」を祀る社。

「神楽殿」


「摂末社」




伊勢神宮などなど。

「ご神木」


樹齢800年といわれるご神木。

「日本武尊銅像」


社伝によれば、『日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って創建した』ということで、日本武尊(にほんたけるのみこと)の像があります。

「奥宮遥拝殿」




三峯神社奥宮を遥拝する場所。正面岩峰にあるようですが、よくわかりませんでした。素晴らしい眺望でした。


さて、「奥宮」(妙法ケ岳(標高1329m)の山頂に鎮座)へは約1時間。
往復2時間。 ・・・迷うところです。

茶屋の方に伺うと、
「4つの鳥居を通るよ。しばらく歩いて鳥居が無ければ、道を間違えたことになるよ。」
迷うような道なのか ?!

本日の訪問予定地はここだけなので、「奥宮」、行くことにしました。



1つ目の鳥居がありました。


鳥居をくぐると・・・


『アイゼンが必要』『クマの出没!』『熊による人的被害が発生』などの注意書きが! (゚Д゚;)

軽装だよ~ (;^_^A)
すれ違う人の多くは熊除けの鈴持ってるよ~





2つ目の鳥居です。


「両部鳥居(りょうぶとりい)」という形式で神仏習合の名残なんだとか。


何やら音が聞こえてきました。吹奏楽部の山中特訓か? と思ったら、



何人かの人たちがほら貝の練習をしてました。

熊除け鈴が無いので、この人たちの後について行くことにしました。


3つ目の鳥居です。


上からもほら貝を吹く人が降りて来ました。裸足 ?!


雪駄も無理だよ~


ほら貝吹きながら登るの無理だよ~



4つ目の鳥居です。




工事現場の足場のような階段を上ったり下りたり・・・




ほら貝吹きながら登るの絶対無理だよ~


最終アタックは手で登らなくては上がれません!


着いた~。


山頂には小さな祠がありました。
秩父宮登山記念碑もありました。

いい眺めです。


ほら貝の方々は、ここで何かの儀式を始めました。




私たちは先に降りることに。ありがとうございました。

少し肌寒い時もありましたが、汗をかくかかかないぐらいで無事に往復することができました。


お昼はこの大きな茶屋で。


山菜そば(\800)


「三峰ビジターセンター」にちょっと立ち寄りました。


山に棲む生き物や植物、鉱物が好きな人にはいいと思います。
ジオラマで登山ルートを確認してる人もいました。


お昼前に「三峯神社」を後にしましたが、駐車場は満杯。


100台以上は並んでた感じですが、かなり待ったと思います・・・



さて、いつもの発掘、日高市で初調査です。

過去最大級の調査対象量!制限時間30分をオーヴァーし、またも叱られてしまいました・・・。
ほんのごく一部しか調査できませんでしたが、この地には武田も上杉もどちらの影も見えませんでした。



ニューキラーズ(ピンキーとキラーズから今陽子が抜け、女性2人が加入したグループ)のデビューシングル『太陽に愛されたい』(1972)は珍しいと思います。

ハイ・ファイ・セット (Hi-Fi Set) も意外と見ませんね。

クルマジャケ・レコは発掘できませんでした・・・

そして、獲得ポイントはまたマイナスです。(;^_^A


いつも長文駄文ブログ、お付き合いいただきありがとうございます。
m(__)m
Posted at 2023/05/30 05:16:42 | コメント(4) | トラックバック(0) | コペン | 日記
2023年05月15日 イイね!

上越ドライブ2日目

上越ドライブ2日目ホテルの駐車場から見えたどの家にもはしごがありました。


雪下ろし用のはしごなんでしょうね。


さて2日目は上越市をあとにし、妙高市へ向かいました。



「鮫ヶ尾城(さめがおじょう)」攻城です!


