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2022年12月27日 イイね!

鎌倉ドライブ2日目(その2・安養院など)

鎌倉ドライブ2日目(その2・安養院など)鎌倉ドライブ、いよいよ最終回!(笑)


「万福寺」から相模湾沿いの道を走り、昨日見逃したお寺をいくつか回りました。



「安養院」(鎌倉市)

専用駐車場(4,5台?)が境内下にありました。




拝観料\200を箱に入れ境内へ。


本堂手前の右手にソテツ、左手には樹齢7百年のマキの巨木。




北条政子が頼朝を供養するために建てた長楽寺などが前身で、「安養院」は政子の法名。

本堂裏手に、北条政子の墓といわれる石塔と、鎌倉時代後期(1308年)建立の宝篋印塔(ほうきょういんとう)(国重文)があります。








本堂の北条政子の像などの拝観はできないようでした。

↓ 大正時代の制作とみられる政子像(画像はネット上からお借りしたもの)。


小池栄子、良かったですね。
念願の大河出演、しかも主役級!


讀賣新聞オンライン(2022/12/8 配信)にこんな記事がありました。

尼将軍と呼ばれた北条政子、晩年の姿を3Dプリンターで復元…「強さや悲しみ読み取れる」

安養院にはもう1体、制作年代不明の政子像があり、傷みで表情が判らず、今回それをスキャナーで読み取り、3Dプリンターでレプリカを作成したとのこと。



また、像の木片を放射性炭素で測定した結果、室町時代から江戸時代初期と判明したそうです。


次に「来迎寺(らいこうじ)」へ向かいました。

鎌倉市内に2つの「来迎寺」(西御門・材木座)があり、

まず、鎌倉市西御門の「来迎寺(らいこうじ)」


1293年(永仁元年)、一向によって開山されたというお寺です。



明治の神仏分離により、頼朝を葬った法華堂(現・白旗神社)にあった3体の像がこちらに移されということですが、よく見ることができませんでした。


そして、鎌倉市材木座の「来迎寺」 駐車場あり。


材木座の来迎寺は、1194年(建久5年)、頼朝が三浦義明(みうらよしあき)の菩提を弔うために建立した寺(当初は「能蔵寺」)だそうです。

三浦義明は89歳にして頼朝の挙兵に呼応し、当時平氏方だった孫の畠山重忠に攻められ討死した武将(和田義盛、三浦義村の祖父)です。


三浦義明と多々良重春の2基1組の五輪塔(お墓?)


本堂裏には三浦一族の墓(?)がありました。



「補陀洛寺(ふだらくじ)」(鎌倉市材木座)


頼朝が鎌倉入りした翌1181年に平家打倒の祈願所として創建されたと伝わり、開山は文覚上人、開基は源頼朝。


ここ補陀洛寺には、「平家の赤旗」が保管されているそうです。
70cm×40cm程度の大きさで、頼朝が平家を滅ぼした際、平家の大将・平宗盛の大将旗を持ち帰ったものと伝わるそうです。普段は公開してません。


そして最後に訪れたのは「光明寺(こうみょうじ)」(鎌倉市材木座)です。


山門前に広い駐車場がありました。  
鎌倉最大級の山門です。


山門のすぐ近くに高倉健の墓碑がありました。 


なんでも、高倉健さん家は鎌倉幕府最後の14代執権・北条高時の末裔であると伝えられているそう・・・

現在、「大殿(本堂)」(国重文)は令和の大改修中。






4代執権・北条経時の帰依を受けた良忠上人が1243年に創建したと伝わります。 







徳川家康が主要な浄土宗寺院18ケ寺とした「関東十八檀林」の首座であり、関東総本山。


徳川家康といえば・・・

2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」!


どうする古沢良太、どうやる松潤?!


ごく一部のグルメ情報を求めてる方のために・・・(笑)

ランチは「めしやっちゃん」(逗子市) 駐車場あり・P補助あり


釜揚げしらす丼(\1,000)、穴子天丼(\1,300)をいただきました。




テラス席がいい感じでしたよ。




以上で鎌倉観光終了~ 明るいうちに帰宅いたしました。(^-^;)

長々とお付き合いいただきありがとうございました。m(__)m


やっとクルマ・ジャケの方に取り掛かれる~ (;^_^A)
Posted at 2023/01/06 20:23:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | コペン | 日記
2022年12月27日 イイね!

