
レッズレノンさんのブログを参考に、埼玉県・川島町~桶川市をドライブして来ました。
まずは比企氏ゆかりの地、比企郡川島町へ。
自宅から下道約2時間で「金剛寺」(比企郡川島町)に到着です。
「山門」(国有形文化財・令和2年指定)
駐車場はこの山門の内側と本堂裏です。
天正年間に比企能員の末裔である比企則員(のりかず)が中興したと伝えられる比企一族の菩提寺です。
境内を掃き清めている方にご挨拶したらご住職様でした。
1人500円で案内・説明していただけるということでお願いしました。
「大日堂(比企氏位牌堂)」(国有形文化財・令和2年指定))
金箔の天蓋で鎮められた「天井の龍」などを見ることができました(内部は撮影NG)。
「大日堂」裏手、空堀を渡ると「比企氏歴代墓地」があります。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、比企能員(ひきよしかず)を演ずる佐藤二朗が軽妙な味を出してました。
その比企能員の墓は鎌倉の妙本寺にあるとのことで、こちらには15代則員(のりかず)を含む歴代の墓があります。
現在の比企家のお墓も(たぶん・・・よく説明を聴いてない・・・)
近年、建て替えられた本堂(?)で、さらに詳しい歴史をお話しいただきました。
こちらはご住職が乗ったという江戸時代の駕籠(修復したもの)。
1時間ほど案内・説明していただいた後、次に向かいました。
北条政子ゆかりの寺「廣徳寺(こうとくじ)」(川島町)です。
「大御堂(おおみどう)」(国重文)
「大御堂」は阿弥陀堂のことで、北条政子が美尾屋十郎廣徳の菩提を弔うため、美尾屋氏の館跡に建立したものと伝えられています。
この「美尾屋十郎廣徳」なる人物は源平合戦(屋島の戦い)で活躍した武士?
尼将軍・政子がなぜこのような御堂を建立したのか・・・(私の資料読解能力0)
現在の茅葺の禅宗(唐様)建物は、室町後期頃に再興されたもののようです。
「金剛寺」 も「廣徳寺」も観光客は誰もおらず、とてもゆったりできました。
「熊野神社古墳」(桶川市)に立ち寄りました。
川田谷古墳群の1つ( 直径約40m 高さ約6mの円墳。4世紀頃築造と推定)で県指定史跡。
1928年に熊野神社改築のため神社下を数メートル掘ったところ遺物が発見され、本格的な発掘調査の結果、東日本ではきわめて珍しい品が多く、関西との類似点があるなどから国重文に指定されているそうです。
さて、ランチはコチラ「食事処 高半」(上尾市)で。
古民家風で、海鮮丼、天丼などが評判のお店です。
悩んだ挙句、天丼(大 \1,100)を注文。
食べきれませんでした(;´Д`)
食後にUターンし、「泉福寺(せんぷくじ)」(桶川市)へ。
境内のすぐ下が河川敷のような感じで、そこが駐車場でした。
対岸に「ホンダエアポート」があり、セスナ機などが飛び立ってました。
「泉福寺」は829年、円仁を開山として創建されたと伝えられる天台宗のお寺です。
1262年(鎌倉時代)造像という「木造阿弥陀如来坐像」(国重文)は、現在は耐火収蔵庫内に保管されているようです。
「仁王門」
石造の仁王像がありました。
「川田谷生涯学習センター・歴史民俗資料館」(桶川市)に「熊野神社古墳」出土品のレプリカが展示してあるというので立ち寄りましたが、休館でした。
そして、「中山道宿場館(桶川市観光協会)」(桶川市)へ。
すぐ近くにパーキングがあります(1時間無料、1時間\100)。
和宮(仁孝天皇第八皇女)が第14代将軍家茂の正室となるため中山道を下向した話や、足立遠元の話など、係の方がとてもていねいに説明してくださいました。
ここ桶川市に居住していたとされる足立遠元は「鎌倉殿の13人」の1人で、文武両道、都とのつながりも深く重要な豪族だったようです。
そのあと、「中山道桶川宿」を少し見学(ぷらぷら)。
「桶川宿本陣遺構」・・残念ながら見学はできません。
「矢部家住宅」
「小林家住宅母屋(ブラッドベリ喫茶店)」
「島村老茶舗(しまむらろうちゃほ」
「島村家住宅土蔵」・・・見逃しました(>_<)
そして、「懐古堂」はチラ見だけ・・・
「桶川飛行学校平和祈念館」、「三ツ木城跡」、「埼玉漁港の海鮮食堂 そうま水産」などはまた次の機会として・・・
思った以上に暑くなり、クローズド&エアコンで帰路に着きました(^-^;)
参考にさせていただいたレッズレノンさんのブログ
「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねる。(比企氏 編)
北条政子ゆかりのお寺へ。
昭和のお宝、盛りだくさん。桶川「懐古堂」。
ありがとうございました。
Posted at 2022/09/26 20:40:07 | |
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