2009年01月05日

急転直下の一年の始まり。2009年が激動の年となるのはほぼ間違いない……ということで、業界4団体恒例の年始めの行事にでかけてみました。
久しぶりのことですが、この賑わいぶりに一時厳しい時代が幕を開けたようには思えませんでした。それでも地球は回っているということでしょうか。
Posted at 2009/01/07 12:42:39 | |
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2009年01月05日
巷に氾濫しているドライビングインプレッション。箱根のワインディングなどで語られているのは、筑波サーキットを攻めるような走り。パワーやスピードに焦点をあてた、限界域での挙動やパフォーマンスを云々するものが多い。
その時の速度はというと、全山50㎞/h制限のはるか上。メーターを見るとその倍やそれ以上ということも珍しくない。クルマ好きを自認する書き手の多くは、ほとんど無批判にその状況での話を書き連ねている。
その状況は楽しく、なんとなく達成感を感じるのですが、自衛隊やソープランドなどと同じように存在を曖昧なままにして、その都度の解釈で違法性に蓋をするようなやり方は、発展途上段階でならまだしも物質的には十分豊かになった成熟社会を生きる者の態度としては問題だろう。
ベースとなる道路交通法や資源・環境・CO2など直面しているエコ問題には目をつぶり、ちょっと逝っちまった領域での"評価"に地道を上げている。
あっさり言ってしまうと、現在市販されている軽自動車を含むすべてのクルマは、日本の法定速度内ではほとんど破綻をきたすことはない。
もちろん、クルマ=人・道・車…三重のシステムの視点に立てば、走行環境(状況)やドライバーの習熟度などによって100㎞/h以下でも深刻な事態に直面することはある。
それをサポートする技術体系に異論はないが、現在語られているのは日常生活ではほとんど使われない(あるいは使ってはならない)過剰領域の話。
たとえば横滑り防止装置。その技術的効能は過去15年ほどの歴史の中で洗練熟成強化され、事故低減の効果はデータとしても証明されている。
それを論拠に、すべてのクルマへの標準装備をプロパガンダする意見を無批判に取り入れて自らの主張としている同業が多くみられる。とくに若い世代の妄信とも思える傾倒ぶりは、未来へのビジョンを欠いているという点で問題だろう。
前提条件にスピードアップ(最高速を追求する方向性)があって、それを補完するためにダイナミックセーフティと呼ばれる安全デバイスが開発された。
300㎞/hで安全なら、100㎞/hなら余裕。動力性能でも使われる大は小を兼ねるという抗しがたい理屈とともに…です。
ドイツに行ってアウトバーンをぶっ飛ばすと、これぞクルマの理想郷…クルマ好きなら誰もがそう思います。ニュルブルクリンクの北コースは、走りの腕に覚えのある者を夢中にさせる異次元空間です。
あそこに招待されて、一切のコストを支払うことなく満喫したら、誰だって勘違いしちゃいます。あの世界がドイツだけにしかない特殊なものだということを忘れ、あの状況だけを日本に持ち込もうとしてしまう。
横滑り防止装置にしても、4WDにしても、基本はタイヤのバックアップシステムであるという現実に目を向ける必要があります。
クルマの走りは、タイヤのグリップの範囲内の出来事。そこを越えるか越えないかの領域がfan to driveだったりするわけですが、要するにタイヤの摩擦力というか摩擦抵抗係数μが最大になるように速度(や制動力、駆動力など)をコントロールすることがダイナミックセーフティの基本であるわけです。
ところが現実は、スピード基軸の高性能を正当化するためのアイテムでしかない。無限の成長が信じられ、資源の有限性を忘れた人間中心主義に酔っていた過去20数年の生き方が続行可能と考えるのなら、右肩上がりも結構でしょう。
でも、目の前に広がる未来がそうではないことがはっきりしてきました。
その手の話は、もう四半世紀前からずっとやってきているわけです。僕らの世代は、自分自身だけでなくメーカー(の技術力)も社会の成熟度も発展途上段階にあったので、まだあっちこっちに目をつぶることが許されていました。
事実としてバブル経済の1990年前後に至るまで、日本の自動車産業は量はともかく質の面で世界水準に達していませんでした。文字通り泡銭を掴んだあの時代は、動力性能の過剰性を競い合う欧米流のパワーゲームから脱却して次の時代に備える絶好のチャンスだったのですが、結果として欧米に『追いつけ追い越せ路線』という従来の仕組みを温存する楽な道を進んだ。
バブル崩壊からロストディケード(失われた10年)を経験し、グローバル化の荒波を約10年かけて克服して頂点に立ったと思ったところで、誰もが茫然自失となる欧米システムの瓦解とその先にあるだろう価値観の大転換です。
すでにもう目一杯になっているエネルギー多消費の社会構造を、いかにして持続可能な仕組みに変えて行くか。まずは巨大化した都市から考える必要がありそうですが、クルマのあり方も大急ぎで変更を余儀なくされている。
その変化に対して、従来価値観の極みともいえる「横滑り装置云々…』はあまりにも牧歌的であり20世紀的だと思うわけです。幻想的な高性能を語ることでポジションを得るのではなく、現実を直視した本質に立ち返ってこれからの時代を模索する。
そんなことをしたら食えなくなる見本がここにいるわけですが、いままで通りでは誰も救われない。さまざまなモノやコトがダウンサイジングを求められる時代となりそうですが、そこには必ず未来に希望が持てる楽しさがある。
時代の変化に対応することが喫緊の課題。今まで通りを望む人々には目障りかもしれませんが、あえて波風を立てることが世のため人のためになると考えているわけです。
Posted at 2009/01/07 12:38:44 | |
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