
好天に誘われ、今日も出かけてしまいました。
できるだけ、人気のない方面へ・・・
栃木県那須郡那珂川町です。(失礼)m(__)m
まずは、「那珂川町なす風土記の丘資料館」(那珂川町)でお勉強です。(\100)
ちょうど目の前が国史跡「那須官衙(かんが)遺跡」(約1200年前の役所跡)のようです。
銅印(国重文)や墨書(ぼくしょ)土器、整然と並んだ掘立柱(ほったてばしら)建物跡などが発掘されたそうです。
開館と同時に一緒に入館したご夫婦(?)は、何やらスマホを見せて、割引料金?&おみやげGET。
「ODEKAKE by 栃ナビ!」というアプリでポイントを貯めたり、割引などの特典を得られるようです。
登録に夢中になり、見学がおろそかになってしまいました。(^-^;
もとは県立ということで、見応えありました。
人面把手付土器(小川町浄法寺遺跡)
駒形大塚古墳出土の鉄刀・鉄剣など
勾玉・管玉など
川崎古墳横穴式石室の実物大復元
次に、国指定史跡「下侍塚(しもさむらいづか)古墳」(栃木県大田原市)に行きました。すぐ道路わきに見えました。
前方後円墳ではなく、‟前方後方墳”です。(全長84m)
この辺りは水戸領で、1692年(元禄5年)に、「那須国造碑(なすくにのみやつこのひ)」との関連を調べるために徳川光圀の命により発掘調査が行われました。
日本最初の考古学的発掘調査だそうです。
出土品は埋め戻され、墳丘を守るためにアカマツが植樹されたため、原形をとどめ「日本で一番美しい古墳」とも言われるそうです。
駐車場、トイレ、遊歩道が整備され、30分ほど歩くと、侍塚古墳群の1号墳(前方後円墳、全長40m)、7号墳(円墳)、8号墳(方墳)などを見て回れるようでしたが、今回はパスしてしまいました。
また、近くに「上侍塚(かみさむらいづか)古墳」(全長114m)もあったようでしたが、そちらも行きませんでした。
「大田原市歴史民俗資料館」(大田原市)は無料でした。
縄をなう道具、初めて見ました。
謄写版、私が小学生の頃はコレで印刷してました。
テープレコーダー、黒電話、電卓・・・もうこれらも展示されるんですね。
蓄音機
隣接する「大田原市なす風土記の丘湯津上資料館」(大田原市)は入館料\100です。
「那珂川町なす風土記の丘資料館」と「大田原市なす風土記の丘湯津上資料館」の両方を訪れると、『那須の歴史と文化』(フルカラーp117 \500)がもらえました。
国宝「那須国造碑」のレプリカが展示されてありました。
2021年1月19日の下野新聞には『侍塚古墳 再発掘へ』の記事が掲示されてあり、今後の調査が待たれます。
「那須国造碑」(国宝)が、すぐ近くにあると知り、行ってみました。
「国造」とは、6世紀後半から7世紀後半までの地方支配体制で、現在の栃木県域には、那須国造と下野野(しもつけぬ)国造がいたことがわかっているそうです。
そしてこの「那須国造碑」は、日本三古碑(ほかの二つは多胡碑・多賀城碑)中唯一の国宝指定です!
「笠石神社」(大田原市)です。
『日本考古学発祥の地』の碑がありました。
「那須国造碑」は、御神体として覆(さや)堂に祀られており、\500で拝観できるようでしたが、まあ、いいかということにしてしまいました。(>_<)
この辺りには見どころがたくさんあり、「那須国造碑」以外にも、国史跡の「唐御所横穴(からごしょよこあな)」、「那須八幡塚古墳」、「那須神田城跡」(国史跡)などなどをスルーしてしまいました。

再訪したいと思います。
昼食は、「高瀬観光やな」の案は却下され、「峠の茶屋 一休」(那珂川町)となりました。
「サービスステーキセット」(\1,100)はかなりリーズナブルと思います。

とても美味しく、接客も良い感じでした。
駐車場は広大なので、TRGにいいのではないでしょうか、RAさん!
さて、本日のメイン、「鷲子山上(とりのこさんしょう)神社」(那珂川町)に向かいます。
メインをラストにしてしまったため、ちょっと落ち着かないドライブになってしまった感じです。
神社までの道路がかなり狭いため、茨城県側から上る一方通行が推奨されてます。
栃木県那須郡那珂川町と茨城県常陸大宮市の境界に鎮座する神社です。

山頂に神社があることも、山頂が県境であることも珍しいことではありませんが、大鳥居や本殿の中央を県境が貫き、二等分されている例は珍しいようです。
境内には栃木・茨城両県の社務所があり、それぞれに宮司がいるようですが、通常は栃木県側が管理しているそうです。
神社庁に登録手続きをする際に、茨城県側の宮司が誤って「とりのこさんじょうじんじゃ」と記入してしまったため、茨城県側では「とりのこさんじょうじんじゃ」が正式な読みとなったそうですが、おいおい、茨城・・・(>_<)
楼門(随神門)
フクロウの石段

全96段あり、片道苦労(96の語呂合わせ)、往復不苦労(96段を2回で2×96の語呂合わせ)といわれ、幸運を呼ぶ石段とされています。
1990年(平成2年)、栃木県・茨城県が同時に、本殿などを県指定有形文化財に指定しました。
拝殿は茨城県側にありますが、共同所有の形をとるそうです。
主祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)で、フクロウの神社として信仰を集めおり、境内にはたくさんのフクロウ像がありました。

管理の都合上、栃木県側に設置だそうです・・・
徳川光圀が宿泊(休憩?)したと伝えられる「伍智院(ごちいん)」。

栃木県側社務所の裏手にあります。
日本一の大フクロウは2008年(平成20年)に鎮座千二百年祭の集大成として設置されたもの。これも栃木県側だな・・・
「ナニコレ珍百景」で紹介されてから、参拝者が増えているとのこと。
大駐車場は最近つくられたと思われるます。これも栃木県側・・・
まあ、栃木・茨城両県で仲良く管理していただきましょう!(^^)!
帰り道、見覚えのある橋を通ったので、立ち寄ってみました。
「観光やな『ひのきや』」(那須烏山市)さん、営業中でした。
こちらには、コペンで2回(?)訪れてます。
コペンを買った年に行った
「那須烏山 紅葉?ドライブ」(2017.11.3)
RAさん主催の
「関東の嵐山の紅葉と鮎めしを楽しむTRG」(2019.11.17)
また今年も鮎を味わえたらなあ、と思いながら帰路に着きました。
長文・駄文のブログ、最後までお読みいただきありがとうございました。
m(__)m