
川崎市北部の多摩川沿いの市道。今はコイン洗車場になっていて面影はまったく残っていないが、スリーダイヤマークを掲げた中野島給油所はたしかにそこにあった。
今からもう39年も前の話。店主のイシヤマのおやじは2人の息子が高校の同窓の先輩後輩ということもあって、兼業農家で知人との共同経営という微妙な立場ながら何かと面倒を見てくれた。
そこに先輩格のショージさんに事務のワタナベさん。昭和の香りが濃厚に漂う家族的な職場は、近所の常連客の多士済々も含めて、それは記憶の引き出しに溢れんばかりのあれやこれやの日々に明け暮れた。
ここを知ったのは、高校の同級で、突如生徒会長に立候補したことで何故か知り合うことになったヨコヤマの伝だった。卒業と同時に整備工を志し、このGSでバイトを始めた。
たまたま本校は神田だが、体育の授業だけが生田という大学に通っていたことで、立ち寄ったのがきっかけで、いつの間にか僕もここで働くことになった。
気がついたらドロップアウトしていて、この系列の元売りのスポンサーを受けていたスタードライバーのカッパブックスを読んだのがきっかけで、突如レーシングドライバーになると宣言し、奇遇がかさなってまさかのライター稼業に入って今がある。
まあ、この辺の話は何度も書いているので、古い読者は耳タコかもしれない。ふと思い出したのは、イシヤマのおやじのことである。僕はその時21歳でサニークーペ1200GXから近所の斉藤輪業でホンダシビックGL(SB1).☆レンジホンダマチックに乗り換えていた。恰好よかったセールスのナカジマシュンタさんはもうすっかりおじいちゃんになっているだろうな。
今でこそFRだドリフトだ身体論だとウルサイことを言っているが、21歳のみぎりは基本的にただのアホ。せっかく名機KB110で純正FR魂の薫陶を得たのに、いやいやこれからはFFよ、2ペダルのオートマよ、と若気の行ったり来たりをコイていた。
時のイシヤマおやじといえば、セドリックの4ドアHT・GLを買い込んで、それらしいカーライフを楽しんでいた。トランスミッションはおおっなんてこったの4速フロアマニュアル。若気の至りは、当時今の僕よりも若い50代後半だったおやじを捕まえて「古ぃ~なぁ」とかなんとかほざいていたはずだ。
兵隊にも行ったおやじはしかしめげることなく、「いやギアを手で動かさないと物足りないんだよなぁ」今なら仰る通り!と同調できるコメントを照れ笑いとともに呟いた。
いや何が言いたいかというと、当時はATに乗る僕のほうが明らかに変わり者で、巷では老若男女MTに乗ることにギモンを抱いてはいなかった。WIKIPEDIAで見る日産セドリック230 4HTのスペック の近似値は、シングルキャブのL20OHCで115ps。
グロス値だから今でいえばリッターカーのレベル。5ナンバー枠に収まるボディは当時あれだけ立派に見えたのに、同仕様だと1365㎏近辺しかない。このエンジンの最高速は165㎞/hとなんだかほっとするレベルに留まった。だから昔は良かったと言う気はさらさらない。ただ、身体感覚からみるクルマとの距離感が今よりずっと近かった。
デザインも機能も性能も、質的には圧倒的に今のほうが良いと思うけれど、お上が許すスピードの上限はビタ1㎞/hたりとも増えていない。これが金輪際変えられないというなら、過去40年足らずの技術開発競争とその恩恵は誰のため、何のためだったのかと理解したらいいのだろう。
これはおかしい、異常だッ!バチンと言った瞬間"ハッ!?"とはなりませんか。何か洗脳されていたという気分になりませんか。自分でも延々とそういうことを書き連ねてきたので、あちこちこそばゆいのですが、高性能って何ですかね。後ろ向きになるのではなく、前を見据えながら考えたいものです。
夕刻まで話題のトヨタ86開発陣とのインタビュー記事を書いていたのですが、先月から始まったdriverの短期集中連載は、書きながらあれこれ考えさせられる、これまでの自動車専門誌とはちょっと違うテイストになっていると思います。
昼間書いていた『脱自前主義』のくだりなどは、このところトヨタvsスバルみたいな相変わらずの分かりやすい二律対抗の善悪良否型思考に留まる皆さんには、えっ?世の中はもうこんな風になってんの?ドッキリすること請け合いの内容かと思います。
AT限定免許がどこから現れて、今どういうアクションが起ころうとしているか。MTに乗ると脳が活性化して老化防止には最適。超高齢化社会に立ち向かうには、ITSなんかより右ハンドル・マニュアルドライブのほうがよっぽど有効で、資源・環境・安全の問題への解としても有望だ。脳トレの川島隆太やカロリンスカ大学まで登場するなんて、T社(の86担当CE)はなかなか分かっている。
40年前のイシヤマのおやじさんとの問答みたいな???なトンチンカンに聞こえるかしれませんが、今までの成り行きをそのまま延長して行ったら、間違いなく失敗が繰り返される。
86というスポーツカーの根幹を成すコンセプトは『バック・トゥー・ザ・ベーシック』かつての進歩主義とは異なる人間に向き合うところが興味深く、クルマ作りの方法もiPhoneを範とする最先端の試みに挑戦しているという点で圧倒的な面白さがある。
昨日乗ったBMWの新3シリーズ、こんなに大きく育っちゃっていいのかよというボディに、実はBMWが本来得意とする2ℓ直4にターボ過給をかけて帳尻を合わせる。十分過ぎるほど速く、ここまでスピードにこだわったからこその上質な乗り味で圧倒する。
非常に洗練されているけれど、評価されるのは日本の法定速度の倍の領域でのカタルシス。評価するのは簡単だけど、そのリアリティをどう落とし込めば良いものか。レベルが高すぎて、顎が上がってしまうというのが正直なところ。
8速DSGは、速くて、簡単で、楽ちんだけど、MTとLSDがないのは如何なもの? FRはドリフトだと言い切る見識がないと、クルマはただひたすら自動運転にまっしぐらになって、なんとしてでも死守すべき最大価値、自由を失うプロセスに入ってしまう。無自覚にITSの側に立つ者には注意が必要だ。
もっともっと走るスピードレンジを下げて、それでも滅法面白いという世界を掘り起こさないと、募るのはフラストレーションばかりということにもなりかねない。今までどおり上を向いて歩いて行ったら、それでクルマはハッピーな存在になるだろうか。
「だからよぉオメェ、ギヤチェンジに乗るんじゃねぇか」あの時のイシヤマのおやじさんの気持ち、分かるんだよな。 今頃遅ぇよ。草葉の陰から言われちゃうとは思うけど、人には年回りごとの役割がある。笑われても、迷った時は面白いほうへ。まだまだクルマで遊びたいですからね。
Posted at 2012/02/08 23:57:19 | |
トラックバック(0) | 日記