
クルマ・ジャケコーナー第96回は、John Denverの24thシングル「かわいいおまえの微笑みを(It Makes Me Giggle)」(1976)です。
John Denver(ジョン・デンバー 1943 - 97)、ご存知でしょうか?
愛するコロラド州の州都デンバーを名にし、一世を風靡した1970年代のポップ・カントリー歌手です。
「The Chad Mitchell Trio(チャド・ミッチェル・トリオ)」のメンバーとして3枚のアルバムを制作した後、ソロとなり、アルバム「John Denver Sings」(1966)を自主制作。
そのアルバムの『Babe, I Hate To Go』(後に改題し『Leaving, on a Jet Plane(悲しみのジェット・プレーン)』)を、Peter,Paul and Mary(PPM ピーター・ポール&マリー)が歌い、全米チャート1位(1969)に!
↓ コチラは再発盤 ?
最愛の恋人と別れ、ジェット機(軍用機)に乗って飛び立っていくという歌で、ベトナム戦争中であり、「反戦歌」ともとれる歌です。
そして、J.デンバーは25歳の時、アルバム「Rhymes & Reasons」(1969)でデビュー。
1stアルバム「Rhymes & Reasons(ライムズ・アンド・リーズンズ)」(1969)
『Leaving, on a Jet Plane(悲しみのジェット・プレーン)』収録。シングルカットされましたがこちらはヒットせず。
面白いのは、A4『The Ballad of Spiro Agnew(スピロ・アグニューのバラード)』とA7『The Ballad of Richard Nixon(リチャード・ニクソンの物語)』。
それぞれ曲の長さが0:19と0:07。A4は「これからアグニュー副大統領が何をしてきたかを歌います」と言って何も歌わず、A7はセリフさえも無し。2人が何もしないというメッセージをこめたプロテスト・ソング。
2ndアルバム「Take Me to Tomorrow(明日への誓い)」(1970)
私のレコでは邦題が「明日への希望」。
A3『Follow Me』は、元PPMのマリー・トラヴァースがソロでヒットさせた曲。
3rdアルバム「Whose Garden Was This(この自然は誰のもの)」(1970)
最初のベスト盤「John Denver's Greatest Hits(故郷の詩)」にはこのアルバムからの選曲はありません。
4thアルバム「Poems, Prayers & Promises(詩と祈りと誓い)」(1971)
B3『太陽を背にうけて(Sunshine on My Shoulders)』(1973)は全米1位の大ヒット!
当初、『I'd Rather Be a Cowboy(さすらいのカウボーイ)』のB面としてリリースされました
ベトナム戦争が終結した頃、この『Sunshine on My Shoulders』には重要な示唆が含まれていると受け取られるようになり、1974年に9週間に渡って全米1位に!
B1『Take Me Home, Country Roads(故郷へかえりたい)』(1971)も全米2位の大ヒット曲!
オリビア・ニュートン=ジョンがカバーした『カントリー・ロード(故郷へかえりたい)』(1973)は日本でも大ヒットしました。
5thアルバム「Aerie(友への誓い)」 (1971)
『Friends with You(友への誓い)』(全米47位)、『Everyday(エヴリディ)』(全米81位)を収録。
6thアルバム「Rocky Mountain High(ロッキー・マウンテン・ハイ)」(1972)
『Rocky Mountain High(ロッキー・マウンテン・ハイ)』(全米9位)は当初、ドラッグでハイになると解釈され、多くの放送局が放送禁止に。
1985年にデンバーは合衆国議会において釈明を行い、2007年には公式州歌として認められました。
1994年に出版された自伝「Take Me Home」では、自らの薬物使用、不倫、元妻への暴力などを語っています。
7thアルバム「Farewell Andromeda(さらば、アンドロメダ)」(1973)
このアルバムからはヒットは出ず、この後のベスト盤に収録される曲はありません。
Best アルバム「John Denver's Greatest Hits(故郷の詩)」(1973)
8thアルバム「Back Home Again(バック・ホーム・アゲイン)」(1974)
最初の妻 Annie Martel(1967年に結婚)に捧げた曲『Annie's Song(緑の風のアニー)』が米・英で1位!
