伊勢原市(大山寺など)ドライブ その1 の続きです。
「大山寺」、「大山阿夫利神社 下社」を参拝した後、訪れたのは「浄発願寺(じょうほつがんじ)」(伊勢原市)です。
1608年(慶長13年)、ひたすら修行に勤しみ、口にするのは木の実や草だけという木喰(もくじき)の僧、弾誓(だんせい)聖人が開山。
罪人の「駆け込み寺」としても知られているお寺で、殺人と放火以外はこの寺に逃げ込めば助けられたそうです。
徳川家康が深く帰依し、代々幕府の手厚い庇護を受けましたが、明治の廃仏毀釈、寛永寺の末寺だったこともあり激しい弾圧を受け衰退。
さらに1938年(昭和13年)の台風での土石流被害により壊滅状態となり、1㎞ほど下流の現在地に再建されました。
元の地は「奥の院」と呼ばれ、その遺構が残っているようで行ってみましたが、わかりませんでした。
次に訪れたのは「日向薬師・宝城坊(ひなたやくし・ほうじょうぼう)」(伊勢原市)です。
薬師としては珍しい(?)茅葺き屋根の本堂は平成に大改修したもの。
奈良時代716年、行基により開山。普段はご本尊の薬師三尊像は拝観はできませんが、前立ち薬師三尊像と阿弥陀如来像、十二神将像は拝観できます(撮影不可)。
1192年、源頼朝が政子の安産祈願で神馬を奉納(大山寺、比々多神社にも)。
さらに1194年には大姫の病気平癒祈願のため、後の「鎌倉殿の13人」のうち6人(北条義時、大江廣元、梶原景時、和田義盛、三浦義澄、八田知家)を引き連れ参詣しているそうです。
宝物殿では薬師如来像、阿弥陀如来像などを見ることができるようでしたが、入りませんでした。また、上の駐車場に停めたため、山門や仁王像は見ませんでした。
パンフレットで知った「浄業寺跡(じょうぎょうじあと)」に行ってみました。
なかなか見つからずウロウロしましたが、道路わきに看板を発見。
鎌倉時代1201年(建仁元)、北条政子が頼朝の菩提を弔うため建立した寺の跡です。
後に荒廃し、江戸時代に再興するも、1904年(明治37年)、大雨により裏山が崩壊し、建物が壊滅し、1908年(明治41年)に廃寺となりました。
次は「比々多(ひびた)神社)」(伊勢原市)です。
頼朝が妻政子の安産祈願のため相模国の社寺に神馬を奉納したという記録の中に「三宮冠大明神」の名で列記されている神社です。
相模国最古の神社と言われ、境内、近隣からは縄文中期の環状配石の「立石」などが出土しているそうです。
七五三でお参りしているご家族を撮ってあげてる巫女さん(?)に頼んだら、快く私たちも撮ってくれました。
さて、ランチはどうしようかと思ってると、目の前に調査すべき建造物が!(笑)
ポイント使用で15分ほど発掘作業!
おお~っ、壁レコに!?
「Lucky Lady Feel So Good/角松敏生」(1986)
クルマ・ジャケ! 希少な12インチ・シングル!
しばらく悩み・・・このクルマは判らないなあ~と思い、買わず。
『LIVE IN JAPAN '86』/HEART(非売品シングル \55)などジャンク2枚だけを掘りましたが、帰り道は後悔しまくり・・・あ~カドマツ~~(>_<)
ランチは「たちばな」というお店で。
手延べ拉麺のぶためん(\650)と野菜あんかけ麺(\750)をいただきました。
近所ならまた行ってもいいと思う味でした。
そして、この日最後に訪れたのは「伊勢原大神宮」(伊勢原市)です。
ナビでなかなか辿り着けず、やっと社務所裏手の第1駐車場(10台弱?)に入れました。
近くに第2、第3駐車場があるようです。
伊勢原地名発祥となった杜。「外宮」(向かって右側)、「内宮」の順に参拝。
とても穏やかで暖かな1日で、大山寺から帰宅するまでずっとオープン走行できました。
今、太ももが痛いのがちょっとアレです。(^-^;
長文駄文ブログ、お付き合いいただきありがとうございました。m(__)m
Posted at 2022/11/21 19:49:08 | |
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