私とカミさんとの馴れ初めは、上京間もない1982年当時、東京文化の一つだった演劇を観に行くために、社内一演劇好きと聞く女性に声をかけたことからでした。懐かしいやら恥ずかしいやら。(^^)
そのカミさんが演劇好きになった原点が、唐十郎率いる状況劇場の紅テント芝居。なので、状況劇場から唐組に変わっても、紅テントには花園神社、不忍池、目黒不動、井の頭公園と足を運びましたが、やはりなんと言っても花園神社なのであります。
そして、その紅テントの演目の中でも私が最も印象深いのが「ジャガーの眼」。初演は1985年ですが、今回は11年ぶりの再演ということで、会社帰りにカミさんと待ち合わせ、花園神社へ出かけました。
暗転したテント内に強い光と甲高い音楽が流れ芝居が始まると、一瞬にして舞台の世界に引きずり込まれ、当時とは役者も変わり途中二度の休憩を挟んでも、繰り返される台詞 ( -肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない- )とその世界にアタマがくらくらしっぱなし。
特に4-5曲はある劇中歌の全てを覚えていたのは、自分でもびっくり。「ジャガーの眼」が、20代の私の中に深く刺さった理由の一つがこの劇中歌※にあるんだなと再認識。
※『死ぬのはみな他人、愛するのもみな他人』
この路地に来て思い出す
貴方の好きな ひとつの言葉
死ぬのは みな他人なら
生きるのも みな他人
死ぬのは みな他人
愛するのも みな他人
覗くのは僕ばかり
そこに見てはいけない 何があるのか
テレビやネットの世界では表現し得ない、特権的肉体論が押し出す肉声のチカラに支えられた劇中歌は、やはり紅テントの物語の中で聞いてこそなんだなぁ。
実は椎名林檎の「歌舞伎町の女王」を初めて聞いた時に、紅テントでかかりそうな曲と感じて好きになったのも、この劇中歌が頭の中に住みついていたからなんですね。
お約束になっているラストの屋台崩しの後の役者挨拶には、体は弱っても眼は茶目っ気たっぷりに輝いている唐十郎も壇上に立ち、演出もする久保井研と大鶴美仁音( 唐十郎の娘 )に支えられながら花園神社の森の中に去っていく姿にジンとしました。
80年代のバブル絶頂期には、紅テントが花園神社に建つと見世物小屋のような物々しさがあり、事実事件も起こって一度は花園神社を去らなければならなかった紅テント。
時代が変わって再びこの地に戻り、当時からの年配客が多いとはいえ、若い役者がテントの設営から切符のもぎり、観客の入場整理まで、手づくりで芝居を作り上げる経験を積むことを忘れさせない紅テント。
この秋には、1985年のもう一つの唐十郎の名作「ビニールの城」を初めて紅テントで演るという。
「ビニールの城」は状況劇場ではなく第七病棟という石橋蓮司・緑魔子夫婦の劇団に提供されたもの。当時の私とカミさんは年間50本も観劇するほどでしたが、東京ではタイミングが合わなかった為に( 私が風邪でダウン )、札幌までわざわざ観に行った思い出の演目です。
行かなきゃ。
追記
帰りには久しぶりの桂花ラーメンの太肉麺。週末だからにんにくもオッケーかな。(^^)

Posted at 2019/06/08 05:24:03 | |
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