
クルマ・ジャケコーナー第157回は、沢田研二の「時の過ぎゆくままに」(1975)です。
沢田研二(さわだけんじ 1948 - )、ご存知でしょうか?
現在行われている全国ツアー「まだまだ一生懸命」のファイナル(2023.6.25 さいたまスーパーアリーナ)では75歳に!
ニックネームはジュリー。
ジュリー・アンドリュースのファンだったためだそう。
ジュリー・アンドリュース(1935 - )は、ディズニー映画「メリー・ポピンズ」(1964)でデビューし、アカデミー主演女優賞を、「サウンド・オブ・ミュージック」(1965)ではゴールデングローブ賞 主演女優賞を受賞した女優・歌手。
「サウンド・オブ・ミュージック オリジナル・サウンドトラック」(1965)
↑ ジャンクレコを漁る方は何枚も見てると思います。(^-^;
「AN EVENING WITH JULIE ANDREWS」/Julie Andrews(1977)
1977年9月21日 大阪フェスティバルホールでのライブ録音盤。
沢田研二(ジュリー)、とても全部は追いきれないので、私が持ってるシングルやアルバムを中心にご紹介したいと思います。
1960年代後半のグループ・サウンズ全盛期、「ザ・タイガース」のヴォーカルとして絶大な人気を得ました。
デビューシングル『僕のマリー』/ザ・タイガース(1967)
『モナリザの微笑』、『君だけに愛を』で一気にグループ・サウンズの頂点へ。
3rdシングル『モナリザの微笑』/ザ・タイガース(1967)
11thシングル『スマイル・フォー・ミー(Smile for me)』(1969)
↑ クルマ・ジャケ!
おそらく、映画「ザ・タイガース ハーイ!ロンドン」の一コマ。
車名がおわかりになった方、ご連絡お待ちしております。m(__)m
この頃すでにGSブームは完全に終焉を迎えており・・・
ザ・タイガース在籍中にソロアルバムをリリース。
1stアルバム「JULIE」/沢田研二(1969)
↑ 残念ながら持ってません。
日本武道館での「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」(1971)でタイガースは解散します。
「ザ・タイガース・フィナーレ」(1971)
ザ・タイガース解散後、沢田は「PYG」に参加(1971)。
「PYG」は、ザ・スパイダースから井上堯之と大野克夫、ザ・テンプターズから萩原健一、大口広司、ザ・タイガースから沢田と岸部修三の6人で結成されたスーパーグループ(リーダーは井上堯之)。
『真珠の涙』/ザ・スパイダース(1968 15th 結成七周年記念シングル)
おそらく1番右が大野克夫、その隣が井上堯之(孝之)。
大野克夫はジャニーズ系ですね~。
『エメラルドの伝説』/ザ・テンプターズ(1968 3rdシングル)
中央が萩原健一、大口広司はおそらく右下。
『銀河のロマンス』/ザ・タイガース(1968 5thシングル)
右端が沢田研二、寝そべってるのが岸部修三。
そして、PYG
『Now The Time For Love 自由に歩いて愛して』/PYG(1971 2ndシングル)
↑ おそらく左から、岸部修三(B)、大野克夫(Or)、萩原健一(Vo)、沢田研二(Vo)、井上堯之(G)、大口広司(D)
「PYG!」/PYG(1971 1stアルバム)
「PYG」で活動中にソロシングルをリリース。
1stシングル『君をのせて』/沢田研二(1971)
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、編曲:青木望
なぜかA面B面ではなく、D、S の〇囲み表記。
D面はDouble、S面はSingleを意味してるらしいのですがよく解りません~
『勝手にしやがれ』からはA、B表記に?
映画「虹をわたって」(1972)には、主演の天地真理の相手役として出演し『君をのせて』を歌うシーンがあるそうです。
『虹をわたって』/天地真理(1972 4thシングル)
真理ちゃんはこの曲3曲で連続オリコン1位(当時は快挙)!
