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伏木悦郎のブログ一覧

2009年07月21日 イイね!

『曲がらない? なら逆走だ! 』 まだまだ現代にはほど遠かった80年代の入り口

僕が自動車専門誌メディアに足を踏み入れた頃は、自動車専門7社(モーター7社だったかな?)とかいうとても小さな世界でした。

老舗では、モーターマガジン、ホリデーオートのモーターマガジン社、モーターファンの三栄書房、ドライバーの八重洲出版、カーグラフィックの二玄社、月刊自家用車の内外出版、カートップの交通タイムス社、ピットインの芸文社……だったか。

レースをやりながら取材にも関わり出した1977年にルボランとベストカーの前身のベストカーガイドが創刊され、ラジオコマーシャルを耳タコもので聞いたものでした。78年にはカー&ドライバー日本版が創刊されています。

フリーランスという立場はほとんど確立されておらず、モータージャーナリストという肩書も知りません。僕が最初に仕事をしたD誌の場合、普通は編集者(記者)の代筆のような立場で、外注さんという扱い。他誌でも似たりよったりで、僕の記事が署名入りになったのはフリーランスで始めてから5年くらい経った頃でしょうか。

先生と呼ばれるような自動車評論家の先輩もいたようですが、その頃はまあ雲の上の人達です。現在も続く自動車ジャーナリストの団体日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)の設立メンバーだった20名足らずが、存在感を示していた頃でした。

スペシャルプログのメンバーでも、フリーランスとして僕よりキャリアの長い人はいません。男は黙ってのスポーツカーおじさんは5歳年長ですが、当時からずっとしばらくの間はCG誌の編集者でした。僕は、プロとしてちゃんと食えたレーサーではなくて、走り屋のお兄ちゃんからライター稼業に入った者の、まあハシリです。

78年は、自動車専門誌を中心とする自動車ジャーナリズムの勃興期で、日本の自動車産業の成長と軌を一にするように自動車メディアの世界も大きくなって行きました。ピークはバブル経済がピークアウトする90年頃で、最大で月刊100誌以上を数え、月販総数は600万部に達したと聞いた覚えがあります。

栄枯盛衰をずっと見て来ているというような感慨を覚えますが、すでに何度も書いているように駆け出しの頃の僕は、迷惑を掛けることの多い問題児でした。文章で難渋するなら……ということで編み出したのが40点主義です。

もうどんな分野でも手を出して、一つひとつは40点でも5個やれば200点……みたいな。試乗は軽自動車からグループCカーまで、テスト物はサーキットからゼロヨンほか何でも。レースリポートもけっこう本腰を入れてやりました。

僕は、ドリキンのKちゃんよりも実はドリフトのキャリアは古くて、原体験は雨の筑波の日産レーシングスクールの国さんの助手席。そして、75年の富士のF1デモランのロニーのドリドリにすっかり頭をやられた口です。

1979年の11月に510の再来と言われた910ブルーバードが登場しました。CMキャラクターはジュリー(沢田研二 )だったかな?。最初は1800SSS-Eとかいう115psほどの1.8L SOHCエンジン搭載モデルだったと思います。

結果的にこの910は27ヶ月連続販売1位を記録する510ブル以来のヒット作になるのですが、そのスポーティなルックスならやっぱドリフトでしょう。ハードトップモデルのイメージに合わせた走りの写真を撮ろうということになりました。場所はその頃から月に何度も通うことになっていた筑波サーキットです。

いざ、本番ということで第一コーナー、第一、第二ヘアピンと可能性のあるコーナーでトライしたのですが、非力とアンダーステアセッティングの影響でまるで決まらない。LSDの装備でもあれば…というところですが、このクラスには望めないことでした。窮余の一策として僕が提案したのが第一コーナー逆走です。取材のための専有走行ならではの話ですが、必死に試してようやく連続写真を収めることができました。

その後は、小型車に始まるFF化の波がどっと押し寄せ、2LクラスのFRモデルも基本的に安定指向のアンダーセッティングが主流を占めることに。僕は80年代の前半にFR至上主義の境地を発見し、以来今までずっとその基本スタンスを変えてはいませんが、僕が初めて納得したFRスポーツの走りは89年のR32スカイラインGTS-t タイプM。手頃なパワーのコンパクトFR……ということでは、厳密にはまだ出現していないと思います。

この910ブルーバードと相前後して国産初のターボチャージャーがセドリック/グロリアのL20型SOHCエンジンに与えられます。導入の理由は省燃費です。装備重量の増加に対応したトルクを捻り出す一方で、定常走行領域では従来どおり2Lの排気量なりの燃費性能を期待する。

最初にスポーティカーではなく、日産のハイエンドサルーンにまず搭載したのは社会性を考慮してのことでした。現代の常識にもなっているハイパワー化のための手段ということでは、当時の運輸省は認可しなかった。

永遠の成長が信じられた80年代の幕開けは、暗黒の70年代に懲りた官僚の厳しい許認可権による統制から巧みに逃れることから始まったのでした。

つづく
Posted at 2009/07/21 22:20:01 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
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