
みん友さんのブログで知った「金山城跡(かなやまじょうあと)」(群馬県太田市)に行って来ました。
自宅から下道でちょうど2時間くらいで、「太田市立史跡金山城跡ガイダンス施設」に着きました。
この施設、なんと、国立競技場の設計で有名な建築家「隈研吾」氏による設計で、外壁の石板は金山城の石垣をイメージしたものだそうです(2009年開館)。
ここで少し歴史を学んでから攻城という戦術です。(^-^;
金山城は、1469年(文明元年)に、新田(岩松)家純の命により築城され、その後、横瀬氏(後の由良氏)が下剋上で城主となり、上杉氏や小田原北条氏との従属関係を保ちながら生き残りを図り、いくたびかの攻撃を受けますが、一度も城の中枢にまで攻め込まれず、その堅固さを誇ったそうです。
1584年(天正12年)、金山城は小田原北条氏の直接支配下に入り、1590年(天正18年)、秀吉の小田原北条氏討伐により廃城となり、江戸時代は、「献上松茸」の御林として、役人の厳しい管理下に置かれたことにより、山城の遺構は現在に残されるに至りました。
「金山城跡」は、1934年(昭和9年)に国の史跡に指定され、1995年(平成7年)より整備事業が始まり、城の遺構の調査、土塁や通路などの復元が進んでいます。
2006年(平成18年)には、日本100名城(17番)に選定されました。
さて、それでは、攻城です!
ガイダンス施設からクルマで3分ほど山を登り、駐車場(金山モータープール)に移動します。
ここから片道約700m(標高差50m)で、実城(みじょう(本丸))です。
木陰を進むので、気持ちいいです。
すごい岩盤が見えるところもありました。
【西矢倉台西堀切】
敵の侵攻を防ぐために掘った谷です。
【物見台下堀切】
岩盤を削って造った堀切です。
【物見台下虎口】
通路の先が見えないようになっています。
【竪堀】
この先を真っすぐ進むと行き止まりになっています。
【物見台】の下からの景色
【月ノ池】
「貯水池」のようです。
【大手虎口】
奥にある実城への通路を厳重に守っていた防御拠点です。
【日ノ池】
「貯水池」だけでなく、儀式などが行われたと考えられています。
【本丸跡・新田神社】
本丸跡とされている地点に新田神社があります。
大きな復元施設などがなく、それがとてもリアルに感じました。
いやあ、「金城山跡」素晴らしかったです!
・・・帰宅してパンフレットで復習していると、「お見逃しなく!」を見逃してきたことに気づきました。(>_<)
「金城山跡」を後にし、山を下りたところにある「祥寿山 曹源寺(しょうじゅさんそうげんじ)」に行ってみました。
ここは、日本三さざえ堂の一つで国の重要文化財に指定(平成30年)されています。
・・・が、残念ながら、午前中は拝観できず・・・(>_<)
急きょ、「金山城跡ガイダンス施設」でもらったパンフレットで、作戦を立て直します。
「太田焼きそば」が名物と知り、通り道のお店に寄りました。
テイクアウトのみ、ということで、こちらでいただきました。
「天神山古墳」駐車場のすぐ近くの跨線橋下。(^-^;

「天神山古墳」は、東日本では最大、全国でも26位の規模を誇る前方後円墳です(昭和16年 国史跡指定)。
見学しようと思ったのですが、入口が分からず、あきらめました。(>_<)
青空ランチの後に向かったのは、「旧中島家住宅」(国指定重要文化財)です。
中島飛行機(現在のSUBARU至る)の創始者、中島 知久平(なかじま ちくへい 1884- 1949年)が、両親のために建てた邸宅です。無料で公開されています。
この後、「新田荘歴史資料館」に行こうと思っていたのですが、助手席の御方が、「やっぱり、さざえ堂がいい!」とおっしゃるので、戻って拝観させてもらうことにしました。
「さざえ堂」は、外からは二階建てに見えますが、らせん状に三階建てで、回廊式といって、右回りに二階三階と上がっていき、また回りながら、同じ道を通らずに一階に戻ってくる造りになっています。
回廊の内壁には、秩父、阪東、西国の計100札所の観世音菩薩を模した観音様が並んでいて、さざえ堂を一回りすれば百箇所の札所を巡った功徳を得られるそうです。
また、参道には、百観音霊場の砂を納めていて、こちらもこの参道を踏めば、百観音霊場を巡礼したのと、おなじ功徳が得られるそうです。
「成身院百体観音堂」(埼玉県本庄市)、「旧正宗寺三匝堂」(福島県会津若松市)と合わせて日本三さざえ堂と呼ばれているそうなので、そちらも訪れてみたいと思います。
コロナ禍で、なかなかブログにしずらいですが、3密を避け、マスク着用を忘れずに楽しんできました。
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コペン | 日記
Posted at
2020/08/04 20:20:04