春の選抜高校野球甲子園大会(1973)入場行進曲。
2ndアルバム「JULIE II」/沢田研二(1971)
ロンドン録音で「港」をテーマにしたコンセプト・アルバム。
残念ながら持ってません。
沢田のソロ活動、萩原の俳優活動(TVドラマ「太陽にほえろ!」(1972)のマカロニ役で大人気に)などで「PYG」は自然消滅・・・
クルマ・ジャケ
「太陽にほえろ!蘇えれ、あの刑事たちよ!!」/井上堯之バンドでショーケンが登場してます。
1stライブ・アルバム「JULIE III SAWADA KENJI RECITAL」/沢田研二(1972)
LP2枚組。1971年12月24日 日生劇場でのライブ録音盤。
残念ながら持ってません。
2ndシングル『許されない愛』/沢田研二(1972)
作詞:山上路夫、作曲:加瀬邦彦、編曲:東海林修
ロンドン録音。
ソロ初のオリコンベスト10入りを果たし、この年のNHK紅白歌合戦に初出場!
3rdシングル『あなただけでいい』/沢田研二(1972)
作詞:安井かずみ、作曲:平尾昌晃、編曲:東海林修
なぜか前作を青くし、バラのイラストを咥えさせたジャケ。
3rdアルバム「JULIE IV 今僕は倖せです」/沢田研二(1972)
ライブアルバムがあるのでオリジナル3rdアルバムですが“IV”なんですね。
セルフプロデュース作品で、ジャケ裏には「制作 企画 構成 作詞 作曲 歌唱 沢田研二」と手書きで書かれてます。
編曲は大野克夫(A-1,3,4,5,7 B-3,5)、井上堯之(A-22,6 B-1,2,4,6)
演奏は井上堯之グループ(井上堯之、大野克夫、原田祐臣、岸辺修三)。
なぜかショーケンも写ってます。
最後の『くわえ煙草にて』はCDではカットされてるようです。
4thシングル『死んでもいい』/沢田研二(1972)
作詞:山上路夫、作曲:加瀬邦彦、編曲:東海林修
演奏は井上堯之グループ
2ndライブ・アルバム「JULIE V 沢田研二 日生リサイタル」/沢田研二(1972)
LP2枚組。1972年10月17-21日 日生劇場でのライブ録音盤。
演奏は井上堯之グループら
5thシングル『あなたへの愛』/沢田研二(1973)
作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦、編曲:東海林修
6thシングル『危険なふたり』/沢田研二(1973)
作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦、編曲:東海林修
私の中ではジュリーのヒット曲と言えばまずコレ。初のオリコン1位獲得曲!
7thシングル『胸いっぱいの悲しみ』/沢田研二(1973)
作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦、編曲:Harry Robinson
アルバム『JULIE VI ある青春』とともにロンドン録音。
ジャケはロンドンの骨董市?
4thアルバム「JULIE VI ある青春」/沢田研二(1973)
ロンドン録音。残念ながら持ってません。
8thシングル『魅せられた夜』/沢田研二(1973)
作詞曲:Jean Renard、訳詞:安井かずみ、編曲:東海林修
サビで「ジュテーム」を繰り返します。「ジュ・テーム (Je t'aime) 」はフランス語で「君を愛している」。
この頃から世界進出を考えてたんでしょうか?
3rdライブ・アルバム「JULIE VII THE 3rd 沢田研二リサイタル」/沢田研二(1973)
LP3枚組。1973年10月10日 中野サンプラザでのライブ録音盤。
9thシングル『恋は邪魔もの』/沢田研二(1974)
作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦、編曲:大野克夫
ジャケットには井上堯之バンドのメンバー(井上堯之(G)、速水清司(G)、岸部修三(B)、原田祐臣(D)、大野克夫(Key))も。
「井上堯之バンド」(1971 - 80, 2004)は、ロックバンド「PYG(ピッグ)」(ザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズの元メンバーで結成)から発展したバンド。
沢田のバックバンドのほか、『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』等の音楽を担当。
クルマ・ジャケ「太陽にほえろ!蘇えれ、あの刑事たちよ!!」/井上堯之バンド で登場してます。
「井上堯之とウォーターバンド」という名義でも活動してました(1975 - 76)。
「Water Mind」/井上堯之とウォーターバンド(1976)
「太陽にほえろ!ベスト」/大野克夫・井上堯之バンド(1976)
↑ 左から井上堯之、鈴木二郎、佐々木隆典、大野克夫、速水清司
10thシングル『追憶』/沢田研二(1974)
作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦、編曲:東海林修
オリコン1位を獲得。NHK紅白歌合戦(1974)で歌唱した際、鳩が衣装から現れ右手に止まるという演出があったそうですが、この画像かな?
