• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ねも.のブログ一覧

2020年08月14日 イイね!

クルマ・ジャケ「青い地平線」/LE MISTRAL

クルマ・ジャケ「青い地平線」/LE MISTRALクルマ・ジャケコーナー第30回は、LE MISTRAL(ル・ミストラル)の「青い地平線」(1978)です。

LE MISTRAL(ル・ミストラル)って、知っていますか?

Le Mistralは、この曲のシングルのみで使われている「ブレッド&バター」の別名義です。

ブレッド&バターって、知っていますか? (^-^;


「ブレッド&バター(Bread & Butter)」は、「湘南サウンド」として親しまれている、岩沢幸矢(いわさわ さつや)と二弓(ふゆみ)による兄弟デュオです(1969年デビュー)。


この「青い地平線」は、「ブレッド&バター」というアルバムにも収録されているそうですが、持ってません。

私が持っているレコは、、、

「MONDAY MORNING」/ブレッド&バター(1980)


10曲中8曲、松原正樹が編曲。


「Pacific」/ブレッド&バター(1981)


A1『ホテル・パシフィック』、A3『湘南ガール』は呉田軽穂(松任谷由実の別名義)作詞。

パシフィックホテル茅ヶ崎の経営者の家で、ライブカフェ「ブレッド&バター」を開き、そこに、南佳孝や荒井由実、かまやつひろし、杏里、鈴木茂、林立夫などが集まってきて、湘南サウンドの聖地のような状態になってたそう。

バックはPARATHUTE (林立夫、斎藤ノブ、 マイク・ダン、今剛、松原正樹、安藤芳彦、井上鑑)!



「Second Serenade」/ブレッド&バター(1984)


A1『ばらけたイニシャル」は安部恭弘 作曲。
安部さん自身のセルフカバーアルバム「PASSAGE」(1994)に入ってますね。


しかし、この兄弟、似てるようで似てないけど、どっちがどっちが分からん~(^-^;


今回も前置きが長くなりましたが、話を『青い地平線』に戻します。

1975年~1980年に、TBSの「おはよう720」「おはよう700」というTV番組で、トヨタの車で世界を走るという企画コーナーがありまして、、、

『青い地平線』はアフリカから東京7000キロでのヨーロッパ編で使われた曲だそうです。


↓ こんなサイトを見つけました。マニアックな方がいらっしゃるんですね~(すばらしい!)
おはよう720~おはよう700 『キャラバンⅡ』


上記サイトからお借りいたしました。

こんなクルマで世界を走っていたんですね~。



カローラLB、カッコイイ~!


さて、今回ご紹介の『青い地平線-ブルーホライゾン』/LE MISTRAL(1978)(作詞:Linda Rhee、なかにし礼、作曲・編曲:筒美京平)


ジャケのクルマは、先ほどのサイトによると、「セリカリフトバック 2000SE」。

2代目セリカ (1977年‐1981年)ですね。

空力重視のスタイリングで、日本初の三次元曲面サイドガラスが採用されたそうです。

ヘッドライトが角型4灯になった後期型(1979年-)はカッコイイと思いました。


このマイナーチェンジ時のキャッチコピー「名ばかりのGT達は、道を開ける」で、ライバルの日産 スカイライン(5代目 通称「ジャパン」)を挑発。


どちらも手が届かないクルマでしたが、カタログを眺めているだけで楽しかった・・・

3代目セリカ(1981年‐1985年)は、当時はあまり好きではありませんでしたが、今見ると、なかなか・・・。


クーペはオモチャっぽくてイイね~。


セリカリフトバックと言えば、やっぱり初代(1973年)ですかね~。


・・・もう、いつものように話がまとまらないので、終わりにしますね。


『青い地平線』、シティポップ感あふれる、いい曲です!
B面の筒美京平作『SING ALONG』もいいですヨ。


どちらも、英詞メインなのが残念~。


あ、「青い水平線」ならコチラなんですけど、


昨日の「青い地平線」?


今朝の「青い地平線」?


いやあ、今日も暑かったですネ~。
秋は近いの~、遠いの~?


