クルマ・ジャケコーナー第287回は、安全地帯の「オン・マイ・ウェイ」(1982)です。
“北海道シリーズ”第4弾!
第1弾
クルマ・ジャケ「孤独のメッセージ」/キャデラック・スリム
第2弾
クルマ・ジャケ「雨の糸」/鈴木一平
第3弾
クルマ・ジャケ「夢の旅人」/松山千春
安全地帯(あんぜんちたい 1982 - 92,2002 - 03,2010 - )、ご存知でしょうか?
北海道・旭川で、玉置浩二を中心に結成(1973)されたロックバンドです
現在、「安全地帯」としての活動はどうなってるのか?と思い、ネット検索したら、“NHK北海道で制作したTV番組「安全地帯・零 ZERO ~旭川の奇跡~」が全国放送決定”というニュースが見つかりました!
しかし、放送日(2024.12.20)は昨日でして、あわてて
NHKプラス(配信期限 :12/28(土) 午前1:01 まで)で観ると、玉置浩二や元メンバーが当時(アマチュア~プロデビュー)を振り返り今を語る、という貴重な番組でした!
この番組とネット情報、私が持ってるレコなどで「安全地帯」(初期)をまとめてみたいと思います
“5人の物語”ではなく“8人の物語”
1976年、ポプコン第12回で『昔にみたもの』で北海道代表となり、つま恋本選会に出場“4年目の挑戦で初めて全国大会に進出”
玉置浩二は、高校を中退し、プロになる決意を固めていており、プロを目指す玉置浩二について行けないメンバーはクビにされ、兄・玉置一芳が脱退(1977)、ドラムは未経験の大平市治(おおひらいちじ)に
そして旭川の実力バンド「六土開正バンド」の六土開正(B.Key.)、矢萩渉(G)、田中裕二(D)が加入し、“安全地帯は8人の大所帯バンドに”
1978年、旭川市郊外の廃農家を借り、音楽スタジオに改装
“4か月の作業の末、音楽スタジオ“ミュージカル・ファーマーズ・プロダクション”/完成”
長期合宿で実力をつけ、北海道で実力No.1のアマチュアバンドに
“78年7月ヤマハ主催のロックコンテストに出場”
“見事グランプリを獲得する”
そのコンテストでベストアーティスト賞をとった2人が脱退
“78年11月ベース宮下隆宏・ドラム田中裕二 脱退”
“六土開正がキーボードからベースに転向”
“レコード会社の視察も来るようになっていた”
1979年11月に武沢豊が交通事故で、1980年に六土開正が病気で2人が長期入院となり、バンドが4人体制(玉置がベース)に
1980年9月、井上陽水の編曲やバンドサポートで活躍していた星勝が旭川まで見に来て「僕と10年音楽をやらないか」と言われ・・・10月にキティレコードと仮契約
プロのチェックが入り、補作詞(他の作詞家による手直し)が入るように
“その頃 俊也の自信作だった「萌黄色のスナップ」”
後に妻となる女性を想って書いた詩を手直しされることもあったのか、1981年に、武沢俊也がスランプに陥り・・・やがて脱退(1981年3月)へ
1981年7月、井上陽水が旭川に見に来て・・・
“当時、バックバンドを探していた井上陽水”
「'81井上陽水ツアー」のバックバンドに! 玉置浩二はコーラス&パーカッション
本日ご紹介のレコ『オン・マイ・ウェイ』)がリリース前にブリヂストン・スノータイヤのCMソングに!(北海道、東北地方で放映)
1982年、武沢俊也が歌詞を書いた『萌黄色のスナップ』でデビュー

↑ 地元愛ジャケ❣
しかし、レーベルには・・・
作詞:安全地帯・崎南海子、作曲:玉置浩二、編曲:安全地帯・星勝
そしてキティレコードと正式契約
ドラマーは大平市治(1958 - 2023)が辞めさせられ(玉置がもうここまでだと言う)、田中裕二が再加入し5人のメンバーが確立
六土開正(B.Key.ろくどはるよし 1955 - )が稚内市出身で、玉置浩二(Vo.たまきこうじ 1958 - )、武沢豊(G.たけざわゆたか 1958 - )、矢萩渉(G.B.やはぎわたる 1957 - )、田中裕二(D.たなかゆうじ 1957 - 2022)が旭川市出身
2ndシングル『オン・マイ・ウェイ(I'LL BE ON MY WAY)』(1982)
↑ 本日ご紹介のレコです
作詞:松尾由紀夫・清水宗己・パトリック・ナプクム、作曲:玉置浩二、編曲:星勝・安全地帯
3rdシングル『ラスベガス・タイフーン』(1983)
作詞:松尾由紀夫、作曲:玉置浩二、編曲:星勝・安全地帯
深町純(Key)が参加
1stアルバム「安全地帯I Remember to Remember」(1983)
帯には“危険な予感をはらんだこの一枚のアルバムから彼らのすべてが始まった。”とあり、『ワインレッドの心』ヒット後の盤と思われます
プロデューサーは星勝、作詞は10曲が松尾由紀夫、作曲は全て玉置浩二
B2『ビッグ・ジョーク』は作詞:小椋佳、リンダ・ヘンリック
アルバムは22位にランクインするも、1st~3rdシングルは売れず・・・
なかなかヒットが出ず、星が歌詞を井上陽水に頼んでみないかと・・・
4thシングル『ワインレッドの心』(1983)
1位の大ヒット! 安全地帯の名は全国区に!
