2015年09月29日
神保町の今は亡き店
徳萬殿という庶民派中華店が年内で閉店と聞き、つい1ヶ月ほど前に20年ぶりくらいに訪れたばかりという奇縁に驚くと共に、かつてたくさん在った中華店が走馬灯のように思い出されました。就職して最初の配属先が神保町にあったので、特に独身時代にずいぶんお世話になったもの。
配属されて最初のランチに連れて行かれた「大雅楼」は、チャーハンの思い出。
何故だかわからないが、金属スプーンに醤油と辛子を載せ、それをチャーハンの上に回しかけるのが決まり。たぶん人気メニューの一つだった春巻の残り醤油を回しかけたのがきっかけと推測されるが、上京したばかりの私には不思議な風習に見えたものです。
元気なおばちゃんと寡黙な大男で切り盛りしていた「禮華楼」は、タンメンとカレーライスの思い出。
ここの皮付き刻み生姜が入ったタンメンでタンメンデビューしたので、他のタンメンが頼りなく感じるようになったし、皿いっぱいのスパイシーなカレーライスも安いのに美味くて嬉しかったなぁ。
その斜向かいの「楽楽」は、堅焼きそばとシュウマイの思い出。
座布団の上に寝る猫と、「ありがとざんした」と言うおばちゃんも含め、日本らしからぬ佇まいが忘れられない。若い中国人女性が働きたがっていたのも、故郷を思い出したから?
「廬山」は生まれて初めて食べたジャージャーメンの思い出。
吹き抜けのホールには二階席もあり、ここは映画で見た満州の料理店のような空気が流れていたっけ。向かいの揚子江飯店は今も健在なのは嬉しいけど、此処の大陸的な雰囲気はなかった。むしろスヰートポーズの方が満州な感じか。
藤森照信さんが「このすずらん通りは都内唯一の中華街」と評していたけど、たしかにバブル崩壊まではそう言う雰囲気がこの通りにはあったんだなと、今になって思うのです。あぁ。
おまけ。
中華じゃないけど、とんかつ好きになったきっかけは羅生門のおかげ。
豚肉は薄く、硬い衣は口の中を切りそうになるし、テーブルは傾いているという個性的な店。真冬でも白い肌着一枚でとんかつを揚げていたおじさんの、寡黙で優しい笑顔が忘れられないけど、「あれは病気の豚肉をよく食べるねとほくそ笑んでいたんだよ」と口悪く言う先輩もいたなぁ。私は大好きで、我が家のとんかつは此処をモデルにカミさんが作ってます。笑
しかしまぁ、こんなにたくさん個性的な店が密集していた神保町はもはや取り戻せないと思うと、やはりやるせないものがありますね。こういう街はもう生まれないのだろうか。あぁ。
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Posted at
2015/09/30 20:16:13
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