『Back Home Again(バック・ホーム・アゲイン)』は全米5位。
1974年にはTVドラマ『警部マクロード(McCloud)』(アメリカ放映1970 - 77)にゲスト出演し俳優としてもテレビ・デビュー。
華麗に馬を乗りこなし、ロープを投げ犯人を捕まえるシーンがありました。
『警部マクロード』、結構好きだった覚えがあります。
映画『Oh, God!』(1977)に主演するなど、俳優としても高い評価を得ました。
1stライブアルバム「An Evening with John Denver(ジョン・デンバー・ライブ)」(1975)
1974年8月、ロサンゼルスのユニバーサル・アンフィシアターでの実況録音盤。まさに黄金時代といえる時期の素晴らしいライブです。全米2位
『Thank God I'm a Country Boy(すばらしきカントリー・ボーイ』が全米1位!
9thアルバム「Windsong(風の詩)」 (1975)
『I'm Sorry(アイム・ソーリー)』が全米1位、『Calypso(わが友カリプソ号)』が全米2位

↑ 来日記念盤? 裏面に「いよいよ10月17日来日」との記載があります。
オリビア・ニュートン・ジョンとのデュエット曲『Fly Away(フライ・アウェイ)』が全米13位
ジャケにはオリビアの名はありません。
裏の解説で少しだけ触れてます。
Youtube
John Denver with Olivia Newton John "Fly Away"
10thアルバム「Rocky Mountain Christmas(ロッキー・マウンテン・クリスマス)」(1975)
クリスマス・アルバム。この年、初来日公演を行ってます。
11thアルバム「Spirit(心の詩)」(1976)
『Like a Sad Song(悲しい歌のように)』(全米36位)、本日ご紹介のシングル『It Makes Me Giggle(かわいいおまえの微笑みを)』(全米60位)を収録。
『Lokking For Space』(1976)
2ndライブアルバム「Live in London」(1976)
全英2位
12thアルバム「I Want to Live(生きる歓び)」(1977)
バックメンバーをかなり替え、なんと、リー・リトナー参加!
「How Can I Leave You Again(誓いは永遠に)」(全米44位)などを収録。
「The Music for UNICEF Concert / A Gift of Song」(1979)
国際児童年を記念し、国連総会で開催されたチャリティーコンサートのライブ盤
J.デンバーは『Rhymes & Reasons』を歌ってます。
他には、ABBA、Bee Gees、Rod Stewart、Donna Summerなどの歌が収録されてます
13thアルバム「John Denver(大いなる飛翔)」(1979)
『Downhill Stuff(ダウンヒル・スタッフ)」(全米106位)などを収録。
14thアルバム「Autograph(オートグラフ)」(1980)
タイトル曲が全米52位。
15thアルバム「Some Days Are Diamonds(あの頃の風)」(1981)
長年のパートナーMilton Okun(ミルトン・オクン)と別れ、ケニー・ロジャースをポップシンガーとして輝かせたプロデューサーラリー・バトラーを起用。
『Some Days Are Diamonds (Some Days Are Stone)(あの頃の風)』が全米36位、『The Cowboy and the Lady(カウボーイ・アンド・レディ)』が全米66位。
1981年には2度目の来日公演をしています。
16thアルバム「Seasons of the Heart(シーズンズ・オブ・ザ・ハート)」(1982)
カントリー色が薄れ、軽やかなポップ・フォーク調のアルバム。
『Shanghai Breezes(上海ブリーズ)』が全米31位。
これ以降、レコード・セールスが落ち、父の他界(1982)、アニーとの離婚(1983)と私生活も悲しい出来事が起こり、徐々に「時の人」から「過去の人」に・・・。ですからジャンク箱で見つけることは困難と思います。