【登場車両】
セリカリフトバック 2000SE


【自己採点】
クルマ度   7点(セリカLB!)
魅惑度    6点(和モノ・シティポップ!)
音楽度    6点(ブレバタの覆面とはビックリ~)
Posted at 2020/08/14 18:46:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマ・ジャケ | 日記
2020年08月12日 イイね!

クルマ・ジャケ「夏の旅」/松岡直也

クルマ・ジャケ「夏の旅」/松岡直也クルマ・ジャケコーナー第29回は、ジャズ・ピアニスト、ラテンフュージョンミュージシャン、松岡直也さんの「夏の旅」(1984)です。


暑さも本格的になってきましたネ~。


こんな音楽はいかがでしょうか?



松岡直也さんは、15歳でピアニストとしてプロデビュー!

1977年になって、初のリーダーアルバム『JOYFUL FEET』を発表。

1979年にはホーン・セクションを加えた「松岡直也&ウィシング」を結成します。
「THE WIND WHISPERS」/松岡直也&WESING(1979)


ギタリストは大村憲司で、ゲストで高中正義も参加。2人のギター・バトルは圧巻です。T-SQUAREの伊東毅(たけし)もサックス・ソロで参加してます。

「SON」(1980 8thアルバム 松岡直也 & ウィシング名義では4枚目)


EGに大村憲司、和田アキラをフューチャー!
ジャケは?

コレでした~。


1981年には、神戸市で開催された「ポートピア'81」のダイエー館の音楽を担当。
使用楽曲は、「THE SHOW」(1981)に収録されています。



1982年に、音楽活動30周年を記念したベスト・アルバム『九月の風』を発表。
オリコンチャート第2位、インストゥルメンタルのアルバムとしては驚異的なセールスを記録します。

クルマ・ジャケだ~!(後で使おうっと)

唯一の新曲として作られた「九月の風 The September Wind(You’re Romantic)」は、三菱ミラージュⅡのCMソングに起用されました。

ネット上にCM映像がありました。

「ツードアターボに加え、よんドアサルーンターボ、よんドアハッチバックターボ新登場」と言ってるんですよ。(笑)

同年1982年にはニューヨーク・レコーディングの初のソロ・アルバム「見知らぬ街で/FALL ON THE AVENUE」を発表します。

これもクルマ・ジャケだ~!!


1980年と1983年には、スイス「モントルー・ジャズ・フェスティバル」に出演。
特に1983年は大成功を収め、そこで演奏された楽曲は同年のアルバム『WELCOME』(1983)にも収録されています。



1985年には、中森明菜に作曲提供した「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」がオリコン・チャート1位の大ヒットとなり、同曲は第27回日本レコード大賞を受賞し、松岡氏は、作曲家大賞・優秀作曲家賞を受賞しています。

『ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕』/中森明菜(1985 11thシングル)



同年に発表された『SPLASH&FLASH』のジャケットは、イラストレーターのわたせせいぞう氏が手がけ、翌1986年の『ハートカクテル』へと繋がっていきます。



さて、いつものように前置きがだいぶ長くなりましたが、今回、ご紹介の「夏の旅」です。

アルバム・タイトルから曲名まで全て日本語で、“夏”をテーマにし「蝉しぐれ、バスの到着、降車、出発・・・」のSEが入るなどコンセプト作品。
ラテン風の曲もあるのですが、ロック色が濃いアルバムです。

メンバーはこんな面々
松岡直也(Key.) 斉藤英夫(G.) 今泉 洋(G.) 高橋ゲタ夫(B.) ヤヒロとモヒロ(Per.) 津垣博通(Key.) 広瀬徳志(Dr.)


