
4/29~5/1、2泊3日で東北方面をドライブしてきました。
午前2:40に自宅を出て、矢板ICから東北道に乗り、ひたすら弘前を目指しました。
← 岩手山?
途中、長者原SSで給油。178円/L (;´Д`)
2時間ごとに10分程のトイレ休憩をして、約8時間で弘前に到着~。
まず「最勝院」(弘前市 国重文)参拝です。\500
日本最北端の国重文五重塔。
津軽藩3代藩主津軽信義、4代信政の寄進により、10年以上かけて建立されたそうです。
次は今回のドライブのメイン「弘前城」です。
近くの駐車場はほとんど\1,000のようでしたが、地方裁判所の隣に\500駐車場を見つけました。雨だから\500なんだとか。
今回のドライブは、助手席の御方様が「日本一の桜を見る!」と言って計画したのですが、残念ながら時期が過ぎてしまってました。
年々、早くなってるそうです。花筏(はないかだ)も見られず・・・
追手門から攻城です。
三の丸追手門、三の丸東門、二の丸南門、二の丸東門、北の郭北門(亀甲門)の5棟が国重文ですが、二の丸南門と三の丸追手門は修理工事中です。
有料ゾーン(\320)へ。
天守は現存12天守の一つです。(国重文)
初代の五重天守は1627年に焼失し、現在の三重天守は、ロシア船の津軽海峡往来などの事態により幕府の許しを得て、1811年に辰巳櫓の改修を名目として建てられ、幕府への配慮から天守ではなく櫓としていたとか。
2015年に天守を曳家で約70m移動させ、現在、本丸石垣の修理中です。
天守の前にある「いかすみ石」
石垣の解体修理中、四隅で見つかったイカのような形をした巨石。
天守内部を見学。
桜は終わってるし、寒いし、メガネは曇るし、腹は減るし・・・で、重文の北門や丑寅櫓は見ずに弘前城を後にすることに。
「東内門」から退城。
Pの隣にあったGSで給油。164円/L
隣りに見えるのは「青森銀行記念館」(1904年建築 国重文)
お昼は「田沢食堂」にて五目ラーメン\550×2、チャーハン\500。
安くて美味い街中華!(^-^;
そして、雨の「禅林街(ぜんりんがい)」。
並木道に沿って33の曹洞宗の寺院があるところです。
弘前藩2代藩主・津軽信枚が長勝寺を当地に招き、弘前城築城の際、寺院が集められ、南の要として出城の役割も担っていたとか・・・。
「栄螺堂(さざえどう)」を見学するのに、「蘭庭院(らんていいん)」で鍵をお借りました。
自分で鍵で開けて入るのは少し緊張しますが面白いです。
「栄螺堂」は津軽藩の豪商、中田嘉兵衛が天明天保の飢饉で亡くなった人などを供養するために建立したそうです。「六角堂」と呼ばれますが、実際は八角です。
そして「禅林街」の一番奥にある「長勝寺(ちょうしょうじ)」を参拝しました。
本堂、庫裏、三門、御影堂などが国重文です。
雨のせいか、ほぼ誰もおらず、静かに見学できました。
弘前を後にし、宿泊地、青森へ向かいます。下道で約1時間。
途中、「縄文の学び舎・小牧野館(青森市小牧野遺跡保護センター)」(青森市)に寄りました。
「小牧野(こまきの)遺跡」は2021年に世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つです。
「三内丸山遺跡」は行ったことがあるので今回はパスしました。
たくさんの土器や土偶が展示されてありました。
そこから車で約5分ほどのところに「小牧野の森・どんぐりの家」があり、数分歩くと「小牧野遺跡」がありました。
大型用の駐車スペースもありましたが、この道ではまだバスは行けませんね。
八甲田山西麓にある、直径約55mの環状列石。土偶やミニチュア土器、三角形岩板などが出土し、祭祀遺跡とされています。
寒くて暗くて・・・縄文時代に想いを馳せる余裕なし。
が、遺跡に刺激を受け、ポイントを使い、青森の地で少し掘り掘り(バカだな~)。・・・収穫0。
2日目に続きます。
いつアップできるか ? です。
長文・駄文ブログ、お付き合いありがとうございます。m(__)m
Posted at 2022/05/05 09:01:48 | |
トラックバック(0) |
コペン | 日記