
中村健也という名前をご存じだろうか? トヨペットクラウンRS型(初代)の開発を、関係各部署を横断的にとりまとめる主査という立場で指揮し、現在のトヨタの隆盛の礎を築いた人物として知られる。今から11年前に『主査 中村健也』という本が発行者豊田章一郎、編者和田明広(当時副社長)の名で刊行され、"謹呈豊田章一郎"のしおりが挟まれて送り届けられた。
世代的になかなか届かない人物を知る資料としてありがたく拝読させていただいている。中村健也という人の優れた能力によって、後の日本産業界に大きく影響を与える主査制度が確立されたと聞いている。トヨタ技術部の晩年に参与として技術開発リーダー役を担い多くの後進を育てた中村さんが、これから有望な先端技術としてテーマにとりあげたのがマイクロガスタービンハイブリッド。
トヨタがいち早くハイブリッドカー開発に着手した背景には、中村健也のマイクロガスタービンハイブリッドの経験が効いている。本を読んで納得できたことなのだが、今から40年以上前の1960年代に当時世界中で盛んに研究開発が行われたガスタービン技術に取り組み、それまで一般的だった駆動力をえるための2軸式ガスタービンからモーター駆動用の発電専用とする1軸ガスタービンハイブリッドへと舵を切ったのが中村さんだった。
1969年にはトヨタスポーツ800に1軸ガスタービンハイブリッドシステムを搭載し、実車走行が行われている。電子制御技術が未発達で、バッテリー性能も限られた当時では技術的な限界があり実用化には至らなかったが、このところ話題になっているレンジエクステンダー方式のPHEVの発電動力源としては燃えるものならなんでも燃料になり、クリーンでコンパクトなマイクロガスタービンエンジンは新たな動力源として再注目の可能性を秘めている。
ちなみに当時のトヨタは2軸式のガスタービン車の開発も並行して行っていて、1971年の第一回東京国際ガスタービン会議に自力走行可能なガスタービンバスを参考出品している。また、1987年にはGTV(ガスタービンヴィークル)を公表。たしか東京モーターショーに出展されたはずで、一部メディアには試乗の機会も与えられた。当時創刊されたビデオマガジン・ベストモータリングのメインキャスターに起用された僕は、数100mではあったけれどジェット機のタクシングのような不思議な乗り味を実地に経験している。
パリショーのジャガーブースに展示されていたC-X75が、2基のマイクロガスタービンを発電ユニットとして使うシリーズハイブリッドであることを知って、真っ先に思い出したのが"主査 中村健也"のことでした。C-X75は、ジャガー社の創業75周年を記念して製作されたコンセプトカー。リチウムイオン2次バッテリーを基本とするプラグインハイブリッド=PHEVで、最高出力195psを発生する4基のモーターが各車輪を駆動し、110kmのゼロエミッション走行が可能となっている。

バッテリー残量が少なくなると、マイクロガスタービンが始動。、モーターに電力を供給すると同時に、バッテリーの充電も行う。最大航続距離は900km。外部電源からの充電にも対応し、充電時間は6時間。トータル出力778ps、トルク163kgmという迫力のパフォーマンスは0‐100km/h加速3.4秒、最高速300㎞/h。実力は世界最高レベルだが、マイクロガスタービンのCO2排出量はわずか28g/kmに留まるという。
オリジナルはヨーロッパで、模倣が得意なのが日本。自虐史観による妙な刷り込みが一般化しているが、実は日本がオリジナルで欧米が模倣という例は少なくない。たとえば、初代酒井田柿右衛門のレプリカとして、有名なドイツの陶器マイセンは始まっている。中国から朝鮮半島を経て伝来した磁器の技術は市場性を海外に求めざるを得ない必要から、独自の精度と商品性を身につけた。
それを手にしたドイツ人は驚愕したと伝えられている。また、伊万里や有田焼など優れた陶器が有力な貿易商品として奨励され、それが肥前の国に近代的軍備をもたらし、明治維新につながって行った……そんな考察を最近読んでなるほどと思ったばかりだった。
そんなに昔のことばかりではなく、ここ20年間日本がリードしてきた電子制御技術まわりは明らかに東高西低の様相を呈している。TSIだって80年代のマーチスーパーターボがオリジナルでしょう。エネルギー資源に恵まれないからこそ、日本はずっと技術開発に心血を注いできていた。その伝統は未だ枯れていないとは思うけれど、欧州を高みに据えてその後を追うことを求める言説には一端踏みとどまって考えてみたい。答えは案外自分の足元に転がっているもの。ジャガーにけちをつける気はありません。太陽の下、新しいものは何もない…とゲーテも言っているそうで。
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2010/10/14 16:34:00