「夏の旅」/松岡直也(1984)


アルバム・ジャケは、岡本三紀夫氏によるイラスト。
「CAR and DRIVER」表紙で有名なイラストレーターですね。


ライナーノーツには、こんな文章が載っています。


 僕は忘れていた、いつでもここにあったの
に。
 ここはこんなに変っていない。昔のままだ。
夏の日射しが秋の訪れを拒むように照りつけ
て、見渡すかぎり影一つ作っていない。そし
て、陽炎たつ道路の向こうから砂煙りをあげ
て、ゴトゴトと路面バスがやって来る。やが
てバスは、置き忘れていくみたいに、古ぼけ
たベンチがぽつんとあるだけの停車場に一人
の女を残して走り去る。夏の日射しがようや
く一つ、影を作った。日傘をさす着物の女の
影を…。女はこんな田舎には不似合いなほど、
スラリと背が高く、日傘をクルクル廻して停
車場に立ち竦んでいる。
 そうだ、憶い出した。僕は今日と同じ風景
をずっと昔に夢見たんだ。そして今、あの時
の夢を同じようにあの停車場に立っている…
 その時、白い日傘が雲の様に空に舞ったよ
うな気がして僕は見上げた。虹のかけらが空
を走り、夏は一瞬に過ぎ去った。もう一度見
た昼下りの停車場には、ただかすかに秋の匂
いのする風が吹いているだけだった。
 僕の夏の旅はもうすぐ終わろうとしている。
 戻ろう……まだ間に合う、まだ遅くない…


裏ジャケの遠くの山々には残雪が、、、 北アルプス?

甲府盆地あたりかなあ・・?

松岡直也氏は、残念ながら2014年に76歳で他界されています。合掌


明日からお盆。
お盆が過ぎると、夏も終わりという感じになりますネ・・・

まだ間に合う、まだ遅くない…


【登場車両】
ボンネットバス?


【自己採点】
クルマ度   4点(ボンネットバス?)
魅惑度    8点(女性とクルマのイラスト!)
音楽度    7点(哀愁度は高くありません)
Posted at 2020/08/12 11:53:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ・ジャケ | 音楽/映画/テレビ
2020年08月06日 イイね!

長野ドライブ(2日目)

長野ドライブ(2日目)長野ドライブ2日目は、アザレアライン、ビーナスラインを走って南下しました。












最初の目的地「茅野市尖石縄文考古館」に行く途中、「中ッ原縄文公園」の看板があったので、立ち寄ってみました。(長野県茅野市)


なんと、国宝、土偶「仮面の女神」が出土した場所ではないですか!

「仮面の女神」が出土したようすが、現場に復元されてました。




また、見つかった柱穴列(柱を建てたと思われる穴の列)にあわせて復元された柱が建てられてました。




「茅野市尖石縄文考古館」です。

建物外観はパッしません(失礼)が、2体の国宝土偶が展示されています!

お出迎えの国宝2体は、ソーシャル・ディスタンスを表しているようです。




【縄文のビーナス】 縄文中期(棚畑遺跡)




1986年に八ヶ岳山麓の棚畑遺跡(長野県茅野市)で出土した土偶で、高さ27cm、妊婦をかたどっているとされています。

雲母片が練りこまれており、肌がうっすらと輝いているように見えることと、ほぼ完全な形で出土したことが特徴で、国宝に指定されています(1995年)。


【仮面の女神】 縄文後期(中ッ原遺跡)




2000年に中ッ原遺跡(茅野市)から出土した、34cmの大形土偶です。
右足が胴体から外れており、破片が胴体や右足の内部に入っていたことから、人為的に取り外されたことが明らかになっています。

逆三角形の仮面がつけられた表現と、土器と同じように粘土紐を積み上げて作られ、中が空洞になっていることが特徴で、国宝に指定されています(2014年)。


国宝以外にも、素晴らしい土器がたくさんありました。

【波状口縁(はじょうこうえん)土器】 縄文前期(下ノ原遺跡)


【蛇体把手付深鉢(じゃたいとってつきふかばち】 縄文中期(尖石遺跡)


その他にも、縄文時代の遺物がところ狭しと展示されてました。












いやあ、圧巻でした!


