
2日目は長野県松本市から岐阜県高山市へ。
少し前までスタッドレスタイヤが必要だった感じです。
「高山市図書館 煥章館(かんしょうかん)」隣の「市営空町駐車場」(30分\150)に停め、「飛騨高山古い町並」を散策しました。
来週の4月14日・15日の「高山祭(春の山王祭)」で使われる「屋台」の準備をしてました!
帰宅後、調べると、上三之町中組の「龍神臺(りゅうじんたい)」(国重文)でした。
32条の糸を操り、唐子が壷を持って登場し、中から壷の倍以上の大きさがある赤ら顔の龍神が紙吹雪を撒きながら飛び出し怒り踊るという屋台、見てみたいものです。
土屋太鳳の写真に誘われて、フラッと立ち寄った店が「咲羅多(SAKURADA)」という壁飾りのお店。
土屋太鳳主演のTVドラマ「やんごとなき一族」(2022 漫画原作:原作:こやまゆかり)でここの“壁飾り”がいくつも使われたというお店でした。
↑この場面で使われた壁飾りが、たぶんコレ(左上)↓
↑ 『アイアンウォールデコ S 和花(120×74×6cm)』(\26,000)
買って帰ろうと思いましたが、載せられないのでやめました😅
「高山陣屋」には入りませんでした。
「医王山飛騨国分寺」(高山市)
境内が参拝者専用駐車場(10台)となっていました(無料)。
「本堂」は金森長近が姉小路頼綱の松倉城を攻めた際(1585)、兵火で焼失し、その後の再建と考えられているようです。
「三重塔」は1820年再建されたもの。
「鐘楼門」は、飛騨国が天領となり(1695)、高山城が廃城となった時、ここに移築されたものという説があるようです。
賑わう古い町並を散策した後は、だれもいないであろう城跡へ(ほんとに誰もいませんでした)
「松倉城跡」(高山市)
シンボル広場まで車で行けるので本丸攻めは楽勝です。
ただ熊の心配が・・・💦
ちょっと怖かったので、鐘を鳴らし、大きな拍手をしながらの攻城。城兵にすぐみつかります(笑)
石垣が見えてきました。
“石垣造りの城として日本で一番標高が高い山城”と言われてます(856.7m)。
飛騨山脈(北アルプス)の山々が見えました。
「松倉城跡」から下道で約1時間半で「郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう」(岐阜県郡上市)へ
一度、ここに停めましたが、さらに上まで行けるようなので楽しました。
一方通行の道を進むとすぐ近くまで行けました。楽な城攻めです(;^_^A)
単独券\400で入城。
全国的にも珍しい木造の再建城(日本最古)であり、それなりに風格が漂います。
かなりギシギシと音がして、緊張感がありました😅
内助の功で有名な、土佐藩主山内一豊の妻「千代」は郡上八幡城主遠藤盛数の娘であるとする説が有力で、その像がありました。
ここで2日目を終了する予定でしたが、天気予報で明日は結構な雨、ということで、急遽、「岩村城」(恵那市)も攻めることにしました。
城下(岩村本通り・城下町)は「重要伝統的建造物保存地区」で見ごたえありそうでしたが、雨が降り始め、車で素通りしてしまいました。大後悔~
「岩村歴史資料館」は閉館日😿
この「岩村歴史資料館」から本丸までは徒歩30分ですが、本丸すぐ下まで車で行けるのでまたまた楽な城攻めを選択(夕方で小雨も降ってたので💦)。
本丸を守る重要な曲輪「出丸」が駐車場😅
「本丸」の石垣
「埋門(うずみもん)」
「本丸」
「岩村城」は日本三大山城の一つ(後の2つは備中松山城、大和高取城)
標高717mの山頂にありますが、まったく労せずたどり着き、雨で見晴らしも無く、三大山城の感動はありません・・・💦
本丸から「出丸」(出丸広場P)を見下ろすと愛馬がいました~
「織田信長公 宿営の地」
信長はここで武田勝頼の死を知ったそうです。
そして80日余り後、ここで一緒にいた明智光秀が「本能寺の変」を起こします。
「六段壁」
江戸後期に石垣を継ぎ足し補強したので、このような形になったそうです。
「霧ケ井(きりがい)」
城主専用の井戸。攻められた時、蛇の骨を投げ入れるとたちまち霧が城を覆い守ったという伝説があります。
この日も誰か蛇骨を入れたようです😅
このまま下ると資料館に行ってしまうので、引き返し、「二の丸」の下を歩き駐車場に戻りました。
宿に向かう途中「阿木川ダム」のところの桜が満開だったのでパチリ📷
雨じゃなければ・・・
長文駄文ブログ、お付き合いいただきありがとうございます m(__)m
3日目に続きます~
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コペン | 日記
Posted at
2024/04/19 06:23:20