
Hiro.Yさんのブログを参考に「紅葉は残ってるかな~」と栃木県益子町、真岡市~茨城県筑西市をドライブしてきました。
「栃木県那須烏山、益子町寺社巡り②~円通寺編」(2021.10.21)
「今年は来れました!~最勝寺編」(2021.11.24)
何か疑問に思ったら ↑ コチラへ (^-^;
自宅から約1時間半で「円通寺(えんつうじ)」(栃木県益子町)に到着です。
かつて金沢文庫や足利学校と並び日本三大学府として名を馳せた大沢文庫があったお寺です。
「表門」(国指定重要文化財)

室町時代、1402(応永9)年建築。屋根は以前は茅葺で、現在は銅板葺き。禅宗様です。
「本堂」
本堂内は写真撮影OKでした。
和顔地蔵(わげんじぞう)尊は東日本大地震で亡くなった方の慰霊を祈願して作られたお地蔵様だそう。頭をなでなで。
『新型コロナウイルス感染症 平癒収束祈願』をいただきました。
「観音堂」
「一切経塔」(県指定重要文化財)

1809年再建。大沢文庫の面影を伝える素晴らしい建物です!
「鐘楼堂」(県指定重要文化財)の鐘楼は東日本最大だそう・・・ですが、見逃してきました。(゚Д゚;)
次に訪れたのは「獨鈷山西明寺(とっこさんさいみょうじ)」(益子町)です。
駐車場わきのお休み処「獨鈷處(どっこいしょ)」で、本堂内陣見学料\300を支払い、説明を受けてから参拝です。こちらでは手打蕎麦などを食べることができるようですね。
奈良時代の737年に行基によって開かれたお寺です。
室町時代の1394年、益子の地を治めていた益子氏によって復興され、そのころ建立された3つの建築物(本堂厨子、三重塔、楼門)が、国の重要文化財に指定されています。
「楼門(ろうもん)・仁王門」(国重文)

1492年建立。
「三重塔」(国重文)

1538年建立。何段かに分けて葺いた銅板葺の塔は、日本で唯一らしいです。
また、初層 (一番下) は和様、三層は禅宗様で、間の二層はその両方を取り入れた折衷様 (せっちゅうよう) で作られていると説明書きがありましたが、よくわかりませんでした・・・。
で、帰宅して調べてみました。
屋根の下の垂木 (たるき)が、和様は全て平行で 、禅宗様は全て放射状に配置 (扇垂木・おうぎたるき) 。大仏様は四隅だけが放射状に配置 (隅扇垂木)されているんだそう。
なるほど~~
「閻魔堂(えんまどう)」

1743年再建と伝えられ、木造閻魔大王坐像など五体の仏像があります。

「笑い閻魔」の左が悪童子 (あくどうし) 、右が善童子 (ぜんどうし) で、閻魔大王に死んだ人の生前の行いを報告しているんだそう。この2人に2千万か3千万を渡せば人生終わらないのかな~。あ、もう終わった後か・・(笑)
左奥の奪衣婆(だつえば)と、右奥の地蔵菩薩は見逃してきました。(;´Д`)
「観音堂(本堂)」

室町時代創建でしたが、火災で焼損し、再建(1702年)されたもの。
本堂内に入ります(\300)。
撮影OKを確認しました。既にネット上にたくさんの写真がアップされてました。
黒漆塗の建物(?)が国重文の「本堂厨子」です。
本尊の行基が作った「十一面観世音菩薩」は12年に一度「午の年」に御開帳だそうで、今年は丑年、来年は寅年・・・?
ここ西明寺は坂東巡礼第20番の札所です。坂東札所霊場会が6月~12月にコロナ終息祈願として各札所で何かをするとし、こちらでは本尊を公開することにしたとのこと。
見るなら今ですね! 次は2026年ですよ。
厨子の前にいるのは十一面観音立像。
厨子の向かって左側には、千手観音菩薩坐像、准胝(じゅんてい)観音、勢至菩薩(せいしぼさつ)立像、などが、右側には延命観音、馬頭観音、不動明王、毘沙門天などの木像があります(多くは栃木県指定文化財)。
木造千手観音菩立像
如意輪観音坐像
「鐘楼」
享保7年(1722)建立で、茅葺きの屋根2層。梵鐘は寛文11年(1671)鋳造とのこと。
「高野槙(こうやまき)」(県天然記念物)