5thアルバム「JEWEL JULIE 追憶」/沢田研二(1974)
早川タケジが初めてかかわったアルバム。
早川は芸能人スタイリストの草分けであり、1973年より沢田研二の衣裳デザイン、レコードジャケットのアートディレクションを担当し、ジュリーの全盛期(?)の重要人物。
遠藤ミチロウ(Michiro, Get the Help!)の「オデッセイ・1985・SEX」、「アメユジュトテチテケンジャ」、「GET THE HELP!」(1985)なども手掛けてます。
11thシングル『愛の逃亡者 THE FUGITIVE』/沢田研二(1974)
作詞:Tony Weddington & Wayne Bickerton、作曲:Arther Greenslade、編曲:Tonny Waddington & Arthur Freenslade
AB面ともに英語詞。残念ながら持ってません。
一応、クルマ・ジャケ。
↑ ワゴンのようですが、車種がお分かりの方はぜひご連絡いただけたらと思います。
6thアルバム「THE FUGITIVE 愛の逃亡者」/沢田研二(1974)
ロンドン録音。全編英詞。ヨーロッパ全域でもリリースされたアルバム。
12thシングル『白い部屋』/沢田研二(1975)
作詞:山上路夫、作曲:加瀬邦彦、編曲:東海林修
13thシングル『巴里にひとり』/沢田研二(1975)
作詞:G.Sinoue、訳詞:山上路夫、作曲:G.Costa、編曲:R.Gimenes、A.Greenslade
フランス語での『MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE』がフランスで20万枚のヒットとなり、ゴールデンディスク賞を日本人として初めて受賞。
スイス、カナダ、オーストリア、ギリシャ、ノルウェー、ベルギー、オランダなどでもリリースされました。
1975年には他にも海外で『THE FUGITIVE』、『ATTENDS MOI』、『FOU DE TOI』をリリースしてるようです。
図書館から借りたCD「Royal Straight Flush 1980-1996」(1997)にそれらのジャケが載ってました。
14thシングル『時の過ぎゆくままに』/沢田研二(1975)
本日ご紹介のレコです。
作詞:阿久悠、作編曲:大野克夫
阿久悠の詞に対し 大野克夫 、井上堯之 、井上大輔 、加瀬邦彦 、荒木一郎 、都倉俊一の6人に曲を競わせ、TBSテレビの演出家 久世光彦が大野の曲を選んだそうです。
オリコン5週連続1位。年間チャート4位。累計91.6万枚で最も売れたシングル。
4thライブ・アルバム「沢田研二 比叡山フリーコンサート」/沢田研二(1975)
1975年7月20日 比叡山人工スキー場での実況録音盤。
バックバンドは井上堯之バンド、ミッキー吉野グループ。
この日、ザ・ピーナッツの伊藤エミと比叡山延暦寺釈迦堂で挙式を挙げ、ライブでは2人でファンに結婚報告。
『情熱の花』/ザ・ピーナッツ(1959)
双子でほくろのある方がエミ、ない方がユミ。初期はユミもマジックで付けほくろをしていたということで、全く区別がつきません~。
♪ モスラ〜ヤ モスラ〜 ドゥンガン カサ〜クヤン インドゥムゥ〜
7thアルバム「いくつかの場面」/沢田研二(1975)
なんと、B3『あの娘に御用心』は作詞曲:大滝詠一で、鈴木茂(G)、細野晴臣(B)、林立夫(D)、松任谷正隆(Key)、そして大滝詠一、山下達郎がコーラスで参加!
ナイアガラ―必携のアルバムです。
“11の場面(曲)”がジャケサイズに(切り取り線で分かれており、元は1枚の大きな紙だった?)。
アルバムを締めくくるB5『いくつかの場面』(作詞曲:河島英五)の歌詞は・・・
♪ 瞼を閉じれば数々の想い出が胸を熱くよぎる
そしていつも心を離れない幾人かの人達がいた
出来るならもう一度 僕の囲りに集まってきて
やさしく肩たたき合い抱きしめてほしい
ラストステージで歌われるのでは・・・
15thシングル『立ちどまるな ふりむくな』/沢田研二(1976)
作詞:阿久悠、作編曲:大野克夫
8thアルバム「KENJI SAWADA」/沢田研二(1976)
パリ、ロンドン、東京での録音盤で、フランス語、英語、日本語の曲が収録されてます。
16thシングル『ウィンクでさよなら』/沢田研二(1976)
作詞:荒井由実、作曲:加瀬邦彦、編曲:大野克夫
『ルージュの伝言』を気に入ったジュリーが、男の側から歌った歌詞をユーミンに依頼したとか・・・?