サントリー赤玉パンチイメージソング
B面『We're alive』はブリヂストン・アイスコンパウンドⅡイメージソング
↓ 地元で見たお仕事グルマには・・・

“ワインレッドの下心”❣(笑)
5thシングル『真夜中すぎの恋』(1984) 20位
作詞:井上陽水、作曲:玉置浩二、編曲:星勝・安全地帯
B面『…ふたり…』の作詞は松井五郎で、これ以降、バンドメンバーのような形で作品制作に関わるようになります
2ndアルバム「安全地帯II」(1984) 2位
『ワインレッドの心』『真夜中すぎの恋』以外の作詞は松井五郎
玉置の作曲力・歌唱力はもちろんなんですが、バンドサウンド(私的にはギター)がカッコよかった!
『真夜中すぎの恋』はカラオケでよくやりました💦
6thシングル『マスカレード/置き手紙』(1984) 59位
作詞:松井五郎、作曲:玉置浩二、編曲:星勝・安全地帯
7thシングル『恋の予感』(1984) 3位
作詞:井上陽水、作曲:玉置浩二、編曲:安全地帯・星勝
3rdアルバム「安全地帯III〜抱きしめたい」(1984) 3位(オリコン年間アルバムチャートも3位)
先行シングル『恋の予感』以外は作詞:松井五郎
松井はレコーディングに同行し玉置と同室だったようです
A4『ブルーに泣いてる』は、ノーマン・ドジャーに『SONG IN BLUE』として提供され、ブリヂストンタイヤ「330EAGER」のCMソングに
クルマ・ジャケ「ブルーに泣いてる・・・(Song In Blue)」/Kazu Matsui Project featuring Norman Dozier
8thシングル『熱視線』(1985) 2位
作詞:松井五郎、作曲:玉置浩二、編曲:安全地帯・星勝
音楽番組「ザ・ベストテン」においてバンド初の1位
オートラマ「高感応レーザー」のCMソング
Youtube
フォード レーザーCM 1985年
「レーザー」はフォードの「オートラマ」で販売された、マツダ・ファミリアをベースにしたクルマ
2代目フォード・レーザー 1985 - 94
1stライブアルバム「ENDLESS」(1985) 4位
1985年2月12,13日の日本武道館と、2月17,18日の大阪城ホールでの「“エンドレス・ライヴ”ツアー」を収録
9thシングル『悲しみにさよなら』(1985) 1位
10thシングル『碧い瞳のエリス』(1985) 2位
大王製紙「エリス」のCMソング
4thアルバム「安全地帯IV」(1985) 1位
全曲作詞:松井五郎、作曲:玉置浩二
松井は、玉置が女優の石原真理子との不倫関係を基にA2『デリカシー』、B3『彼女は何かを知っている』、B5『ありふれないで』の作詞を行ったそうで、さらに、A5『こしゃくなTEL.』は玉置の女性関係を茶化し、A4『合言葉』は玉置と石原の関係が悪化したことを受けて作詞したものだそうです
1985年、紅白歌合戦に『悲しみにさよなら』で初出場
(前後は松田聖子の『天使のウィンク』と原田知世『早春物語』)
11thシングル『プルシアンブルーの肖像』(1986) 2位
1986年8月、神宮球場で陽水とのジョイント・ライブ開催
12thシングル『夏の終わりのハーモニー/俺はシャウト!』(1986) 6位

↑ 持ってなかった・・・😿
13thシングル『Friend』(1986) 7位
1stサントラ「プルシアンブルーの肖像 オリジナル・サウンドトラック」(1986)
映画「プルシアンブルーの肖像」で玉置は、失語症の学校用務員という役を主演
A2『旧校舎のテーマ』が矢萩渉、B3『カズミ』が六土開正の作曲
2ndライブアルバム「スターダスト・ランデヴー井上陽水・安全地帯LIVE AT 神宮」(1986)
『帰れない二人』、『飾りじゃないのよ涙は』、『夏の終りのハーモニー』などを収録
14thシングル『好きさ』(1986) 4位
TVアニメ「めぞん一刻」オープニングテーマ
5thアルバム「安全地帯V」(1986) 1位
アナログ盤3枚組(\6,000)で1位 ?! 1987年度年間7位!
