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ねも.のブログ一覧

2020年11月14日 イイね!

愛知・静岡ドライブ(2日目)

愛知・静岡ドライブ(2日目)愛知・静岡ドライブの2日目です。


ホテルを出て、名古屋市内を少しドライブしました。



「那古野神社(なごやじんじゃ・なごのじんじゃ)」




織田信秀が再建(1540年)したり、秀吉が社領348石を寄進(1595年)したりした歴史があるそうです。

「名古屋東照宮」(県指定文化財)


徳川家康が祀られています。

少し走ると、、、おお~っ!


「名古屋城二之丸大手二之門」(国指定重要文化財)








掘の向こうに「名古屋城」が見えました。


徳川家康が築城し、尾張徳川家の居城でしたが、名古屋大空襲(1945年)で大部分を失いました。鉄筋コンクリートで外観復元されています。

「四間道」



名古屋城下の商人町で、元禄13年(1700年)の大火の後、防火と商業活動のため、道路幅を四間(約7メートル)に広げたので、その名前がついたといわれています。

名古屋市から岡崎市に向かいます。

途中、「熱田神宮」(名古屋市)に寄りました。
以前、家族で来たことがあるのですが、助手席の御方はまったく覚えてない、というので・・(^-^;





ここでの私的見どころは・・・

「信長塀(のぶながべい)」



織田信長が桶狭間出陣の際、ここで戦勝を祈願し、勝ったお礼に奉納した塀です。日本三大土塀の一つだそうです。


社殿は伊勢神宮の式年遷宮の際の古用材を譲り受け、1955年に再建されたもの。




三種の神器の一つ「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」が、ここ熱田神宮の奥深くに神体として安置されているのだそう。

そのせいか、参道に「鬼滅の刃」の出店がありましたよ。



「桶狭間古戦場伝説地」(豊明市)にも立ち寄りました。(国指定史跡)


ボランティアの方が、詳しく話をしてくださいました。

ボランティアの方の後方に見える病院を建てた時に、たくさんの武具が発掘されたという話も聞けました。

「桶狭間の戦い」(1560年)での、今川義元の本陣の場所には諸説ありますが、ここは織田軍が奇襲に成功したとする「迂回攻撃説」の場所で、約1km離れた「桶狭間古戦場公園」(名古屋市)は「正面攻撃説」の場所とのこと。

今川軍の重臣・松井宗信の子孫が建てたとされる「桶狭弔古碑」には、信長の奇襲などについて記されてあり、桶狭間の戦いを紐解く貴重な資料ということでした。


「今川義元の墓」


ゆっくり話を聞き、見て回りたかったのですが、先を急ぎます。

お昼は、早い時間帯に、高速のPAで「名古屋どて肉みそ定食」と「名古屋コーチン親子丼」をかき込みました。


次に訪れたのは、「大樹寺(だいじゅじ・だいじゅうじ)」(岡崎市)です。
出発の前日に知った寺です。(^O^)/

一層方形二層円形の多宝塔は、国の重要文化財です。






「大樹寺」は徳川氏(松平氏)の菩提寺。

「大樹」とは征夷大将軍の唐名であり、松平氏から将軍が誕生することを祈願して命名されたと伝わる寺で、他に例が無いそう。



「桶狭間の戦い」で、義元討死の報を聞いた松平元康(家康)は、この寺で自害しようとしますが、住職から「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど、えんりえど)」の教え受け、生き延びて天下を平定し、平和な世を築く決意を固めたそう。

家康の遺言に「位牌は三河大樹寺に祀るべきこと」とあることにより、徳川歴代将軍の等身大の位牌が安置されています。

撮影NGのため、ネット上から画像をいただきました。

5代将軍綱吉の位牌は124.0cmで、背むし男だったらしく、それゆえ、生類憐みの令を出した・・・とは、聞こえてきたガイドさんの話。

墓地の奥にある「松平歴代当主の墓」


「三門」


「三門」前には「岡崎市立大樹寺小学校」があり、学校の塀が「大樹寺の土塀」のようです。校庭の向こうも歴史ある門のように見えました。


「大樹寺」の三門を通して2kmほど離れた岡崎城が見えます。この直線上には高層建築を建てることはできないことになっているんだそうです。






その「岡崎城」(岡崎市)に着きました。(駐車料金は30分\100)
家康の生地です。




「清海堀を探索しよう2020」というイベントをやっていたので、参加してみました。


空堀の中に降りて、石垣をまじかに見ることができる体験イベントです。
(11月の土・日に開催されているようです。(\200))




ガイドの方が、石垣の種類などについて説明してくれました。


自然石をそのまま積む「自然石積み」


割った石材を積む「割石積み」
ノミ跡がわかる石もありました。




いやあ、面白かったです!


再建天守に上がりました。




「大樹寺の見つけ方」を参考に、、、


分かりますか?


この辺りですね!



この日、最後に訪れたのは、信長・家康と、武田勝頼が戦った「長篠の戦い」(1575年)の場です。


決戦地である設楽原(したらがはら )には、信長が鉄砲隊を配置したという場所に「馬防柵」が再現されてありました。




「馬防柵」に守られるスチグレ君。(笑)


「土屋昌続戦死之地」の碑がありました。


土屋昌続は、御膳担(歌会では信玄の隣に座ることを許された)であったという。
ここで、武田家の名だたる武将の多くが討死にしたんですね・・・


「新城市設楽原歴史資料館」に寄りました(「長篠城址史跡保存館」との共通券\440)。


武具や火縄銃などがたくさん展示されてありました。


もう4時近く・・・。長篠城址へも行きたいので、急いで見て回ります。

でも、こんなことはしてます。(^-^;
 
     

2日目、最後の訪問地は、「長篠城址」と「長篠城址史跡保存館」です。

「長篠城址」(新城市)(国指定史跡)




「長篠城址史跡保存館」


「血染の陣太鼓」

長篠城の籠城の際に使用されたとされる陣太鼓で、背負って命令を伝達したそうです。

「長篠の戦い」で勝頼軍に包囲され、落城間近の状況を約65km離れた岡崎城の家康へ伝えに行き、城に戻る途中、武田側につかまり、磔にされた「鳥居強右衛門(とりいすねえもん)」関連の展示がありました。


武田軍が本陣を置いた「医王寺」などは行けませんでした・・・


が、ホテルに入る前に、ポイントを使い、少し掘り掘り。
こんなジャンクレコをGETしましたヨ。


夕食は、居酒屋で。最初、お方様の猛反対をくらいましたが、、、

密にならない、入り口ドア外のビニル仕切りの場所に座れるということで、なんとかお許しを得ました。


・ご縁焼ぎょうざ


・三方原じゃがと焼きそば


安くて美味い、コレですよね~!
Go To クーポン\2,000分も使えました~。



いつも長文駄文のブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。
3日目に続きます。
Posted at 2020/11/23 14:27:52 | コメント(0) | コペン | 日記

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