樹高30m、樹齢約800年という巨木。
益子町には中世建築の国指定重要文化財が7つもあり、これは東日本でトップ!
その7つのうち4つを見ることができました。
あと3つは「地蔵院」と「綱神社」にあるようです。いつか行こうっと。
ランチは「納屋珈琲 ひなた」(益子町)におじゃましてみました。
納屋(大正時代?)を改装したお店です。
2階でハンバーグ(\1,045)をいただきました。
やわらかい味のソースも西洋野菜(?)もとても美味しかったです。
真空管アンプでしっとりと女性ジャズヴォーカルがかかっており、和洋折衷でいい雰囲気のお店でした。

ホットコーヒーが\200でお代わり自由なので、のんびり長居もいいかもです。
食後に「仏生寺(ぶっしょうじ)」(栃木県真岡市)を訪れました。
日光を開山した勝道上人が生まれた(737年)地ということで、境内全域が「日光開山勝道上人誕生地」として県指定史跡となっています。
山門の両脇には大欅(県指定天然記念物)があります。
本尊の木造薬師如来坐像は県指定文化財だそうです。
次に訪れたのは「専修寺(せんじゅじ)」(真岡市)です。
浄土真宗の開祖・親鸞聖人が長野の善光寺より一光三尊物を本尊に迎え、1225年に開山したという名刹です。
広い境内は「親鸞(しんらん)聖人の宗教遺跡」として国指定史跡で、総門、山門、如来堂などたくさんの建物などや仏像が国や県の重要文化財に指定されています。
「総門」(国重文)

茅葺の棟門で、柱は親鸞聖人が建立した当時のものだそうです。
総門は通り抜けできませんが、総門~山門~如来堂が一直線に並ぶレイアウト、広~い境内に鐘楼と鼓楼もあり・・・一瞬、ココはどこ? という感じ。しかも参拝客は私たちだけ!?
「山門」(国重文)

元禄年間建造。来年には耐震工事(?)が始まるそうです。見るなら今ですね!
「如来堂(にょらいどう)」(国重文)

元禄14年(1701)建築と伝わるお堂。
「一光三尊仏(いっこうさんそんぶつ)」(県重文)が安置されています。17年毎に開帳されるようです。
「鐘楼堂(しょうろうどう)」

嘉永2年(1849)の作。鐘は江戸の門徒から寄進されたものだそうです。
「鼓楼」?
「御影堂(みえいどう)」(国重文)

寛保3年(1743)の墨書が発見され、そのころの建築とわかったそうです。
安置される「親鸞聖人像」(県重文)は自刻の等身大で76歳のお姿と伝わるそうです。
「涅槃(ねはん)堂」

「涅槃像」(県重文)には元禄15年・16年の墨書があり、木造金箔塗り。
3mあり、木造では日本一ともいわれる大作です。
芽萱(かやぶき)屋根の大きな曲り屋の「庫裡(くり)」にいらっしゃった方にご挨拶したら、カレンダーをいただきました。ありがとうございました。
最後に訪れたのは「最勝寺(さいしょうじ)」(茨城県筑西市)です。
紅葉はもう終わってるかな~と思いながら寄りましたが・・・ !!
鎌倉時代の正嘉2年(1258)、親鸞聖人の高弟、最勝坊入道実勝によって開創され、当時の執権北条長時の帰依を得たというお寺です。
「薬師堂」(市指定文化財)
附棟札(つけたりむなふだ)によると貞享2年(1685)に再興したもので、建物の細部の形式もほぼそのころの建築手法を示しているそうです。
鎌倉時代初期作の木造薬師如来坐像様がいらっしゃるとのこと。
明治35年(1902)の暴風により、薬師堂以外の堂宇はなくなってしまったそうです。
「本堂」
本堂西側は「十三仏の山」を表し、死後、彼岸の悟りの境地に至るまで導いてくださる十三尊の仏さまがいらっしゃいます。
紅葉、竹林、苔・・・素晴らしかったです!
客殿や茶室なども新しい建物ながら落ち着いた雰囲気で、助手席の御方は「窓がピカピカ~」と変わった視点でした。(もしかして大掃除が頭にある・・・!? )(;゚Д゚)
いやあ、Hiro.Yさんが大好きだとおっしゃるのがよくわかりました!
みんカラでご紹介いただきありがとうございました。
紅葉の見頃に間に合い、お天気にも恵まれ、楽しいドライブができました!
・・・来週からは大掃除かな~~ (;^_^A
最後まで駄文・長文ブログ、お読みいただきありがとうございました。m(__)m