♪ ベッドに 見馴れぬコンパクト
あなたは気づかぬふりをする
どうしてそんなに クールなの
立場が ますます悪くなる ・・・
ヒットしなかった理由としてネット上に、
『「年下のフランス由来美少年」のジュリーが、年長の女性への「許されない情熱」に身を焦がすイメージだったから、陽気な浮気者というキャラクターは、受け入れがたいものだったのではないか。』
という考察がありましたが、私はジャケのおばさんパーマが原因ではないかと・・・(笑)
17thシングル『コバルトの季節の中で』/沢田研二(1976)
作詞:小谷夏(久世光彦)、作曲:沢田研二、編曲:船山基紀
9thアルバム「チャコール・グレイの肖像」/沢田研二(1976)
ジュリーが全作曲のセルフプロデュース作品。作詞は自作詞以外に小谷夏(久世光彦)、阿木燿子、松本隆、岸部修三など。
演奏は井上堯之バンドを中心に後藤次利(B)、羽田健太郎(Key)らが参加してます。
18thシングル『さよならをいう気もない』/沢田研二(1977)
作詞:阿久悠、作曲:大野克夫、編曲:船山基紀
19thシングル『勝手にしやがれ』/沢田研二(1977)
作詞:阿久悠、作曲:大野克夫、編曲:船山基紀
第19回日本レコード大賞をはじめ、1977年度の歌謡賞を独占。
フランスの犯罪ドラマ映画「À bout de souffle(勝手にしやがれ)」(1960)にインスピレーションを受け作られた曲だそうです。
帽子を投げるパフォーマンスが話題を呼びました。
私的には「アア アアア・・」の動作が印象に残ってます。
歌が上手ければ絶対カラオケでやったんだけどなあ・・(;^_^)
♪ 夜というのに派手なレコードかけて
朝までふざけようワンマンショーで
↑ こういうこともやりたかった・・・
Youtubeに志村けんとのコント動画が載ってました。
いやあ~、こんなことまでしてたんですね~。さすが大スター!
映画「キネマの神様」(2021)で主演を務めるはずだった志村けんが急逝したあと、山田洋次監督がジュリーを代役にした理由の一つにもこんな関係があったのではないでしょうか。
余談になりますが、「8時だョ!全員集合」で志村けんがこの曲とピンク・レディーの『渚のシンドバッド』からとった「勝手にシンドバッド」というコメディーを演じ、それがサザンの『勝手にシンドバッド』(1978)に。
『渚のシンドバッド』/ピンク・レディー(1977 4thシングル)
『勝手にシンドバッド』/サザンオールスターズ(1978 1stシングル)
「パクリのパクリでございます」とは桑田談。
20thシングル『MEMORIES』/沢田研二(1977)
作詞:Richard Machin、作曲:Klaus Weiss、編曲:Werner Becker
西ドイツで先行リリース。残念ながら持ってません。
21stシングル『憎みきれないろくでなし』/沢田研二(1977)
作詞:阿久悠、作曲:大野克夫、編曲:船山基紀
10thアルバム「思いきり気障な人生」/沢田研二(1977)
気障(きざ)、読めませんでした(;^_^A)
全曲、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫、編曲:船山基紀
ゴールデン・コンビと呼ばれた阿久&大野による3部作の第1作で、『勝手にしやがれ』『さよならをいう気もない』『憎みきれないろくでなし』『サムライ』を収録。オリコン1位!
Musiciansとして、Key:大野克夫・羽田健太郎、B:岡沢章、後藤次利・武部秀明、EG:水谷公生・矢島賢、AG:吉川忠英、D:田中清司らがクレジットされてます。
ここで字数制限~ (;^_^A
Part 2 に続きます。