ランチはコンビニのおにぎりなどを食べ食べ、長野ドライブ最終訪問地へ向かいます。





「高遠城址(たかとおじょうし)公園」(長野県伊那市)です。国の史跡に指定されています。


高遠城は、武田信玄の家臣であった山本勘助が縄張りした城。
仁科五郎盛信(武田信玄の五男)が、織田信忠率いる5万の兵を3千の手兵で迎え撃ち、壮絶な死を遂げた舞台です。

この後、武田勝頼は、諏訪上原城から新府に退き、天目山で自害します。高遠城の戦いは、かの強大を誇った武田氏の最後の場でもあるわけです。

明治4年(1871年)の廃藩置県で、城は取り壊され、城内の樹木も売り払われたため、荒地となりましたが、これを見かねた高遠藩の旧藩士達が「桜の馬場」から桜を移植し、城下町にあった門を移すなどして公園として整備し、全国でも有数の桜の名所となったそうです。

桜の季節には大勢の人で賑わうことで有名な公園ですが、この時は、観光客はほとんどいませんでした。

さくら祭りの時は、駐車料 \1000、入園料 \500 がかかるようですが、この日は無料でした。

木陰に駐車し、攻城です。


この広い駐車場は、武家屋敷と勘助曲輪があったところのようです。



【伝 高遠城大手門】

切りつめられ、当時の姿ではないそう。😢



【桜雲橋】


【太鼓櫓】



この後、お隣にある「伊那市立高遠町歴史博物館」(\400)、「絵島囲み屋敷」に立ち寄りました。


【絵島囲み屋敷】




6代将軍家宣の側室に仕えた女中、絵島(江島)が歌舞伎役者の生島らとの遊興により、関係者1400名が処罰された「江島(絵島)生島事件(えじま いくしま じけん)」で、高遠藩お預けとなった絵島が、27年間の幽閉された場所を復元した「絵島囲み屋敷」を見学して、帰路に着きました。


長文駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

コロナ禍で、様々な考えがあると思います。
不要不急といえばそうなります・・・。

が、ポイントを稼がないと、TRGに行けないという事情もありまして・・・
(;^_^A

なにより〝老後の楽しみ”なんです。ご容赦ください。m(__)m

Posted at 2020/08/11 13:21:40 | コメント(0) | 日記
2020年08月05日 イイね!

長野ドライブ(1日目)

長野ドライブ(1日目)1週間早い目に盆休みをとり、長野県に1泊2日のドライブに行って来ました。

なかなかお出かけブログを書きずらい状況ですが、3密を避け、マスク着用を忘れずに楽しんできました。



まず、訪れたのが「上田城跡(うえだじょうせき)公園」(長野県上田市)です。
自宅から、高速で約3時間でした。


上田城は、真田昌幸が築いた城で、2度、徳川の大軍を退けたという実戦経験をもつ城です(全国に他に例がないそう)。

しかし、関ケ原の合戦後、城は取り壊され、真田氏は松代に移封されます。


「西櫓(にしやぐら)」下の急斜面から攻城です(近道~)。


「西櫓」(長野県宝)の隣にあるのが「眞田神社」です。


本丸唯一の井戸「眞田井戸」には抜け道があり、外に通じていたという伝説があるそうです。






「南櫓」、「東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)」、「北櫓」に上がりました。


当時、城の南には千曲川が流れ、「尼ヶ淵」と呼ばれる天然の堀となっていたとのこと。


「南櫓」と「北櫓」は、明治になり廃城となった後、移築され、遊郭として利用されていたんだそうです。

その後、上田市民の熱意により買い戻され、本丸に再移築され、1994年には「東虎口櫓門」が復元され、かつての城門の姿がよみがえっています。


東虎口櫓門の前にある「真田石」。

真田信之が松代移封の際に運び出そうとしたが、あきらめたそうです。

本丸を囲む土塁の北東は、「鬼門除け」の「隅おとし」とよばれる切り込みがあります。


二の丸跡にある「上田市立博物館」と「別館」を見学しました。

博物館のVRシアターがなかなかの出来でした。(博物館、櫓門の共通券 \500)





