
本ブログをご覧の皆さんご無沙汰です。まず最初に、東日本大震災で亡くなられた方々にあらためて心から哀悼の意を表するとともに、被災地で依然として厳しい境遇に直面しておられる皆さんの健康を祈念して止みません。結局何もできずに2ヶ月が過ぎ去ってしまいました。
我ながら慙愧に堪えませんが、被災地の再興はこれからだと心得ております。もしもこのブログをご覧の読者で、私にできることがあるぞと思われる方が居られたらコメント、メッセージをお寄せ下さい。遅まきながらですが、明日から可能な範囲を巡ろうと考えてます。初動は余裕のある人に任せ、自らの身の丈にあったやり方を探す他はないというのが、今日ただいまの率直なところであります。
それにしても、3月11日はそれ以前とそれ以後で物事の見方がここまで違ってしまうものなのか……時代の変わり目に直面していることはかなり前から自覚し、そのような言動をしてきたつもりですが、震災、津波、原発事故という一連の出来事は、想像を遥かに超えるインパクトをもたらしました。
それに加え、個人的な話ですが私をこの世界に導き入れ、親も同然といわれる仲人をお願いしたmentorともいうべき人の死という、時代の終焉を具体的な形で納得させる現実が重なりました。予期していた時代の移ろいと、まるで考えもしなかった恩人の急逝が重なって、ちょっと身動きが取れなくなってしまった。
今回の震災から福島第一という世界的にも有名になった原子力発電所の事故を通してもっとも印象的だったのは、メディアの化けの皮の剥がれ様でした。本来政府に対するチェック機能としては働くべきジャーナリズムが、記者クラブ制度によってあたかも政府広報のような一元的な情報に縛られ、大スポンサーという立場の東京電力という民間企業に遠慮して、大新聞もTVもラジオも判を押したように口を揃えるという愚挙に走ってしまった。
いまでも既存のマスメディアに信頼をおいて、その一元的ともいえる報道を清濁合わせ呑むウェブメディアに否定的な立場を採る人が多数派を占めている。それはこれまでの秩序を守ることで安定を望むこれまでの生き方を是とする人の行動としては間違いではないと思います。
しかし、既存メディアに代わる、リアルタイムに発信され、ある立場を反映する編集というステップを踏むことなくノーカットでオンエアされるUstreamやニコニコ生放送といった新しい情報媒体の出現が、真偽を白日の下に曝け出してしまった。まだ、視聴者の数が精々10万人の桁という、大新聞やTVキー局が抱える人口の1%前後のスモールメディアですが、このフットワークの軽いメディアはyoutubeなどの共有動画サイトにアップされることで簡単に再視聴が可能になっている。
編集されることなく長時間のオンエアが可能なメディアの登場は、紙幅や放送時間の制約の必然としてある編集を不要とし、様々なしがらみと関係なしにそこにある事実を伝えることを可能にしてしまった。制度や仕組みが時代に合わなくなっているのに、そして実は対応し得るテクノロジーがすでに登場しているのに、閉ざされた村社会の論理が優先され、スクラムを組んで新しい時代の波に抗っている。
省益を優先する強固な仕組みが確立した霞が関も、国の先行きは官僚任せにして党利党略に地道を上げる永田町も、政府の意向を汲んだ一元的な大本営発表しか報道できないマスコミも、それぞれの立場では正しいけれど、発展途上段階では許されたかもしれないけれど、成熟から一気に衰退期に入ろうとしている今のこの国に、そんなアナクロニズムで余裕をこいている暇などありません。
福島原発事故の報道では、自由報道協会を立ち上げ、政府と東電の情報不開示とそれを追究しない記者クラブメディアの機能不全に風穴を開けた上杉隆さんをはじめとする、フリーランスの活躍が目覚ましかった。記者クラブから排除されつづけた彼らの存在がなかったら、隠された事実がどれだけあったか分からない。ノーカットで流されたウェブ放送によって、既存の記者クラブメディアの機能不全と、デマ扱いされることの多かったネット情報の多様性を伴う健全さに多くの人が気がつくことになった。
こういうことを書くと、またいろいろ批判されるとは思いますが、普段の取材から黒塗りのハイヤーを乗り回し、緊急の会見などがあるとアイドリングストップどこ吹く風の我が物顔で運転手を路駐のまま待たせる。自分でステアリングを握る庶民の感覚を知らずに、正義の見方を気取って本当はどうでもいい客観性を伴うように見える質問ばかりをする(上海ショー会場で行われた某社社長記者会見でうんざりさせられたた経済に関する数字とか)。
今日(12日)、日産がUstreamを使って2010年度の決算記者会見をオンエアするという新たな試みを行った。既存マスメディアには不可能な、1時間に及ぶ会見をノーカットでQ&Aまで逐一流す。先のトヨタのグローバルヴィジョン発表会でもオンラインでの放送が試みられたが、この時は豊田章男社長のスピーチのみで、Q&Aはオンエアされることがなかった。
私は日産のUstream放送が始まる直前まで都心で友人に会っていて、クルマで移動中にその時間を迎えてしまった。iPadを広げて使えるWiFiがあるか拾いながら走っているとちょうど神宮の銀杏並木で使えるネットワークを拾い、路肩にクルマを停めてその場で記者会見を見届けることが出来てしまった。今はそういう時代なのだ。
今回日産の会見は、C.ゴーンCEOの2010年度の成果と、震災という困難を克服し2011年度にも明るい展望を持っているという、CEO得意のヴィジョンの提示という側面があったが、それ以上にQ&Aも丸々オンエアし、誰が何を質しのかという聞く側の報道に責任を持たせる意味合いが含まれたという点で画期的だった。
編集によって、どのように情報が加工されるか。使用前と使用後が分かる材料を共有することで言われっぱなしを防ぐという、メディアの力を背景にした行動に歯止めをかけ、これまで訂正されることのなかった過去の報道を改めさせる。その根拠を手に入れ、少なくとも質問者に緊張感を与える効果を生じさせた。まだまだ視聴者は万人レベルと少数だが、スマートフォンなどの普及によって状況は劇的に変わる可能性を秘めている。
久しぶりのブログアップ、本当は本ブログのタイトル『からだとクルマ』の原点に立ち返り、太鼓判のFR絶対主義の本義からツラツラと書こうと思っていたのに、つい興奮してまたあちからお叱りを受けそうな展開になっちゃった。今年末がどうやら21世紀的FRの元年となり、30年以上も前に触発され僕の走りの原点ともなったドリフトが大きくクローズアップされることがほぼ確実になった。その新しさについては、また明日。相変わらずの展開に、我ながら呆れている。最後まで読んでくれてありがとう。
Posted at 2011/05/12 23:59:52 | |
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