
「人生は加速する」……その言葉を実感し始めたのはいつ頃だったろう。
勢いだけで生きていた20代では未来は永遠に広がるように思えた。自分が50になり60になるというイメージなど微塵も持たない。
30になると所帯も持ち、玉のような娘二人に癒されながら育てるというより育てられた。
経済的な余裕はまったくなかったけれど、山も谷も苦にならない。あの程度の才能で乗り切れたのは、やはり馬鹿さを濃厚に含む若さゆえだろう。
月日の移ろいが急に感じられるようになったのは、キャリアが20年ほどになり、あれこれ忙しくなった40代からだ。ピークは下り坂の始まり。先人のしたり顔に舌打ちしつつも、ひょっとしてそうかも…加速して勢いを増す感覚に首筋が寒くなった。
でもね、まだエネルギーはあるんだね40代。不惑手前で着想したあれこれに手を染め始めたのはいいけれど、カラダはまだ言うことを聞くけれど、頭がついて行かん。50になるとカラダが釣瓶(つるべ)落とし。
特に後半の急降下ぶりは宮川大輔の”チンスカ”の態。カラダは自覚して鍛えることができるけれど、脳細胞の減少速度は記憶力という具体例で我が身を凹ませる。誰にとっても未体験ゾーンであり、自然の流れだから恐れることはないが、経験の引き出しの蓄積との反比例が恨めしい?
でもさ、そういうもんだと腹を括れば、どうということはない。なぁ~んもなかった20代に比べれば多少は役に立つ知恵もついている。FRだドリフトだと四半世紀余りも吼え続けたからこそ今がある。
試しに1980代後半のバブル期のバックナンバーを繙いてご覧。誰が何を言っていたか。FRは日陰者だったね。変人扱いも珍しくなかったな。FR、FF、MR、AWD、RR。どう考えたってこれっきゃないんだから、全部あるのが良くね?
FRはね、下手するとセド/グロ、クラウンぐらいにしかなりかねない絶滅危惧種だったんだよ。だからね、COTYの選考委員を委嘱された1987年は、日産では珍しい文系上りの開発主管三坂泰彦さんのY31セド/グロのグランツーリスモ(ポリフォニーデジタルのことじゃない)の2ℓV6DOHCターボで5ナンバー枠に初10ポイントを謹呈したりもした。(イヤーカーは三菱ギャランVR-4)
Y31はかすりもしなかったけれど、翌88年はS13シルビアのイヤーカー受賞に貢献した。87年はY31であり、89年はユーノス・ロードスターNA6CEに10ポイント(イヤーカーはセルシオ)。もちろんFRばっかりではなくて、FFの時もあればhybridに夢を託したこともある。是々非々は当然だが、筋の良いFRがあれば当然一押しした。
今となっては遠い昔話で、歴史の範疇の世代や筋を通さずのらりくらりが大勢を占める。それはそれでよしではあるけれど、ニッポンと言えばこれだぜ!って胸を張れるクルマはどうなってる?
海外市場にマッチするように開発されたクルマで日本もその内のひとつみたいなのが大半。軽もミニバンもライトSUVも悪くないけれど、欧米メーカーには真似のできないこういうクルマで『どうだッ!!』とオールジャパンで行かなくてどうすんの?
24年前のNA6CEの時もそうだったけれど、日本の社会は本来は大人の乗り物であるスポーツカーに異様なまでに冷たい。オトナがかっこ良く生きようとしないで、ガキのサブカルばかりを氾濫させてどうすんの?おっ、言い過ぎた。若者の反乱は、あられもない大人社会に対する苛立ちとか、ああはなりたくねぇ意識の表れじゃない?
まあ、60が熱く語るような話でもありませんが。基本はとにかく”カッコ良く”。残念ながら現在の我が身はドン底につきあられもありませんが、何と言われようとカッコイイを諦めたくない。すでに燃えかすなのか、まだまだ残っているのか分かりませんが、まあ老骨に鞭打ってもですね、ジタバタするつもりです。
というわけで、大晦日の問題の答えはSCION FR-S(サイオン エフアールエス)でありました。
「煩ぇなあ、知ってるよ」……ですよねぇ。しかし、誰もが分かる問題でないと応募が少ない……ん?それでも9人か。なぁ~んか考えるね。デトロイトNAIASに行けば、いつものSCIONブースに恒例のノペルティグッズが用意されているはず。それでいいですかね?
それと、毎度発作的に招集する『〇〇〇でなんとか……』ですが、少し遠目のスケジュールで予定が立てられるように一案あります。『3.11に福島でなんとか……』というのを考えています。3.11が月曜なので、前日の3.10が現実的かな。雪が心配ですが、エビスとかでね。難しい状況は重々承知ですが、被災地を見た者の思いのままでcommunicationが作れたらという感じです。
とにかく始まりました2013。本年も宜しくお願い申し上げます。
Posted at 2013/01/04 23:50:29 | |
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