
朝食前に盛岡市内を傘をさして散歩見学しました。
まず「岩手銀行赤レンガ館」(国重文)。
1911年から2012年まで使われた銀行(盛岡銀行、岩手銀行)で、日本銀行本店や東京駅でも知られる、辰野金吾が設計した建築として東北に唯一残る作品だそうです。
「桜山(さくらやま)神社」
盛岡城内淡路丸にある神社です。
社殿のすぐそばにある「烏帽子岩(えぼしいわ)」は、盛岡城築城時に出てきた大石だそう。
ここでも石垣の修復工事をしていました。
そして「盛岡城跡公園(岩手公園)」へ。
盛岡城は、盛岡藩初代藩主 南部信直(なんぶのぶなお)が、1597年(慶長2年)年に2代藩主 利直(としなお)を総奉行として築城を始めたと伝えられ、築城開始から36年後にほぼ完成し、1633年に3代藩主 重直(しげなお)が入城し、盛岡南部氏の居城となりました。
北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵上に本丸・二ノ丸・三ノ丸・淡路丸(あわじまる)など曲輪を配し、それぞれに雄大な石垣を構築して内曲輪とした城の縄張りは、豊臣家重臣の浅野長政の助言によったそう。
花崗岩の石垣は見応えがありました。コチラも桜の季節は見事でしょうねえ・・・
「盛岡城跡公園」を出て、先ほどの桜山神社の鳥居でしょうか?
下曲輪跡は飲食店街になっているのが面白かったです。
「石割桜(いしわりざくら)」(国天然記念物)
「紺屋町番屋(こんやちょうばんや)」
1913年(大正2年)建築の盛岡消防団分団。
朝食、チェックアウト後、3日目のドライブ開始。残念ながら本降りです。
まず「報恩寺 五百羅漢」へ。
この中に1731年(享保16年)から4年の歳月をかけて作られた約500体の羅漢があるそうですが、拝観は9時からで残念ながら見ることはできませんでした。
次は「三ツ石神社 鬼の手形」です。
ナビでかなり狭い路地を進むと駐車場(5台ほど トイレ有)がありました。
境内にある3つの花崗岩には「2度と悪さをしないと鬼が誓い、石に手形を押した」という伝説があり、これが岩手の由来にもなっているのだとか。
手形はよくわかりませんでした・・・
そして「志波城(しわじょう)古代公園」(国史跡)
志波城は、803年に、桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂によって造られた十数か所の城柵のうち、もっとも北に位置するもの。
正門である外郭南門(高さ11m)や築地塀(全長252m)などが復元されています。
雨で靴下までぬれてしまい、ここで帰路につくか悩んだのですが、秋田県を回ってから帰ることにしました。
1時間程で「角館武家屋敷通り」(秋田県仙北市)に着きました。駐車料\500
かつての中・下級武士の侍屋敷である旧家が建ち並ぶ通りです。
日本の道100選、日本さくら名所100選にも選ばれているそうです。
お昼は「桜の里 本店」で。
『究極の比内地鶏親子丼』(\1,650)、『比内地鶏親子丼と稲庭うどんセット』(\1,750)を頼みました。
やっと観光らしいランチ(^-^;)
食後に「青柳家」を見学しました。(\500)
有料の家が3軒あるようです。
青柳家は、ここ角館で、はじめ芦名氏に仕え、芦名氏断絶後は明治の世を迎えるまで、佐竹氏の臣下となり主君の繁栄を支え続けた家。
「武器蔵」
「解体新書記念館」
『解体新書』の人体解剖図を描いたのが角館の武士、小田野直武。青柳家とは姻戚関係にあったようです。
「秋田郷土館」
2階には古いレコードなどが展示されてました。
「ハイカラ館 2F展示室」
「母屋」
約200年前の建築。
刀実触体験、籠掻(かごかき)体験などのほか、鎧の着用体験(\4,500)なんてのもあったようです。
芦名家の菩提寺「天寧寺」なども見たかったのですが、もう靴がびしょびしょ。
帰ることにしました。
「払田柵跡」「横手城」などもまたの機会に・・・。
矢板ICまで高速。途中、少し渋滞がありました。
4号、408号は雨で路面が光ってよく見えず怖かった~。
もうすぐ20万kmのコペンくんもがんばり、無事帰宅することができました。
総走行距離 1615.5km
ガソリン代 \15,863
高速代 \18,820
駐車代 \1,000
もう、しばらくはロングドライブはいいかなあ・・・
?! 今、隣で仙台の方を調べてる方がいます・・・(゚Д゚;)
長文・駄文ブログ、お付き合いありがとうございました。m(__)m
Posted at 2022/05/08 19:53:20 | |
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コペン | 日記