次に向かったのは、真田氏が上田城から移った「松代城(まつしろじょう)跡」(長野市)です。


武田氏築城の代表的な城の一つである松代城は「川中島の戦い」の舞台ともなり、元々は「海津城(かいづじょう)」と呼ばれました。

太鼓門や櫓門が復元されていました。

【太鼓門】


【櫓門】





次に訪れたのは、「松代象山地下壕(まつしろぞうざんちかごう)」(長野市)です。

太平洋戦争末期、極秘のうちに、ここ長野松代へ皇居、大本営などを移転するため山中に掘られた地下坑道跡です。

ここ象山などに、碁盤の目のように掘りぬかれました。


昼夜問わずの突貫工事で、10km余り堀抜かれ、全工程の約8割が完成した時点で、使われることなく、終戦を迎えます。

戦後、忘れ去られようとしていましたが、平成元年から貴重な戦争遺跡として、約500mの区間が公開(無料)されています。

ヘルメット着用です。






半分くらい行って戻りました。


いやあ、こんな事実知りませんでした・・・。


1日目、最後に訪れたのは、国宝「松本城」(松本市)です。


係の方が「例年に比べ、10分の1ぐらいかなあ」と話してました。

観覧料 \700を納め、攻城です。

【黒門(一の門】


五重六階の大天守をもつ、現存12天守の中では唯一の平城です。


小笠原忠真(おがさわらただざね)? がお出迎え~


マスクをつけ、前の人と距離を置いての入城です。

すれ違う場所にはビニルが設置されていました。


【武者走り】
天守1階には、母屋(もや)より約45cm低い位置に「武者走り」があります。


階段は急で、係の方の指示に従って上ります。


【隠し階】
二重目の屋根の下に隠れた階です。普段は倉庫、有事の際には武者溜りとして使われたと考えられています。


【花頭窓】
泰平の世になって増設された辰巳附櫓(たつみつけやぐら)には、花頭窓があります。

本来は「火灯窓」ですが、火を嫌ってこう書くそうです。


【月見櫓】
辰巳附櫓と月見櫓は、徳川家光が善光寺参詣の途中、松本に立ち寄るということで、当時の藩主、松平直政が急きょ建てたものだそうです。


泰平な世の建造物なので、三方を朱色の「刎ね勾欄(はねこうらん)」が巡り、薄い板戸の舞良戸(まいらど)があるだけです。


登久姫(とくひめ)と小笠原秀政がお見送りしてくれました。


徳川信康(徳川家康の長男)と徳姫(織田信長の長女)の長女で、 松本城三代城主(小笠原氏初代城主)・小笠原秀政の正室(妻)です。

登久姫の髪型は、5重天守をイメージした5段“姫カット”だそう(笑)

左はだれかな~ 松平信康かな~・・・?


松本城は平城のため、市内には様々な遺構があるようでしたが、結構な暑さであきらめました。


すぐお隣の「国宝 旧開智学校校舎」もあきらめました(後悔~)。


マスクで暑さ倍増~~の1日目でしたが、オープンで1日走れました。

宿泊地は浅間温泉です。
ここでもコロナ対策が徹底されていました。利用客も少なかったようです。

夕食も、助手席の御方と横並びでした。(笑)


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
2日目に続きます。
Posted at 2020/08/11 12:44:32 | コメント(0) | コペン | 日記
2020年08月01日 イイね!

太田市ドライブ(金城山跡、曹源寺など)

太田市ドライブ(金城山跡、曹源寺など)みん友さんのブログで知った「金山城跡(かなやまじょうあと)」(群馬県太田市)に行って来ました。

自宅から下道でちょうど2時間くらいで、「太田市立史跡金山城跡ガイダンス施設」に着きました。



この施設、なんと、国立競技場の設計で有名な建築家「隈研吾」氏による設計で、外壁の石板は金山城の石垣をイメージしたものだそうです(2009年開館)。

ここで少し歴史を学んでから攻城という戦術です。(^-^;


金山城は、1469年(文明元年)に、新田(岩松)家純の命により築城され、その後、横瀬氏(後の由良氏)が下剋上で城主となり、上杉氏や小田原北条氏との従属関係を保ちながら生き残りを図り、いくたびかの攻撃を受けますが、一度も城の中枢にまで攻め込まれず、その堅固さを誇ったそうです。


1584年(天正12年)、金山城は小田原北条氏の直接支配下に入り、1590年(天正18年)、秀吉の小田原北条氏討伐により廃城となり、江戸時代は、「献上松茸」の御林として、役人の厳しい管理下に置かれたことにより、山城の遺構は現在に残されるに至りました。




「金山城跡」は、1934年(昭和9年)に国の史跡に指定され、1995年(平成7年)より整備事業が始まり、城の遺構の調査、土塁や通路などの復元が進んでいます。

2006年(平成18年)には、日本100名城(17番)に選定されました。


さて、それでは、攻城です!