「鮫ヶ尾城」は春日山城直近の最前線の城で、上杉景虎が自刃した城として有名です(私はこちらに来て初めて知りました (;^_^A))

無料駐車場から少し歩くと「斐太歴史の里」があります。


ここ「斐太歴史の里」は3つの国指定史跡「観音平・天神堂古墳群(古墳時代)」、「斐太遺跡群(弥生時代)」、「鮫ヶ尾城跡(戦国時代)」がある珍しい歴史の里です。カタクリの花なども有名のようです。


「斐太歴史の里 総合案内所」でパンフレットでもいただいてからと思ったのですが、まだ閉まってました。トイレも鍵がかかっており・・・

「総合案内所」の裏手から攻城したのですが、これがまた逆でした・・・(;^_^A)


上信越自動車道の下を通り、


急な山道(整備はされてます)を登ること30分弱


堀切 ?



「米蔵跡」




「鮫ヶ尾城本丸跡」


「春日山城」とは目と鼻の先?


「二の丸跡」


「大堀切」


冬ならよく見える?

「井戸跡」


「三ノ丸跡」


全国的に有名になった「炭化おにぎり」が出土した曲輪です。
雑穀が混じっていないおにぎりだったとか。最後の豪華な食事!?

その後は、尾根沿いに下りました。







「総合案内所」に戻ると、係員の方が親切にいろいろ教えてくださいました。




ただ、「三ノ丸跡」からもうすこしだけ下れば「虎口跡」があったと伺い、ちょっぴり残念な気持ちに。

行かれる方は「東登城道」から登られることをおすすめします。


「鮫ヶ尾城」を後にし、次に向かったのは、

「斐太(ひだ)神社」(妙高市)




戦国時代には上杉氏、江戸時代には榊原氏から崇敬を受けたそうですが、1579年(天正7年)の鮫ヶ尾城落城の際炎上し、1656年にも火災に遭い、社殿と共に古文書類も焼失したために詳しい由緒沿革は不明のようです。


「勝福寺(しょうふくじ)」(妙高市)


上杉景虎の菩提寺?
上杉影虎の墓碑と石像があるお寺です。

青い屋根に惑わされ、周りをぐるぐる回ってしまいました。








「関山神社」(妙高市)


源義仲、上杉謙信が戦勝祈願に訪れ、謙信奉納と伝わる「龍旗」が現存する神社です。

国の有形文化財の社殿は修復中でした。










明治維新までは別当(神社を管理する寺)として関山宝蔵院、奥の院として妙高堂がありましたが、廃仏毀釈で廃寺となり「旧関山宝蔵院庭園」(国名勝)として面影を残しています。






ドライブの最後に、ネット情報『妙高を代表する観光スポット。いもり池をはさんで見る妙高山は絶景です。』に行ってみました。



「いもり池」




「妙高高原 池の平温泉」にある周囲約500mの池。
晴れた日には標高2454mの妙高山が美しく水面に映る・・・

残念ながらその絶景は見えませんでしたが、2日間なんとかお天気にも恵まれ、ほぼオープンドライブでき、無事帰宅できました。
コペンの窓も今のところ大丈Vです。


長文駄文ブログ、最後までお付き合いいただきありがとうございました。m(__)m
Posted at 2023/05/27 20:15:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | コペン | 日記
2023年05月14日 イイね!

上越ドライブ(発掘編)

上越ドライブ(発掘編)1日目のドライブ終了後、姫(笑)には宿でお休みいただき、殿(笑)は発掘調査へ出陣したのでございます。


その調査結果ですが・・・



武田の力、恐るべし。


が、謙信も黙ってませんでした。



『春日山節』/鈴木正夫


いくさするなら 謙信公のような
アリァ 謙信公のような
敵も情けに 泣くような
そうだ そうだその意気だ その心意気

信濃川中島 謙信公がなけりゃ
アリャ 謙信公がなけりゃ
ただの河原だ 石原だ



それにしても気になるのが、

『糸魚川 おまんた囃子』/三波春夫



三波春夫の作詞・作曲。

「糸魚川おまんた祭り」(1975~)で糸魚川市民がこの歌に合わせて踊り歩くようです。

「おまんた」とは、糸魚川の方言で「あなた方」を意味するそう。
ちょっと危ない?(笑)

♪ 三番
おまんた おまんた
昔 上杉謙信さまが
塩を送ったヨ
道があるぞえ 来てみやしゃんせ
翡翠きらめく 川沿いに
糸魚川なら おまんた囃子
サーテ サテ ・・・


そしてクルマジャケ・レコ、1枚ありました~!



『菱成の庭に集いし我ら』/鳥羽一郎



菱成(りょうせい)産業の社歌。


我らいま
集いて語らん 菱成の庭
高き理想に 夢もやし
物流事業の いしずえに
ちからよせあい 人の和を
結びてあゆむ 明日のために


現在は三菱ケミカル物流(株)となってますので、この社歌はお蔵入りになってると思われます。

運転手の皆様、長距離運転のお仕事、お疲れ様です。
どうぞお気をつけて運転なさってください。


さて、ジャケのクルマは・・・






どちらもタンクローリー(Tank Lorry)でしょうか。

ローリー(Lorry)はイギリス英語で、アメリカ英語「トラック」とほぼ同じ意味だそうです。

2台とも「FUSO」の文字が、また、後ろの車両には『アンモニア』の文字が読み取れます。

車名や、前車両のタンク形状で中身などが判る人はお知らせください。
m(__)m

クルマ・ジャケコーナーにてご紹介させていただきます。(;^_^A)
Posted at 2023/05/28 20:52:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | コペン | 日記
2023年05月14日 イイね!

上越ドライブ1日目(その2)

上越ドライブ1日目(その2)ランチ後、立ち寄ったのは、謙信亡き後、上杉景勝と上杉景虎が跡目を争った「御舘の乱」の舞台。

「御館(おたて)跡」  


「御舘の乱」で景虎がここを拠点としたそうですが、今は公園の一角に石碑と説明板があるだけです。

「御館」は、謙信が関東管領上杉憲政を越後に迎えた時に、その居館として建てられた関東管領館のことだそうです。


「五智国分寺(ごちこくぶんじ)」


奈良時代、聖武天皇の勅願により各国に建てられた越後国分寺の後継寺院で、天台宗のお寺です。





謙信がこの地に移転・再興したと伝わり、本尊が五智如来(大日、薬師、宝生、阿弥陀、釈迦)で、五智国分寺と呼ばれるそうです。



江戸時代に再建された三重塔は県指定文化財。



「春日山城跡ものがたり館」(無料・月曜休館)


「川中島合戦図屏風」(複製)などが展示されてました。

すぐわきには、復元された堀や土塁があります。



「春日神社」




上杉氏の氏神。春日山城築城のとき、鬼門神として山頂から遷座したと伝えられます。


「林泉寺(りんせんじ)」 (\500)


1497年、越後守護代 長尾能景が創建。
能景の子・為景の末子・虎千代(上杉謙信)は7歳でここ林泉寺に預けられ、14歳まで住職・天室光育(てんしつこういく)から学問を学びました。

「惣門」


春日山城の搦手門を移築したものと伝えられ、現存する唯一の春日山城の建築物(市文化財)とのこと。

「山門」












1925年、上杉謙信生誕400年を記念して再建された山門(二重門)。
掲げられた「第一義」の扁額は謙信の直筆です(実物は境内の宝物館に)。



「本堂」




1997年、開創500年を記念して建立された本堂。


上杉家の転封後、一時衰退しますが、春日山城主となった堀秀治によって再興され、その後も高田城に入封した松平氏、高田藩の榊原氏らに菩提寺として尊崇を受けました。

境内には上杉謙信の墓、川中島合戦戦死者の供養塔などがあります。




境内にある「宝物館」には謙信の直筆書状などお宝がたくさん!
撮影禁止なのが残念でした。

「受付」の方が、草取りを止めすぐに出迎えて下さり、写真をお撮りしましょうかと、とても気持ちがよかったです。
惜しかったのは、宝物館にいらしたご住職(?)が、説明してくれるような雰囲気だったのに、御朱印書きに忙しくなってしまったこと。

もう一つ、コペンの運転席の窓が上がらなくなってしまったこと(゚Д゚;)

その後、何度か挙動不審の窓でしたが、そのうちなんでもなくなりました。
大丈夫か?!