17thアルバム「It's about time」(1983)
父に捧げられたアルバム。
80年代には、明るいカントリー・ボーイのイメージを捨て去り、反戦や環境保護などを訴える活動に真剣に取り組み、以前にもましてライブ活動も活発に行い、歌う親善大使として共産圏にまで積極的に活動の場を広げました。
冷戦時代の1984年には、アメリカ人アーティストとしては戦後初めてのソ連でのツアーを、そして、87年には再びソ連を訪れ、チェルノブイリの犠牲者のためのチャリティ・コンサートを行っています。
また、1992年には、西側のアーティストとしては初めて、中国でコンサート・ツアーを行いました(中国でいちばん有名な西洋の歌は「カントリー・ロード」だとか)。
若い女優との再婚、20thアルバム「Higher Ground(ハイアー・グラウンド)」(1988)のヒット、子供の誕生(1989)と明るい話題もありましたが、ヒットは出ず・・・
離婚(1991)、飲酒運転による逮捕(1993)などがあり、1993年には長年続けてきたコンサート活動をほとんど休止してしまいます。
ソロ・デビュー25周年の1994年には、若いミュージシャンとともにコンサート活動を再開させ、スタジオ・ライブ「The Wildlife Concert(ワイルドライフ・コンサート)」がTV放映、CD・DVDでも発売され話題となりました。
アルコール依存症や離婚訴訟の泥沼化、2度目の飲酒運転逮捕をめぐる裁判などがありながらも音楽活動を続け多くの聴衆に感動を与え続けましたが・・・
自身が操縦するプロペラ機の墜落事故により、53歳の若さで亡くなります(1997)。
死の2か月前に発表された24thアルバム「All Aboard!」(1997)は直訳すると「出発進行!」・・・まだまだ活躍できたと思います。
さて、本日ご紹介のクルマ・ジャケ・レコは、
『かわいいおまえの微笑みを(It Makes Me Giggle)』/John Denver(1976)
「It Makes Me Giggle」を直訳すると「くすくす笑わせる」。子どもへの愛を歌った曲のようです。
アニーとの間に子供ができなかったために2人の養子を迎えてますが、その頃作った歌でしょうか?
「Rocky Mountain Christmas」(1975)の内ジャケに描かれているのも、ネイティブ・アメリカンの血をひくザッカリー君と思われます。
さてさて、ジャケのクルマは・・・
Facebookの「Celebrity Cars」というページにこんな写真がありました!
Porsche 356 B 1960 ?
1953年モデル以降は、バンパーガード付き・丸型テールライトというので、これでしょうか?
ジェームス・ディーンも356スピードスターを愛車にしていたことがあったそう・・・
映画「トップガン」(1986)では女性教官チャーリーが乗ってました(1958年モデル)
「TOP GUN Original Soundtruck」(1986)
Kenny Logginsが歌うテーマ曲『Danger Zone』もカッコ良かった~
続編「トップガン マーヴェリック」があと少しで日米同時公開!(2022年5月27日)
今回はトム・クルーズが教官役。楽しみですね!
あ、先日の結婚式でのリング・ボーイもこれに乗ってた!
356シリーズは「ポルシェ」の名が冠された初の量産モデルで、この成功によって、ポルシェ社は一流スポーツカーメーカーの礎を築いたと言われます。
ネットサーフィン(死語?)してたら、こんなの見つけました!
「660 Speedster」
「ラダーインターナショナル(ЯuddeR INTERNATIONAL)」という愛知県の会社が2021年12月23日に販売を開始したクルマで、軽自動車ベースですが5ナンバーサイズ。価格は \4,386,800 ~。
どうみてもコペンがベース車ですね。880かなあ??
いやあ、コレは欲しい~。問題はインパネだな~(お財布も)。
【登場車両】
Porsche 356 B (1959 - 63) 1960 ?
【自己採点】
クルマ度 9点(「660スピードスター」なら買える!?)
魅惑度 7点(カントリー・ボーイとポルシェ!)
音楽度 6点(ブルースっぽいカントリー?)