シングル曲『夏の終りのハーモニー』、『Friend』、『好きさ』を収録
15thシングル『じれったい』(1987) 2位
太陽誘電カセットテープ「That's」のCMソング
16thシングル『Juliet』(1987) 7位
1987年には玉置はソロアルバムをリリース
「All I Do」/玉置浩二(1987 1stソロ) 2位
作詞:松井五郎、作曲・プロデュース:玉置浩二
John Robinson(D)、Paul M.Jackson(G)、Dan Huff(G)などのクレジットがあります
17thシングル『月に濡れたふたり』(1988) 13位
玉置が出演したJT「SOMETIME MIASS」のCMソング
6thアルバム「安全地帯VI〜月に濡れたふたり」(1988) 1位
全曲、作詞:松井五郎、作曲:玉置浩二、編曲:安全地帯・星勝・BAnaNA(川島裕二:Key)
『じれったい』と『月に濡れたふたり』はアルバムver.
A2『悲しきコヨーテ』に「BARBEE BOYS」の杏子が参加
私が持ってるレコはここまでで、18thシングル『I Love Youからはじめよう』(1988 14位)などは掘り出せておらず・・・😿
その後の「安全地帯」は、
23rdシングル『ひとりぼっちのエール』(1993)リリース後、玉置と他のメンバーの溝が深まっていき、武沢豊がバンド脱退を表明、安全地帯は活動休止状態に・・・
2002年、9年ぶりに24thシングル『出逢い』・9thアルバム「安全地帯IX」をリリース
2003年には10thアルバム「安全地帯X〜雨のち晴れ〜」リリースし、5人全員が揃ってのツアー後、再び約6年間の活動休止に・・・
2010年には7年ぶりとなる全国ツアー(18年ぶり24回目となる日本武道館も)
14thアルバム「安全地帯XIV〜The Saltmoderate Show〜」(2013)と31stシングル『あなたがどこかで』(2022)が現時点(2024年末)での最後のリリースとなっています。
2022年のNHK紅白歌合戦には37年ぶりに特別企画で出場し、『メロディー』、『I Love Youからはじめよう』を歌唱
今年(2024)の紅白には、玉置浩二として特別企画で出場しますが、はたしてバックミュージシャンは❓
そして、おそらく、「安全地帯」としての活動は、田中裕二(D)の死去により、もうないのではと思われます・・・😿
TV番組「安全地帯・零 ZERO ~旭川の奇跡~」のラストで、玉置浩二の『メロディー』(1996)が登場しますが、安全地帯メンバーに対する思いを歌った歌とされてます。
たかぴよさんのブログ
安全地帯 ブレイク前夜&その後にも興味深い話が書かれており、“多々あったスキャンダルさえなければ”には思わず頷いてしまいました。
玉置浩二の、薬師丸ひろ子との再婚、ツアーバンドの一員との再婚、石原真理子との不倫、TVに流れた青田典子とのいちゃつき&再婚・・・マイナス・イメージには違いありませんが、ボーカリストとしての存在感は揺るぎませんね
みんカラ的に・・・
バンド名は、旭川市を走る路面電車の道路標識「安全地帯」が「Victory」の頭文字「V」に似ていることから付けられたのだそう
停留所などに安全地帯があるときは、乗り降りする人がいるいないに関わらず、徐行して通行することができ、安全地帯がないときは乗降する人や横断する人がいなくなるまで、後方で停止して待たなければなりません。乗降する人がおらず、路面電車と1.5m以上の間隔がとれるときは徐行して通行することができます。
LRT・路面電車走行地域での運転(東京海上日動)
ここで文字数制限💦😿
長文駄文ブログ、いつもお付き合いいただきありがとうございます m(__)m
Part 2 に続きます