
クルマ・ジャケコーナー第79回は、青江三奈の7thシングル「霧のハイウエー」(1968)です。
青江三奈(あおえみな、1941 - 2000)、ご存知でしょうか?
高校在学時から「銀巴里」のステージに立ち、専属クラブ歌手などをした後、1966年に『恍惚のブルース』でメジャーデビュー
80万枚を売り上げる大ヒットで、この年の紅白に初出場!
ンあ~ン♡ の色っぽい吐息の『伊勢佐木町ブルース』(1968 7thシングル)は100万枚売り上げ、第10回日本レコード大賞歌唱賞と第1回日本有線大賞スター賞を受賞!

当時のオヤジたちはこのレコを家庭で聴けたんでしょうか(ヘッドフォン?)(^-^;
11thシングル『長崎ブルース』(1968)は売り上げ120万枚!
さらに16thシングル『池袋の夜』(1969)が150万枚を売り上げ、最大のヒット曲となり、史上初めて2年連続で日本レコード大賞歌唱賞を受賞します。
私が持ってるレコは、4曲入りで日本ではコンパクト盤(コンパクトLP・ミニLP)と呼ばれる盤です。
回転数が33 1/3。通常のLPでの内周部にあたるので音質が劣ると言われてますね。
1969年度のレコード年間売上金額は全歌手の中で青江三奈が1位!
この頃より、同じくハスキーボイスの森進一と並んで"ため息路線”と呼ばれました。
「夜と恍惚とため息と」/青江三奈・森進一(1969 ?) \1500
札幌、函館、新宿・・・など、ご当地ソングをヒットさせました。
海外にも目を向けた(?)18thシングル『国際線待合室(インターナショナル・ロビー)』(1969)
NHK紅白歌合戦には1966年に初出場し、1968年から1983年まで16年連続で出場。
第19回NHK紅白歌合戦(1968(昭和43年))に出場したときは、吐息が色っぽ過ぎるため、カズー(楽器)の音に差し替えられたそう・・・(*_*;

第33回(1982年)で歌ったときは差し替えなし
11th アルバム「放浪船(さすらいぶね)」(1973)\1800
森進一のレパートリーを歌っているアルバム。
「森のヒロインは泣くが、青江のヒロインはまず泣くまいとする。涙でくずれた化粧を直し、衣装も少しハデなものに着替える。そうすることで、悲しみから立ちあがろうとするのだ・・・」(伊藤強 ライナーノーツより )
マスプロ電工のマスプロアンテナのTVCM(1970-79)では、『伊勢佐木町ブルース』の替え歌で、♪「あなた知ってる〜 マスプロアンテナ〜 見えすぎちゃって 困ァるのォ〜」と唄い、お色気CMとして評判になりました。

「あら、入っちゃった。あんたもヤッてみるぅ♡」は、つい変な場面を妄想してしまいますネ。(;^_^A
ミニスカ・ゴルファーで思い浮かべるのは、「グリーンの妖精」と呼ばれたローラ・ボーですね!
55thシングル『新地ワルツ』(1983)

見本盤です。
80年代あたりになるとだいぶ普通な感じになりますね。(笑)
さて、本日ご紹介のクルマジャケ・レコは、代表曲『伊勢佐木町ブルース』のB面です。
「霧のハイウエー」/青江三奈(1968 作詞:川内康範、作曲:大野正雄) 定価\330
ジャンク箱で見つけましたが、こちらのB面ジャケが表になっていなければ、こうしてご紹介できなかったと思います。
♪ 誰がつけたか ドリームコース
デイトが二人の 幸福なのよ
時間の限りを 寄り添いながら
恋のドライブ 夜を夜を明かして
ああオレンジカラーの 夢を見る
青江三奈は、膵臓癌により59歳という若さで死去(2000年)しています。
癌の転移が判明した時、青江は、以前、同居しながら歌唱指導を受けた作曲家の花礼二に連絡し、19年ぶりに再会。
そして、死去する約2か月前に病床で婚姻届に署名して結婚したそうです・・・ 合掌
さてさて、ジャケのクルマですが、、、
「ダットサン サニークーペ」かとも思いましたが・・・
特徴的なテールエンドや白いステアリングから・・・
2代目スカイライン(50系1963 - 68)ではないでしょうか? いやあ、難問です。
【登場車両】
ニッサン・プリンス・スカイライン 2代目 (50系 1963 - 68)
【自己採点】
クルマ度 7点(なんといってもプリンス スカイライン!)
魅惑度 8点(「あんたもノッてみるぅ?」)
音楽度 5点(『伊勢佐木町ブルース』のインパクトが大き過ぎて・・・)
Posted at 2021/10/30 05:38:36 | |
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