鎌倉ドライブ2日目(その1・万福寺など)

鎌倉ドライブ2日目(その1・万福寺など)鎌倉ドライブ、いよいよ2日目です。(;^_^A)


当初、2日目に予定していた「長谷寺」「鎌倉大仏」などを1日目に行ってしまったので、予定していなかった場所をいくつか回ってみました。


「源頼朝公落馬地」(藤沢市辻堂)




頼朝は1198年12月27日、落馬し、53歳で死んだという・・・

なぜか『吾妻鏡』には、この日を含む建久7年(1196年)から建久10年(1199年)1月まで3年間の記述が欠落(頼朝の死については約13年後「回想」の形で記録)しており、暗殺説もある?

今回の大河ドラマで頼朝の右手が痺れる描写は、公家・近衛家実の日記『猪隈関白記』に「飲水の重病(糖尿病)」とあることを基にしたそうです。




「白旗神社」(藤沢市)


文治5年(1189)閏4月30日、源義経公は兄源頼朝から怒りをかい、追い詰められ、奥州平泉で自害した義経の首は、腰越で和田義盛・梶原景時によって確認され、その首は夜の間に白旗川を上り、この地に辿り着いたという言い伝えがあるようです。

「義経・弁慶像」(令和元年建立)


「白旗神社」は源氏の白旗のことで、日本全国に70社ほどあり、その多くは源頼朝を主祭神とし、神奈川県、千葉県に多いとか。





「源義経公鎮霊碑」


「弁慶の力石」





「清浄光寺(しょうじょうこうじ)」(藤沢市)


「遊行寺(ゆぎょうじ)」の名で知られる、時宗総本山のお寺。



呑海上人が再建して遊行引退後の住まいとし、歴代の上人も遊行引退後に住むようになったので「遊行寺」と呼ばれるようになったとのこと。

遊行(ゆぎょう)とは、僧侶が布教や修行のために各地を巡り歩くことだそうです。

時宗の開祖である一遍の像


建物の大部分は関東大震災後に復興されたものですが、中雀門は唯一、江戸時代からのもので向唐門造りになっています。


お寺の入口は「遊行寺坂」の途中でした!


「箱根駅伝」(往路3区、復路8区)の難所で知られるところですね。








箱根駅伝が大好きな助手席の方は大喜びしてました(笑)


「万福寺(まんぷくじ)」(鎌倉市腰越)


ナビに従って狭い路地を進むと、踏切があり、そのすぐ上が境内でした。

そのまま進んでいいのかどうか迷っていると、正月飾りの準備をしている檀家さん?が声をかけてくださり、駐車スペース(6台くらい?)に誘導してくださいました。


遠くに富士山~

境内のすぐ下を江ノ電が走ります。腰越駅から徒歩3分とのこと。




満福寺は、聖武天皇の命によって疫病追放を命じられた行基が草庵を結んだのがその始まりだと伝えられていますが、何より「腰越状」で有名なお寺です。

義経が兄の頼朝との和解のため鎌倉に入るべく、兄への手紙「腰越状」を書いた寺なんですね。



「弁慶の腰掛石」


「弁慶の手玉石」


さっそく本堂内を見学させていただきました。拝観料\200

弁慶筆とされる『腰越状』の写しをガラス越しに見ることができます。



弁慶が書いた書状に、義経自らが筆をとって「敵のために命を亡はんことを顧みず」という文字を付け加えたため、下書きとして残された本物だとか。

「鎌倉殿の13人」では、義経(菅田将暉)が鎌倉に連れてきた罪人・平宗盛(小泉孝太郎)が代筆を申し出る設定。


平宗盛が兄弟の仲を裂き、源氏に一矢報いるように書いたという解釈もできるのだとか・・・
三谷幸喜、やるなあ~


本堂には鎌倉彫で義経の生涯を描いた襖絵がありました。







このあと、「鶴岡八幡宮」の方へ戻り、ラストラン ?

2日目その2で終わる予定です~

もう少しお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。m(__)m
Posted at 2023/01/06 06:28:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | コペン | 日記

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