さあ次行ってみよう……ということで訪れたのが
インターラーケン。ガイドブックであたりをつけたのか、はたまたホテルの人々に薦められたのか。まったく覚えていないが、とにかく行ってみた。
その名の通り二つの湖(トゥーン湖とブリエンツ湖)に挟まれた町は、切り立った渓谷を南下するとユングフラウがあったりするグリンデルワルトの入り口。このところジュネーブショーには毎年通い続け、スイスは馴染みのある国になっているが、観光らしい観光をしたのはこの時が最初で最後。ドイツのフランクフルトからジュネーブまで何度もクルマでグランドツーリングしているのにね。
いかにもスイスらしい山と渓谷の景観。それじゃあと、ユングフラウを目指したのではなかったか。麓の駅まで行くと、標高3454mのユングフラウヨッホにある頂上駅まで登山電車が走っている。ヨーロッパ最高地点にある鉄道駅。魅力的ではあったけれど、料金がかなり高かった。
断念して、次考えよう……とガイドブックなどを見たはずだ。そこにシルトホーンという3000mを少し切る山までロープウェイが走っている。値段も手頃だったのだろう。乗ってみることにした。15~30分くらいで頂上に着いたのかな。
天辺に行くと回転式の展望台があり、デッキから360度のパノラマが見渡せた。
007(女王陛下の007)のロケ地だったという証拠写真がいくつか貼ってあったのが記憶に残っている。
ところが、しばらくするとカミさんが体調不良を訴えた。急激に3000m級の山に登ったことで軽い高山病にかかったようだ。インフォメーションに駆け込むと、さすがに慣れたもので、薬を与えられしばらく休むように……。ほどなく下山したと思う。
インターラーケンでも、もちろん宿の予約はなし。町のツーリストオフィスで「今晩泊まれる宿はありますか?」人間、衣食住に関わることなら、言葉が覚束なくてもなんとかするものである。
ただ、この時の失敗はボキャブラリーの貧困から「安い宿はありますか?」と聞いてしまったことだ。チェックインしてみると、床が傾きベッドはスプリングが抜けそうで、シャワーも部屋にはなく廊下の共用のみ。その床はぬるぬるだった。「cheap and clean」と言わなければ駄目じゃん。この時学んだ教訓である。
インターラーケンからは、一路ロンドンを目指してひた走ったはずだが、どこをどう通ったかまるで覚えていない。地図首っ引きで運転し、ラジオも鳴らない空間でひたすら移動する。当然ストレスは溜まり、感情の爆発もあったはずだが、都合の悪いことは覚えていない。
ただ、インターラーケンを出た夜は宿にありつけず、ついにやっちまったの車中泊(といえば聞こえがいいが、野宿である)とあいなった。カミさんは約3週間に及ぶ旅程のほとんどを覚えていないという。真相は不明だが、人間忘れることは良いことだ。
初の国境越えの教訓から、なるべくオートルートを走ったのだと思う。とにかくドーバー行きのフェリーに乗らなくちゃいけない。ガイドブック首っ引きでオートルートでアクセスできるブローニュの港を目指した。
なんとかなるもので、どうせ戻ってくるのだからと切符は往復で購入した。どういう要領で船に乗り込んだのかは当然覚えていない。しかし、かなり大きな船だったと思う。やれやれ乗れた……ホッとしてデッキで食ったフィッシュ&チップス。やたら脂っこかったけど旨かった。
ドーバーに着いてクルマに乗ったまま通関。ここで驚くべき経験をする。係官の話すクィーンズイングリッシュが「はっきり分かる!!」57歳を迎えた今も僕の英語は中学校レベルなのだが、この時ほど「おおっ、英語が分かる」と感激したことはない。
それまで如何になかなか通じないフランス語に苦しめられていたか……ということである。片田舎のお店でアイスクリームを買おうとしても言葉も出ずに指さすだけ。もう幼稚園児以下である。日本を発つ前に「水はエビアンといえば買えるから…」と聞いていた。その通り「えびあん」と言っても、お店のオバサンは???。
今ではエビアンはすっかり有名で、それが何たるかは誰でも知っている。その頃は、本当に水のことをエビアンというのかと思ったほど。フランス語で水は eau(オウ)だけどね。
ちなみに、2年前のジュネーブショー取材ではフランス側の
Evianに泊まった。ここの水は全部エビアンだぞ…ってか。そういえば、いま米国女子ゴルフツアーのエビアンオープンが当地で行なわれているね。宮里藍が調子いいみたいだ。
ドーバーからどうやってロンドンまで行ったんだろ? 記憶を辿りながらの珍道中記は、まだまだ延々と……。
つづく
Posted at 2009/07/25 15:25:22 | |
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