
クルマ・ジャケコーナー第181回は、MICO(弘田三枝子)の「O-Kay」(1983)です。
弘田三枝子((ひろたみえこ 1947 - 2020)、ご存知でしょうか?
このシングルは愛称の「MICO」名義です。
パンチの効いた歌声で、“パンチのミコちゃん”という愛称も。
洋楽をカバーした和製ポップスをヒットさせ、後のミュージシャン(都はるみ、大瀧詠一、山下達郎、竹内まりや、桑田佳祐ら)に多大な影響を与えた歌手です。
7歳の頃からティーブ・釜萢の「日本ジャズ学校」に通い、英語の発音の基礎からスパルタ教育を受け、中学1年の頃からは本格的に進駐軍キャンプでポップスやジャズなどを歌っていたそうです。
14歳の時、『子供ぢゃないの』(1961 ヘレン・シャピロのカバー)でプロ・デビュー。
キャッチフレーズは“和製ブレンダ・リー”。
『ヴァケイション』(1962 コニー・フランシスのカバー)が20万枚のヒットを記録し、NHK紅白歌合戦に初出場(当時の紅組最年少記録)。
1965年、東洋人歌手として初めて「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に招待されヴォーカリストとして出演。3日目の夜にはトリを務め、『Misty』、『Moon River』などを歌ったそうです。
ジャンク箱にはほとんど見つからず持ってるレコは少数・・・😢
15thシングル『私のベイビー』(1963 作詞:漣健児、作曲:P.Spector,E.Greenwich,J.Barry、編曲:大沢保郎)
GSブームでアメリカン・ポップスやオールディーズを歌う歌手という古いイメージで人気が一時低迷。
コロムビア移籍後もしばらくはカヴァーを歌っていましたが、1967年には橋本淳×筒美京平による『渚のうわさ』でオリジナル路線に変更。
そして1969年、ダイエットで変身して放った大ヒットが『人形の家』
44thシングル『人形の家』(1969 作詞:なかにし礼、作編曲:川口真)
オリコンチャート1位。第11回日本レコード大賞の歌唱賞受賞。
EP盤「人形の家 弘田三枝子ミニデラックス」(1969 4曲入り33 1/3rpm)
前オーナーがプロマイド貼ってました!(^^)!
45thシングル『私が死んだら』(1969 作詞:なかにし礼、作編曲:川口真)
46thシングル『燃える手』(1970 作詞:なかにし礼、作編曲:筒美京平)
LPはこんなの1枚だけ
「ミコ・なおみ・マリ」(1970)
↑ ちあきなおみ、辺見マリとの寄せ集め盤。
弘田三枝子は『ロダンの肖像』・『恋愛専科』(1970 47thシングル)、『燃える手』、『人形の家』の4曲。
スイングジャーナル誌の「ジャズ・ヴォーカル女性歌手」部門では5年連続トップ(1966 - 70)。
ジャズやシャンソンなども歌い、2015年にはレコードデビュー55周年として新曲『悲しい恋をしてきたの』をリリース表し記念ライブを行いました。
その新曲も含むデビュー55周年記念盤「弘田三枝子 グレイテスト・ヒッツ Go Go MICO」(図書館から借りて聴いてます)
♪ 私は~はなたに~命をあずけた~ 堪能できます。
2020年、心不全のため73歳で亡くなられました。
その時、桑田佳祐は次のようにコメントしたそうです(Wikipediaより)。
「存在自体がポップ。ビート感満載のポップスで笑顔・ダンスをテレビ画面いっぱいに表現していた。チャーミングでみんなの憧れでとにかくナンバーワンだった。(一連のカバー曲は)明るい未来へ向かうアンセムのようだった。」
このコメントからもわかるように、桑田さんはかなりのミーコファンで、サザンオールスターズの『チャコの海岸物語』(1982)にも登場させてます。
♪ 心から好きだよ ミーコ抱きしめたい
甘くてすっぱい女(ひと)だから
1番には「チャコ」(ビクター音楽産業のディレクター飯田久彦)、3番には「ピーナッツ」(ザ・ピーナッツ)が登場。
そして、サザンの6thアルバム「綺麗」(1983)
B2『MICO』では・・・
♪ あれは20年前の事
ミエコという名でデビュー
ふりしぼるような歌い方で
かなり振る舞いも派手な女(ひと)
人形の家に住まう前はJapanese Diana Ross
ライ、ライ、ライ…shyなミコ
I,I,I Love Ya…ミコ
時の流れに負けるほど
そんな通り相場の女なんかじゃない
お前がいなけりゃ 俺
今さら歌などない
綺麗になってSoulを捨てて
たしなみばかりが歌じゃない
もう一度叫んどくれ 俺のために
↑ 70年代後半以降はヒット曲がなく活動が停滞してた弘田三枝子への応援歌。
そしてこの『MICO』のアンサーソングが本日ご紹介のレコです。
「O-Kay」/MICO(1983 63rdシングル 作詞曲:MICO、編曲:川口真)
Youtube
[no.24] ミコ先輩(弘田三枝子) O-KAY
♪ 砂に消えた涙の
とおいいたみまで 呼びおこしたの
あなたがホラ ふいにくれた愛ことば
あの日のリズムで 熱くなるわ
気分しだいの湘南Boy
つかずはなれず しゃくな人ね
昔のように わがままきどり
ちょっと小粋に 渚でデイト
O-Kay 半分教えて あなたのこと
すこし あぶない位が SUTEKIなのよ
季節おくれの 海岸物語で
me call おそろい気分
“海岸物語”、2番では“KIREI”(綺麗)とサザン関連が散りばめられてます。
“me call ”は「ミーコ」と歌われてますが、そういえば、「Man Call」なんて意味わかんない歌もありますね。・・・まあわかりますが (;^_^A)
『ボディ・スペシャルⅡ』/サザンオールスターズ(1983 17thシングル)
♪ 愛し君のShyなMan Callで・・・
本日ご紹介の「O-Kay」は「オー. 佳」なんです!
歌を通したなんとも粋なやりとり。
桑田さんにはミーコの分までずっと元気でがんばってもらいたいです。
【TV番組のお知らせ】
「NHK MUSIC SPECIAL サザンオールスターズ特別番組 ~45年経っても"馬鹿でごめんよ"~」
本放送:総合9月28日(木)午後10:00 ~
再放送:総合10月2日(月)午後11:50 ~
さてさて、ジャケのクルマは・・・
クライスラーの高級車、「Chrysler 300 letter series(クライスラー300 レター・シリーズ」(1955 - 65) ではないでしょうか。
「300レター・シリーズ」は、C-300(1955)、300B(1956)・・・とモデルイヤーの末尾にアルファベット付けられ、300L(1965)まであるようです (なぜか「i」は省略)。
このジャケのクルマは「300G」(1961)と思われますが、イラストではヘッドライト下の“parking lamps”は省略されてます。
相当な思い入れで制作されたレコ「O-Kay」。
ゼンマイ仕掛けの「Chrysler 300G」に乗ってる2人はもちろん桑田さんとミーコでしょう。
「Chrysler 300G」はミーコがデビューした年だけに生産されたクルマです。
【登場車両】
Chrysler 300G Convertible (1961)
【自己採点】
クルマ度 7点(生産台数1,617台。現存してるんでしょうか?)
魅惑度 8点(歌を通したこの粋なやりとりたまりませんねえ)
音楽度 8点(これほどのアンサーソングは他にはないのでは?)