
最終日も朝食前に少しだけドライブ。
ナビでなかなか辿り着かず、一方通行の出口で発見。
「草津宿本陣」(滋賀県草津市 国史跡)です。
東海道五十三次の52番目の宿場。
現存する本陣としては最大級だそうで、一般公開もされているようです。
大福帳には、浅野内匠頭、吉良上野介、土方歳三などの名があるとか!
「石造道標」(市文化財)
東海道と中山道が分岐点「追分」に1816年に建てられた道標で「右 東海道いせみち、左 中山道美のぢ」と刻まれています。

直進(赤い矢印)が中山道、右折(青い矢印)が東海道です。
トンネルの上は天井川の旧草津川。
織田信長は足利義昭に和泉堺、近江の大津・草津に代官を置くことを願い出ている重要地点。
朝食後、まず
「建部大社(たけべたいしゃ)近江國一之宮」(大津市)へ。
1945年、日本で初めて作られた千円札の図柄に本殿が使われています。
本殿の裏手に回ると、
「菊化石」と“君が代”の
「さざれ石」を見ることができます。
「頼朝公の出世水」
源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆国に流される道中、ここに立ち寄り源氏の再興を祈願、後に大願成就したことから、出世開運の神社としても名高いとのこと。
「瀬田唐橋(せたからはし)」(大津市)
宇治橋、山崎橋とならぶ日本三大橋の一つ。
古来「唐橋を制する者は天下を制す」といわれ、壬申の乱、承久の乱など、さまざまな戦乱に関わってきたそうで、交通の要衝かつ京都防衛上の重要地。
近江大津宮遷都(667年)時代の橋脚の基礎が、1988年に、現在の橋より約80m下流で発見されたそうです。
次に訪れたのは
「石山寺」(大津市)です。(駐車料\600、入山料\600)
「東大門」 (重文)
淀殿の寄進により慶長年間に大修理された門。
「毘沙門堂」
「蓮如堂」 (重文)
「本堂」(国宝)
奈良時代後期、聖武天皇の発願で良弁によって開かれたお寺だそうです。
「源氏の間」
紫式部が『源氏物語』を書いたと伝えられる部屋。
説明板には、
「天皇や皇族、貴族などが使用する部屋。皇后の女房である式部は特別待遇にあったわけですが、新しい物語の制作がいかに重要な任務であったかが伺えます。・・・この部屋は鎌倉時代にはすでに『源氏の間』と呼ばれていたようです。」とありました。
2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」では主人公が「紫式部」。吉高由里子が主演を務めるそうですが、きっとココは注目されますね。
もっと上の「豊浄殿」で紫式部展(¥300)をやっているようでしたが、そこまで行きませんでした。
「三十八所権現社本殿」 (重文)
「経蔵」 (重文)
「多宝塔」(国宝)
源頼朝が建立したと伝えられ、建久5年(1194年)の銘がある現存最古の多宝塔。
日本三塔の一つ。
「鐘楼」
「御影堂」 (重文)
寺名の由来となった天然記念物の硅灰石(けいかいせき)の間からミストが噴出~
この後、「甲賀流 忍術屋敷」 (甲賀市)でもと考えてましたが、御方様はNo Thank You と。
ちょっと面白そうだったんだけどなあ~。
で、最後に訪れたのがコチラ
「椿大神社(つばきおおかみやしろ)」(三重県鈴鹿市)
猿田彦大神を祀る神社の総本社とされている神社です。
猿田彦は『古事記』および『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する神で、「鼻長七咫、背長七尺」ということから、天狗の原形とする説と、「天地を照らす神」から、太陽神だったとする説があるようです。
「拝殿」
「別宮椿岸神社」
また、天孫降臨の際に道案内をしたことから、道の神、旅人の神となり、道祖神と同一視され、全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られているとのこと。
道路上での安全を司る神様でもあるようで、たくさんの人がお祓いを受けてました。
お志\5,000以上ということで、私はそっと遠くからお願いいたしました。(^-^;)
さあ、ここからはひたすら茨城へ走ります。安全第一で!
首都高は避けて圏央道にすればよかったなあ・・・混んでるしやっぱり怖かった・・・
「猿田彦神」のおかげか、スチグレcopen君も私たちもなんとか無事、帰宅することができました。
スチグレ君、ありがとう~! お疲れ様~
総走行距離 1531.8km
ガソリン代 \18,298(124.48L)
平均燃費 12.3km/L
高速代 \24,070
駐車代 \2,910
疲れました・・・ブログ作成も (苦笑)
長文駄文ブログ、最後までお付き合いいただきありがとうございました。m(__)m
Posted at 2022/09/05 05:04:37 | |
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コペン | 日記