ガイダンス施設からクルマで3分ほど山を登り、駐車場(金山モータープール)に移動します。


ここから片道約700m(標高差50m)で、実城(みじょう(本丸))です。
木陰を進むので、気持ちいいです。


すごい岩盤が見えるところもありました。


【西矢倉台西堀切】 
敵の侵攻を防ぐために掘った谷です。


【物見台下堀切】 
岩盤を削って造った堀切です。


【物見台下虎口】
通路の先が見えないようになっています。


【竪堀】
この先を真っすぐ進むと行き止まりになっています。


【物見台】の下からの景色


【月ノ池】
「貯水池」のようです。


【大手虎口】
奥にある実城への通路を厳重に守っていた防御拠点です。








【日ノ池】
「貯水池」だけでなく、儀式などが行われたと考えられています。




【本丸跡・新田神社】
本丸跡とされている地点に新田神社があります。




大きな復元施設などがなく、それがとてもリアルに感じました。

いやあ、「金城山跡」素晴らしかったです!


・・・帰宅してパンフレットで復習していると、「お見逃しなく!」を見逃してきたことに気づきました。(>_<)





「金城山跡」を後にし、山を下りたところにある「祥寿山 曹源寺(しょうじゅさんそうげんじ)」に行ってみました。

ここは、日本三さざえ堂の一つで国の重要文化財に指定(平成30年)されています。
・・・が、残念ながら、午前中は拝観できず・・・(>_<)


急きょ、「金山城跡ガイダンス施設」でもらったパンフレットで、作戦を立て直します。


「太田焼きそば」が名物と知り、通り道のお店に寄りました。


テイクアウトのみ、ということで、こちらでいただきました。

「天神山古墳」駐車場のすぐ近くの跨線橋下。(^-^;







「天神山古墳」は、東日本では最大、全国でも26位の規模を誇る前方後円墳です(昭和16年 国史跡指定)。

見学しようと思ったのですが、入口が分からず、あきらめました。(>_<)

青空ランチの後に向かったのは、「旧中島家住宅」(国指定重要文化財)です。


中島飛行機(現在のSUBARU至る)の創始者、中島 知久平(なかじま ちくへい 1884- 1949年)が、両親のために建てた邸宅です。無料で公開されています。











この後、「新田荘歴史資料館」に行こうと思っていたのですが、助手席の御方が、「やっぱり、さざえ堂がいい!」とおっしゃるので、戻って拝観させてもらうことにしました。


「さざえ堂」は、外からは二階建てに見えますが、らせん状に三階建てで、回廊式といって、右回りに二階三階と上がっていき、また回りながら、同じ道を通らずに一階に戻ってくる造りになっています。

 
回廊の内壁には、秩父、阪東、西国の計100札所の観世音菩薩を模した観音様が並んでいて、さざえ堂を一回りすれば百箇所の札所を巡った功徳を得られるそうです。






また、参道には、百観音霊場の砂を納めていて、こちらもこの参道を踏めば、百観音霊場を巡礼したのと、おなじ功徳が得られるそうです。



「成身院百体観音堂」(埼玉県本庄市)、「旧正宗寺三匝堂」(福島県会津若松市)と合わせて日本三さざえ堂と呼ばれているそうなので、そちらも訪れてみたいと思います。


コロナ禍で、なかなかブログにしずらいですが、3密を避け、マスク着用を忘れずに楽しんできました。
Posted at 2020/08/04 20:20:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | コペン | 日記

プロフィール

「[整備] #コペン ショートアンテナ交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/2770919/car/2364173/8363664/note.aspx
何シテル?   09/14 09:30
スチグレ・タンレザーに一目惚れした「ねも」と申します。2017年3月に10年・10万km超の中古を手に入れることができました。愛車を通じて皆さんと交流できたら幸...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2020/8 >>

       1
234 5 678
91011 1213 14 15
161718192021 22
232425262728 29
3031     

愛車一覧

ダイハツ コペン ダイハツ コペン
はじめまして。スチグレ・タンレザーに一目惚れした ねも.と申します。2017年3月に10 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation