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伏木悦郎のブログ一覧

2013年12月31日 イイね!

よいお年を!!

2013年も大詰め。なんとか大晦日までこぎ着けたというのが率直な感想です。2008年9月のリーマンショックを境に、ハラホロヒレハレ……の急降下。振り返れば、W201メルセデス(190E)、AP1ホンダ(S2000)に次いで10年乗り継ぎ3台目となったNHW20トヨタ(プリウス)を購入した2003年頃から予兆はあったのだが、あれこれ”可愛がられ”た結果として、むむむ!なディケードを過ごしてしまった感がある。

まあ、それもこれも過ぎたこと。一時は一人ひとり各個撃破してみようかとも思ったけれど、同調圧力の裏返しでもあるめだかのスクラムは嫉妬と恐怖をエネルギーに押せば強固に引けば畳みかけるという難物であることを悟らされて消沈。さすがに、ここまで来たら「さあ、次行こう!」である。

痺れにしびれた5年もすでに遥か彼方。激しさを増すようになった物忘れのお蔭もあって、後ろ向きより未来に期待を寄せるお気楽さが身についてきている。今年はどんな年だった? う~ん、なんか良く分からない。

7年ぶりに訪ねたGOODWOOD Festival of Speedの変わらぬ活況を見て、20年ですでにビンテージイベントの風格を備えた英国の自動車文化の成熟度に、学ぶべきはここかもを再確認した。これが一番かな。デトロイト、ジュネーブ、ニューヨーク、上海、フランクフルト…今年も国際モーターショー通いを途切れさせなかったのも自分なりに評価している。継続は力を信じて、可能な限り続けるつもりに変化はない。

なんとかかんとか、あちこちに迷惑心配かけまくりながらも、まだまだ気力だけは残っている。一寸先は闇という状態はまだしばらく続きそうだが、なるようにしかならないと、開き直りというより何か確かな手応えのようなものがある。

師走も押し迫った26日、ポルシェJPNが粋な計らいをしてくれた。ポルシェ911(991)ターボSを始めとする日本市場向けポルシェフルラインナップを一堂に会して試す機会を用意する。ここ数年、ポルシェ欲しいぞ買うぞ病が重篤の方向にまっしぐら。懐は空っぽなのに、その気になれる根拠のない自信ばかりがむくむく盛り上がっている。

ポルシェ911で気になるのは、メカニズムや走りのパフォーマンスもそうだが色と形。スタイリングとカラーリングの妙味が何よりだと思っている。理想は”ベーシック”なカレラの右ハンドル7速マニュアル、50周年記年モデルのグラファイトグレーにカレラレッドのナチュラルレザー、できればAWはFUCHSの最新版で。

と……書いている間に年が改まってしまいましたが、ターボS 白にエスプレッソ内装、カレラS ダイアモンドシルバーにカレラレッド内装、カレラ アクアブルーにルクソールベージュ内装。911の形に色の定番系。旧い964でも、993でも996でも997でも、色にこだわれば楽しみはン10倍にも膨れ上がる。

いい歳をして……と言われるかもしれないけれど、スポーツカーを粋に嗜むことが向こう15年の基本テーマにしようと思っている。先立つもの? 何とかしないといけないね。

それから、トレンドのダイナモとなっている"What's new ?"、次はセダンが来る頃だとは思いませんか?カッコイイあるいは次世代エネルギー系の新しいセダン、それもコンパクト領域で。直近ではアクセラのHybridがイメージに近いけれど、さてどうなりますか。

このボディカラーに……



この赤レザー内装、ステアリングとシフトはグレーのアルカンターラがいいね(写真はカレラS)。






911ターボS
Posted at 2014/01/01 00:27:43 | コメント(10) | トラックバック(0) | 日記
2013年11月27日 イイね!

東京モーターショー 問題ありと思います。

東京モーターショー  問題ありと思います。第43回東京モーターショー2013は、23日の一般公開初日から今日(27日)がちょうど中日。20・21日のプレスデイウィークエンドは早朝から取材に追われ、22日の特別招待日は骨休め。連休のウィークエンドは西ホール外の屋外展示場で開催された『同乗試乗会』で汗を流し、25日からはガイドツアーに出動した。

急遽箱根でオデッセイの試乗会がブッキングされ、6時に箱根ターンパイクに向かい、10時過ぎに小田原から新幹線で東京ビッグサイト入り。午後のツアー2回興行(各回2時間)の終わりが19時という、年甲斐もなくれれれ?な流れでa hard days nightを迎えた。

26日は夕刻17時からの一回興行ということで、事前にはちょっと物足りない気持ちがしていたが、ペース配分的にはこれで十分。あまり年齢を意識するタイプではなかったが、やはり寄る年波で2年前とは明らかに勢いが違う。んで、今日は完全off。夕刻から浅草で年末(?)恒例の『元ドリクラ』年次総会があるので、体調を整えるにはちょうど良い。明日、明後日は2回興行が予定されている。

このガイドツアー、前々回幕張メッセ最後の東京モーターショー(TMS)2009が、リーマンショックの泥障を受けて欧米勢が一斉に出展取りやめ、日本勢も自粛ムードで低迷が予想されたことから、自工会の運営事務方から日本自動車ジャーナリスト協会にガイドツアーの打診があり、ひと肌脱ごうということで依頼を受ける形で始まった。

最初は手探りの状態。自工会サイドも様子見といった感じだったが、結果は好評で前回(2011年)からは前売りチケットによる正式プログラムとして位置づけられた。09年の初回は、ガイドが指名できる事前登録だったが、前回からは日時のみの選択でガイドは先着順で決めるスタイルに変わっている。平日の5日間、1日4部で各回5組×10名ということでキャパは延べ1000人に止まる。1300円の前売り券プラス700円という比較的安価な設定もあって入手困難と聞き及んでいる。

僕のガイドツアーはこんな感じ。グループ10名の皆さんとは挨拶もそこそこに、混雑の中でも聴こえるように用意されたマイク/イヤーホンの調子を確認して即室外へ。東京ビッグサイト事務棟1Fからエスカレーターで2Fに上り東ホールを目指す。この道中、まずエスカレーターに乗るところから質問を投げかけます。「この東京ビッグサイトは日本最大のコンベンションセンターですが、さて世界では何番目ぐらいの大きさと思いますか?」

いろんな答えが出ますが、概ね10番以内、行って20何番というところです。「実は世界で68番目、多くの人が幕張メッセのほうが大きいと思っていますが、屋内展示面積は東京ビッグサイトの8万㎡に対し幕張メッセは7.2万㎡」ほとんどの人が意外という顔をする。世界のトップスリーと思っている人も少なくない。

世界最大はドイツのハノーバー(47万㎡)でここ(東京ビッグサイト)の約6倍、この9月にIAAが行なわれたフランクフルトメッセは(35.5万㎡)で約4倍強。フランクフルトショーを取材した者なら誰でも知っていることだが、ダイムラーAGを始めとするジャーマンスリーそれぞれのホールの巨大さは、3グループだけで東京全体と変わらないと思えるほど。まず勝負になりません。

日本のメディアは、東京モーターショーを世界5大ショーとしてそれなりのものだという情報を送り続けていますが、それは観客動員数についての話で、出展メーカー数や世界に情報発信されるワールドプレミアの質と量は桁違い。メッセという言葉がドイツ語の見本市を表わすように、ドイツは成熟したメッセ文化を持っている。コンベンションセンターは他にもケルン(28.4万㎡)、デュッセルドルフ(26.2万㎡)と続き、ドイツ国内には337万㎡の展示面積が備わっている。

日本はというと、コンベンションセンターの展示面積が合計約35万㎡。英国の60万㎡の約半分で、全部合わせてもフランクフルトメッセひとつに及ばない。ちなみに、フランクフルトと隔年開催のパリ(ポルトヴェルサイユEXPO)は24.2万㎡、ミラノサローネのミラノは34.5万㎡。延べ面積では米国が最大で600万㎡超、シカゴ(24.1㎡)以外はデトロイトCOBOセンターの5万㎡を始め、LAもNYもそこそこのサイズだが、その4つの拠点で行なわれるモーターショーはいずれも国際と名のつくもので毎年開催となっている。

アジア最大は中国の広州で、今年はTMSと同時期に開催されている広州ショーの会場は33.8万㎡、上海は新たにNホールが加わって25万㎡以上になったはずだし、北京だって10万㎡を超える。中国全土では500万㎡近い展示場面積があるという。アメリカと同じ広大な国土を持つことから、考えてみれば納得できるが、日本全体の展示場面積が広州ひとつにも及ばないという事実は考えなければならないことだろう。

僕は少し前に広州ショーを取材したことがあるが、当時は4棟ある内の2棟のみが完成していて、1棟だけで中日米欧の結構なメーカー/ブランドを呑み込んでいた。広州ショーは毎年開催、上海/北京が隔年開催されていて、出展メーカー数ではTMSの比ではない。

しかも、中国の3大ショーにはいずれも国際(International)のタイトルが付いている。TMSは過去42回一度も国際を名乗ったことがなく、今回もパンフレットのどこにもInternationalの文字は見受けられないはずだ。

毎年開催のジュネーブショーが行なわれるPALEXPOは、5大モーターショーと言われる中でも、もっともコンパクトで中立で華やかで取材が楽しいショー会場だが、それでも10万㎡。

毎年日本のメディア/ジャーナリストは各国各地の国際モーターショーに出掛けていて、それらの事実を知っているはずなのに、本拠の東京モーターショーの現実をきちんと批評、批判することをしない。

この辺を枕にツアーを始めて、会議棟から長い長い通路を歩いて東ホールに至るまでに話して、さあ‥‥という具合に各ブースを巡る。もちろん2時間ですべてをカバーすることは不可能なので、そこは僕の独断と偏見にお任せ願うことになる。スバル、レクサス、BMW、ミニは軽くスルーしたいがそれぞれにワールドプレミアがあるんだよね。

トヨタのステージに飾られた近未来の4台はジュネーブショーでワールドプレミアしたFT86オープンコンセプト、パーソナルモビリティのi-ROAD、2015年に市販を明言したセダンのFCVコンセプト、そして東京オリンピックを視野に入れたLPG+ハイブリッドのジャパンタクシー。いずれも魅力的な展開で、ここは触れずにはいられない。

今回のTMSでの一押しは日産のIDx FREEFLOW/NISMO。ジェネレーションZと呼ばれるデジタルネイティブ世代の嗜好を抽出したファッションとゲームの2つの異なる方向性を打ち出したコンセプトモデルは、70年代の記憶を留める熟年世代のハートにも響いた。510ブルやローレルなどのデザインエッセンスを現代解釈させたルックスは、若い世代に新鮮に映ると同時に、オールドタイマーの共感を生んだ。

ルマンチャレンジのデルタウィング由来ともいえるEVのブレードグライダーともども日産にカムバックした田井悟デザイナーの作となるそうだが、日産デザインに新境地をもたらす展開には要注目だろう。

ここから西ホールのホンダS660までは一応触れて回るが、ワールドプレミアを中心に軽く軽く。途中曙ブレーキなどに寄ったり、ポルシェはやっぱりいいねとか言いながら。ケン・オクヤマ(奥山清行)のブースにはKODE9というオリジナルの2シータースポーツがあって、これもじっくり行きたいところ。1200万円で売る、ただし僕(奥山さん)が気に入った人にだけ‥‥というコメントを得ているが、何か良いじゃない?

パビューンと駆け足で巡った最後は西ホールの奥のおくにあるBEWITHというハイエンドオーディオのブースで30分位ゆっくり掛けて締める。ここにはパガーニ・ウライアという今回のTMSで販売されるクルマの中では最高値1億5千万円以上というスーパースポーツが展示されていて、じっくり鑑賞しつつ同車にオプション設定(500万円以上という)されたオーディオのデモ(ヴェルファイアーに装備された100万円のシステム)で心を落ち着けてもらう。

コンベンションセンターの器の小ささと動線の悪さ、見る者より主催者の都合ばかりが先に立ったショー運営にはメディアはもっともっと積極的な批判を試みる必要がある。何たって、国産勢を中心とする出展内容は世界のどこに出しても恥ずかしくないクォリティとレベルの高さを備えるもの。LAや広州と開催期間がバッティングし、国外に発信するための海外プレスを呼び込めない現状は憂うのが当然で、盛り上げましょうの掛け声だけで済まされるような問題ではない。

今回ガイドツアーをやっていてしみじみ実感したのは、結局のところ国際モーターショーという気概を持って開催されているショーではないな、ということ。観客動員数を気にするのはけっこうだが、大事なのは訪れる人々の満足だろう。

世界に冠たる日本の自動車産業の一大プレゼンテーションでもあるモーターショーが、他の国際ショーとは比べようもないせこいスケールで行なわれている事実。誰も声を上げないが、そこを改めるところから次なる発展の道筋が見えてくる。そもそも一極集中の東京でやる必要があるのだろうか? 諸々含めて考え直すところに、我々は差し掛かっているように思う。今回のガイドツアーでは、クルマの明るい未来とともに違う視点を示している。あと2日4回の興行が残っている。もう少しブラッシュアップしないとね。


Posted at 2013/11/27 17:06:45 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
2013年11月18日 イイね!

東京モーターショーウィーク始まる

今週は東京モーターショー(TMS)ウィーク。東京ビッグサイトに移して2回目、ポストリーマンショックの幕張メッセ(2009年=第41回)以来難しい状況が続いてきたが、起死回生・本領発揮となるか?

LA・広州とかぶり、アメリカ勢はテスラのみ。市場性を持たない中国・韓国メーカーが顔を見せることもなく、欧州勢は5%強のシェアを分け合うジャーマン3グループを中心に仏(PSA、ルノー)、英(ジャガー/ランドローバー)、スウェーデンVolvoに留まる。

国際と謳うことなく60年の歴史を重ね、世界の名のある国際モーターショーとは異なる状況を放置してきたmediaを含むすべての関係者は事実を正確に情報化する必要があるだろう。

東京ビッグサイト(展示面積8万㎡)は1996年にオープンした日本最大のコンベンションセンター。青島幸男元都知事の決断で中止となった世界都市博覧会に合わせ晴海から移された国際見本市会場で、意外に思う人が多いが実は4年前までの幕張メッセ(1989年オープン、同7.2万㎡)より大きい。

単に集客を考慮した都心の利便性で開催地移転となったわけではないということだが、クルマでのアクセスを想定しない自動車ショーというのは少なくとも先進国では少数派。その異様さに思いが至らない辺りにこの国の行政官僚の許認可権にあぐらをかいた視野の狭さ、そのお役人体質と変わらぬ業界団体の内向き指向、それを指摘できないメディアのお上意識と発信力不足の連鎖の深刻を憂う。

多くの人々は東京モーターショーを古くからそう言われているように世界5大モーターショーのひとつと誇らしげに感じていると思うが、それは2007年の第40回まで続いた100万人超の観客動員による興行としての大きさを比較検討した結果。ショーの中身は基本的に国内メーカーとわずかなインポートメーカーによるドメスティックな内容に留まっていた。これまで英語表記で一度もInternationalを名乗ったことがないことに気づく人は少ない。

コンベンションセンターのスケールは致命的ともいえるほど小さく、日本最大の東京ビッグサイトは世界のコンベンションセンター中67番目でしかない。

世界最大のコンベンションセンターはドイツのハノーバー(約47万㎡=屋内)で東京ビッグサイトの約6倍。隔年開催で今年9月にも訪れたIAAのフランクフルトは35.5万㎡。ジャーマン3が巨大ホールで覇を競い、欧州勢の他にアメリカ、日韓中印のアジア勢が広大な敷地内のホールに十分なスペースを与えられる。

ドイツはメッセ(見本市)が文化として根づいていて、他にもケルンやデュッセルドルフなどにも25万㎡級のコンベンションセンターが数多く揃う。それだけでなく、メッセ文化の輸出にも熱心で、中国のモーターショーの共同運営社としてドイツのメッセカンパニーが名を連ね、アジア最大の広州(約34万㎡)、上海(20万㎡超)、北京(10万㎡超)などのコンベンションセンターの建設はドイツ系建設会社が関わっている。

IAAフランクフルトショーにおけるドイツメーカーの圧倒的存在感はホールの巨大さでストレートに伝わる。それだけで世界に向けての強烈な情報発信となっていて、ドイツブランドの名声を高めることに一役買っている。同じような気分を中国のモーターショーでも感じる。

上海モーターショーを初めて訪れた驚きは忘れられない。V字にレイアウトされた巨大なコンベンションセンターの展示棟は、今年さらに向こう側のもう一辺(北棟)が加わり一日でゴルフ2ラウンド分は歩くことを覚悟する必要がある。

北京はそれよりコンパクトだが、驚きは広州。上海、北京の隔年交互開催に対し広州は毎年。最初に訪れた5年ほど前は2フロアの一棟だけ。これでほとんどのメーカーを収容するほど巨大な建屋で、当時2棟が完成していて残り2棟は建設中だった。

全部揃えば世界中の自動車メーカーと部品メーカーをすべ屋内で展示収容できるのではないかと思える圧巻のスケール。世界を一堂に集め知ることができる見本市の器を持っている。そのことの意味を、世界中を相手に全シェアの20%近くを握る日本は深く考える必要がある。

と、またまた書き出すととめどもないいつもの調子になってしまったが、ちょっとヤバいよな……という現実はさておき、東京モーターショー2013、盛り上げないといけないね。

今年はここ10年で初めてLAをパス、しばらくご無沙汰の広州も当然諦めた。どちらもローカルな位置づけではあるけれど世界の中の日本を実感させる国際感覚という点では東京の何倍もインパクトがある。東京の存在感を高めるためには、とにかく発信する気構えが必要だ。

TPPとの絡みはないとは思うが、今回デトロイトの3社は失礼にも東京をパスしてきた。上海、北京、広州におけるデトロイト3のプレゼンスを目の当たりにしている者としては何か背筋の寒い思いがするが、東京に来ないと後悔するというくらいのショーにしないと。その意味での情報発信は大事だし、メディアに属する者としては一役買わなければと思っている。

今回も、会場内で内外の100車種以上の同乗試乗会が行なわれ、僕もタクシードライバーとして参加します。多くのジャーナリストが分担する関係で僕の出番は11月23、24日(土曜/日曜日)。時間の都合つく方は気軽にお立ち寄りください。西ホール脇の野外展示場が会場です。

また、ちょっと告知を怠っていましたが、日本ジャーナリスト協会(AJAJ)会員によるガイドツアーにも参加します。担当は11月25日(月)2部12:00~14:00、4部17:00~19:00、26日(火)4部17:00~19:00、28日(水)1部9:30~11:30、4部17:00~19:00、29日1部9:30~11:30、2部12:00~14:00 以上です。

いずれもお待ちしております。
Posted at 2013/11/18 16:51:05 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2013年10月03日 イイね!

30秒のスペクタクル?

びゅんと9月は駆け足で過ぎ、10月。ほんとうにいつの間にやら過ごしやすくなっている。前向きになる春のお彼岸と違って、秋のお彼岸は振り返る感じが通り相場となっている。今年の冬は乗り越えられますかね? そんな会話が自然になりつつある今日この頃ですが、『神無月のなんとか?』……に近いイベントの告知です。

10月13,14日(日、月)の連休、東京お台場 特設会場 (東京都江東区青海)で行なわれる『モータースポーツジャパン 2013 フェスティバル イン お台場』の当日受付プログラム、”ふれあい試乗会”で、今年もタクシードライバーを務めさせて頂きます。

数100mの特設コースを日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)メンバーをはじめとするプロの運転で、リストにあるクルマ達の同乗試乗が体験できるというプログラム。応募多数が普通で、毎回抽選になりますが、運が良ければ何回でもチャンスが巡ってくる。試乗は無料です。

当日は、AJAJ主催のサポートイベント『母と子の楽々運転講習会』
も行なわれていて、web、雑誌などでおなじみのジャーナリストが多数参加しています。併せて、よろしくお願いします。

みんカラお友達の皆さん、今月の連休は『お台場で!!』
Posted at 2013/10/03 12:40:57 | コメント(2) | トラックバック(1) | クルマ | 日記
2013年09月17日 イイね!

巨星墜つ。

午後、暫く借りていたロードスターHTを子安に返却して帰宅する道すがら、スマホがメールを着信してブルッた。確認すると、トヨタ広報のK氏からで、【訃報】豊田英二 とあり、2013年9月17日(火)午前4時32分の死亡日時が記されていた。※享年100歳(1913年9月12日生)

大往生……まず浮かんだ言葉だ。2010年頃からトヨタ記念病院で療養中だったそうだが、百歳までの存命は讃えられて然るべきだろう。7月に行ったGoodwood Festival of Speedで50周年を祝うマクラーレンブースにあった"人は生きた年月ではなく、業績で評価される"というマクラーレンカーズの創業者ブルース・マクラーレンの言葉が印象的だった。豊田英二さんは、まさにその長寿とともにトヨタの創業者の一角に名を連ね、豊田自動織機・自動車部設立3年目の1936年(昭和11年)入社から1937年のトヨタ自動車工業株式会社設立を通じたトヨタ創業当初から存命の唯一の存在であり、幾多の業績に輝かしい足跡を残している。

社長就任は1967年(昭和42年)。戦後しばらくしてのインフレからデフレに転じた不況下で工販分離(トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売:自工と自販に分離1950年)となり、在任中の1967年から工販合併を果たす1982年までの15年ほどの間にセンチュリー、マークⅡ、セリカ/カリーナ、スターレット、ターセル/コルサ、カムリ、ソアラなどの今日の礎になるモダンなモデル群を発売する。

1982年の工販合併とともに社長職を創業者の豊田喜一郎の長男豊田章一郎に譲り、会長に就任する。豊田英二さんは、創業者豊田喜一郎の父で現在のトヨタのルーツに位置する豊田自動織機を興した発明王豊田佐吉の弟平吉の二男として生を受け、従兄弟にあたる豊田喜一郎とは19歳の年の差。喜一郎の長男で1925年生れの豊田章一郎(88歳)さんとは12歳の歳の差である。現在のトヨタ自動車社長の豊田章男さん(56歳)は、佐吉、喜一郎、章一郎に連なる豊田家直系の嫡男で、三代目ということになる。

豊田英二さんは、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業したエンジニアで、初代クラウンやセンチュリー、ソアラ、セルシオ(レクサスLS)、プリウスといった歴史を彩るエポックメーカーの開発を指揮したと聞いている。また、北米市場への足掛かりとしてGMとの合弁会社NUMMI(カリフォルニア州フリモント)の設立にも陣頭指揮を執っている。会長職は1992年に退任。それから20年余はほとんどメディアに登場することもなく、静かに目立たぬ行き方を貫いた。

いろんな意味で残念に思う。最大の悔いは、同じ時代を生きていながら、そのほとんどを伝聞で知るしかないという忸怩たる思いである。豊田英二さんが社長の頃は、その任期晩年ともいえる1978年にフリーランスライターとしてこの道に入ったばかり。78年のKP61スターレット、ターセル/コルサ/カローラⅡ、80年のカムリ、81年のソアラ……と記憶に残るクルマが多いが、当時ペーペーのヘッポコライターが大トヨタの社長と面識を持つことなど叶わない。

会長職を辞した1992年以降、当時のトヨタ広報部で懇意の課長職あたりに何とか懇親の場を作ってもらえまいか? せめて同じ場所で空気を吸い、とりとめのない世間話でもいいから交わしてみたい。人となりを直に知るか否かで、リアリティがまったく異なる。この仕事を長く続けてきて、トップを含む然るべき人々と接するにつけ強くそう思うようになっている。

同じ想いは、実は20年前にも味わっている。本田技研工業株式会社の創業者として本田宗一郎の名を知らぬ者はいないだろう。本田宗一郎は1991年(平成3年)8月5日)、85歳になる直前にこの世を去っている。1906年(明治39年)11月17日生れは豊田英二さんの7歳年長。ともに長寿といえるが、数多くの伝説を残す自動車界の巨人と同時代に生きていながら、これもほとんどを伝聞で知るしかなかった。

その悔しさから、せめてお元気な内にと、1990年代後半に何度か打診したことがあるのだが、本人が日経(だったと思う)で語った他は話すつもりはない……と頑なに表舞台に出ることを拒んだという答え。もちろんトヨタ社内でも言葉を交わせた人は限られているはずだし、多くの人にとって雲の上の存在だったはずである。だからこそ、メディアに属し、ジャーナリストの端くれに名を連ねる、それももっとも近くにいるはずの自動車専門メディアにいる者として伝える立場にいたかった。

仕事を成し遂げた人は、味わい深い。けっしてモノトーンではなく、それぞれの風貌容姿とともに記憶されるべき雰囲気と言葉と立ち居振る舞いを持っている。ほんの一言でも交わした言葉が生涯の財産になる。煩わしくもあり面倒でもあろうが、力のある人はない人のためにほんの少しエネルギーを分け与える義務があるのではなかろうか。何気ない一言が、大きな力になり、眠っている才能を掘り起こす可能性もある。ビッグスターはそのことに気がついてほしいと思うのだ。

突然のメールで、思わず"ああ、そんなことを具申したことがあったな" と思い出した。明るい個性で記憶に残る本田宗一郎とは好対照の力はあるけれどしゃしゃり出ない謎多き豊田英二。日本を代表する自動車メーカーで創業期を知る唯一の存在が亡くなった。謹んで哀悼の意を表したい。安らかにお休みください。


Posted at 2013/09/17 23:55:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「撤収!! http://cvw.jp/b/286692/42651196/
何シテル?   03/24 18:25
運転免許取得は1970年4月。レースデビューは1975年10月富士スピードウェイ。ジャーナリスト(フリーライター)専業は1978年9月から。クルマ歴は45年目、...
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愛車一覧

トヨタ プリウス トヨタ プリウス
しばらく耐える秋なのだ。
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2009年3月3、4日に行われた第79回ジュネーブショーの画像です。

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