
愛知・静岡ドライブ最終日は、「高天神城址」以外はほぼノープラン。
で、朝になってスマホで「近くの観光」で調べると、、、
「犀ヶ崖」! 行き忘れた~~
9時からだしな~、今回はあきらめましょう・・。
「中田島砂丘」! コレ、おもしろそう~
ということで、来てみました。「中田島砂丘」(浜松市)
「遠州灘海浜公園」の前にありました。
東西4km・南北6kmもの広さがあり、「鳥取砂丘」や「九十九里浜」に並ぶ『日本三大砂丘』だそうです。全く知りませんでした。
アカウミガメの産卵場所だそうです。
いやあ、歩くのが大変でした。靴の中、砂だらけ~
遠州灘を眺めながら朝ごはんを食べました。
ちょっと風が寒かったけど、気持ちよかったです。
さあ、最終目的地「高天神城址(たかてんじんじょうし)」(掛川市)です。
北口駐車場に停め、搦手門から攻城です。
ここ「高天神城」は、信玄・勝頼と家康が激しい争奪戦を繰り広げた城です。
「第一次高天神城の戦い」(1574年)で、勝頼は、父・信玄でも陥とせなかった高天神城を落城させ、大いに武名を上げますが、増長し、「長篠の戦い」(1575年)での大敗を招いたという説があります。
「第二次高天神城の戦い」(1580年)では、家康の兵糧攻めに、落城します。勝頼は援軍を送れず、そのことがその後の味方が寝返りにつながったとも言われています。
「搦手門」

北側の入口。信玄に攻撃された時には250人が守備したところと伝わっています。
「三日月井戸」
「的場曲輪跡」
「大河内政局石牢道入口」

最後まで武田への降伏と開城に反対した大河内源三郎政局(まさちか)が7年間幽閉されていた石牢があります。(そこまで行きませんでした(>_<))
「本丸跡」
「元天神跡」
落城後、高天神城は廃城となり、その後も城郭として整備されることはありませんでしたが、個人によって模擬天守が建造されたことがあったようです。
「御前曲輪跡」にコンクリートの土台が残っていました。
天守跡から少し下り、南西に向かうと平場に出ます。
「かな井戸・井戸曲輪跡」
地元の(?)方々が草を刈ったり、案内板を立て直したりしてました。
こういう人たちがいなかったら、あっという間に荒れ放題になってしまうことでしょう。

ありがとうございます。
急な階段を上ると、山頂に高天神社がありました。
約290年前に「御前曲輪跡」から移築されたそうです。
「堀切跡」
駐車場で、しばし撮影タイム
さて、好天に恵まれた愛知・静岡ドライブも、あとは無事帰宅するのみです。
「高天神城址」から30分ほど走ると、目の前に茶畑が広がりました。
「牧之原大茶園」です!

静岡の茶の生産量の約40割を占める日本一の大茶園です。
お昼は、焼津漁港にあるお店で「桜えびとしらすの釜あげ丼」をいただきました。
帰路は渋滞があり、結局、ひたすら圏央道を走り、無事帰宅しました。
メモ
高速料金
1日目 \7,880
2日目 \1.380
3日目 \4,980 計 \14,240
う~ん、速旅、使った方が得だったかも・・・
システムが分かりづらすぎ~
出発前に、コロナ第3波のようになってきてしまい、「Go To」 少し悩みました・・・。
3日目(11/15)朝のTVニュース
言い訳がましいのですが、この3日間、密になる所はほとんどありませんでした。
ずっと、オープンだったし・・(^-^;
老後の楽しみ、備忘録の長文駄文ブログに最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
Posted at 2020/11/23 15:07:50 | |
コペン | 日記