「上越市立歴史博物館」(月曜休館 無料)


「高田城址公園」にはいくつか無料駐車場があるようでしたが、ナビに従いここに駐車。
雨が心配だったので、博物館は後にして「高田城三重櫓」へ。



歴史博物館と高田城三重櫓の2館共通券(\620)で登城です。

「高田城三重櫓」は1614年(慶長19年)に築城され、1870年(明治3年)に焼失。
1993年に7億5000万円をかけ、稲葉正通時代の「高田城図間尺」の大きさ、松平光長時代の「本丸御殿絵図」を参考にした外観で築造されたものです。





1・2階は展示室、3階は展望室。鉄骨構造ですが木材をふんだんに使い、最上階天井は本格的な木組みで、雰囲気は上々です。

まあ、いつもほとんど下調べをせず出かけて「なるほど~」と思いながら大事な所をいくつか見逃して、というドライブをしていますが、『高田開府400年 三城物語』のビデオ、とても勉強になりました。


春日山城、福島城、高田城の3つの城の話ですがなかなか面白いです。
Youtubeにアップされてます。
高田開府400年記念再現映像「三城物語」フルバージョン(13分)

「春日山城」:中世の山城(主に長尾氏の居城。、上杉謙信の城。)
「福島城」:日本海に面する平城(上杉景勝が会津移封後、1607年に堀氏が築城。春日山城は廃城。)
「高田城」:高田平野に位置する平城(1614年に家康の六男 松平忠輝の居城として天下普請によって築城。福島城は廃城。)

戦国時代~家康の天下統一までの流れを感じることができました。

「極楽橋」


2002年に復元された二の丸と本丸を結ぶ橋。
本丸跡内にある上越教育大附属中の生徒かな~


「上越市立歴史博物館」では『どうする康政 榊原資料展』(3/25~6/18)が開催されてました。(撮影禁止)


榊原康政は13歳の時、松平元康(徳川家康)に見出され小姓となり、数々の武功をたて、徳川四天王の一人となった人物。
NHK大河ドラマ「どうする家康」では杉野遥亮(ようすけ)が演じてますね。


榊原康政は1590年に館林城主となってますが、館林城址には行ってないので(たぶん)今度訪れたいと思います。
菩提寺の「善導寺(ぜんどうじ)」には館林ドライブ(2021.4.18)で立ち寄りましたが、この時は「榊原康政、だれそれ?」でした。(;^_^A)


榊原氏はその後、館林→白河→姫路→村上→姫路 と領地が変わりますが、榊原政岑(まさみね)が吉原で遊興にふけり高尾太夫を身請けするなどし、将軍吉宗の怒りにふれ・・・

政岑は隠居・蟄居を命じられ、家督は嫡男の政純が継ぐことを許されたものの、越後高田に転封を命じられました。

その頃はもう太平の世であり、ここは政治的に重要な地ではなくなっており、冬雪深い左遷の地となってたんですね。

そんなお勉強をして駐車場を出て少し走ると・・・

「榊神社」?!


廃藩置県により高田藩廃止された1876(明治9)年、家臣たちが藩祖・榊原康政を祀るため寄付を募って建立した神社です。

ちょうど本日5/14は祭礼日で、お声かけしたら、「お殿様がいますよ」とのこと。
終わったところのようで、御着替えされてました。




境内に「高田城大手門礎」がありました。



「旧師団長官舎」


1910年に旧陸軍高田第13師団第3代師団長・長岡外史中将の邸宅として建てられた明治期の和洋折衷の木造建築物で1993年に市が現在地に移築、復元したものだそうです。
写真だけ撮って入らず(^-^;


「浄興寺」にもちょっと立ち寄りました。


親鸞が開山した浄土真宗のお寺。最盛期には越後・信濃・出羽の三国に約90か寺の末寺を従えたそうです。本堂(1679年頃建立)は国重文。


「雁木(がんぎ)通り」(?)の辺りを通って、本日の宿へ。


Wikipediaには・・・
『雁木の下は一般的に公道ではなく私有地であり、その地権者は地域の共有財産だとして無償で敷地を提供して、第三者の利便のため交通利用させている。』『高田城下では江戸時代初頭の城下町建設時に整備されたと伝えられており・・・』とありました。

へえ~


この後、姫(笑)には宿でお休みいただき、殿(笑)は発掘調査へ出陣したのでございます。
その調査結果は後ほどご報告いたしたいと (^-^;)


夕食ではちょっとだけ贅沢し「久保田 飲み比べ」を。


「萬寿」は違いましたね~。

あとは部屋で缶ビールと缶ハイボールで明日への英気を養いました。


上越ドライブ2日目に続きます。

長文駄文ブログ、いつもお付き合いいただきありがとうございます。m(__)m
Posted at 2023/05/27 11:15:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | コペン | 日記
2023年05月14日 イイね!

上越ドライブ1日目(その1)

上越ドライブ1日目(その1)3月に武田氏関連を巡る「甲府ドライブ」をしたので、次は上杉氏、ということで上越方面をドライブしてきました。


高速で約4時間、「上越市埋蔵文化財センター」(無料)に到着です。





上杉謙信の後を継いだ、上杉景勝がお出迎え~。




イケメン景勝が武将ことばで登城道を教えてくれました。
朝イチで旅行気分が大盛り上がり!(^O^)/

上杉景勝は後に豊臣家五大老の1人として会津藩主となり、関ヶ原では西軍で敗戦。上杉家存続は許されますが米沢藩へ減封となっています。

「越後上越 上杉おもてなし武将隊」(謙信、景勝、宇佐美定光、まつえ)が365日登城してるとのこと。


越後一の女武者“まつえ”は甲冑準備中でまもなく姿を現すということでしたが、間に合いませんでした。無念・・・





さらっと展示物を見て、「春日山城」攻城へ!


「春日山神社」下の駐車場に停め、階段を上ると・・・




ムカデ ?! すでに武田の力は封じられるようです。

「春日山神社」は旧高田藩士 小川澄晴が祭主となり謙信公を祭神として創建された神社です。



早速「春日山城」攻城です。

「謙信公銅像」

↑ 大河ドラマ『天と地と』(1969)の放映時に建てられたそうです。

しばらくアスファルトの道を進みます。




「三の丸」


「三の丸」には景虎屋敷、米蔵などがあったとのこと。

「二の丸」




「天守台」




妙高山などが見えました~

「本丸」






日本海が見えました~

「井戸丸址」


「景勝屋敷址」


「御成街道」


謙信は2度の上洛を通じて関白 近衛前嗣(このえさきつぐ)と親交を深め、前嗣の力添えで謙信は後奈良天皇、正親町天皇に拝謁できました。
その前嗣がここを通ったことからこう名付けられたそうです。

「毘沙門堂」


謙信は自らを仏教を守護する四天王の一神・毘沙門天になぞらえ、出陣前には毘沙門堂に籠ったといいます。

「直江屋敷」


上杉家の重臣、直江家の屋敷跡。
直江兼続は米沢藩城主となった景勝を支えました。

「虎口」


「空堀」




謙信の銅像の裏から登る道がここに通じ、それを断ち切る空堀。平素は橋がかかっていたと説明板にありました。

「千貫門(せんがんもん」


春日山神社から通じる道に門があり、三方が土塁と土手に囲まれ、左に二本、一見道と思える切通しがあり、実はここは空堀の底で、侵入者を空堀から崖下に落とそうとしたと考えられるそうです。

“おもてなし景勝”が教えてくれた登城ルート「謙信公銅像」から「三の丸」~「本丸」で行きましたが、この逆の方がいい感じです。(^-^;)
他にも「大手道」を上がるルートがあります。



早めのランチを「魚料り かさはら」で。




駐車場が心配でしたが空いてました。海鮮丼(\980)、とっても美味しかった!

駐車場となりの「八坂神社」の鳥居にはこんな文字がありました。


美味いわけです。


上越ドライブ1日目(その2)に続きます。

引き続き、お付き合いよろしくお願いいたします。m(__)m
Posted at 2023/05/27 06:28:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | コペン | 日記

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