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伏木悦郎のブログ一覧

2012年11月25日 イイね!

懲りずにLAオートショー

懲りずにLAオートショーまだ行きますか、って感じ。不景気風は深刻で、リーマンショック以前は雪崩を打ってやってきたフォロワーもめっきり影を潜めている。

僕は、1998年のNRP(日産リバイバルプラン)をC.ゴーンが主導し、フォードの傘下に入ったマツダがH.ウォレス、J.ミラーに続いて1999年パリパリの若手経営者M.フィールズがやってきて、2002年には三菱自工がダイムラークライスラーからドイツ人のR.エクロートを社長に招聘するという状況を踏まえ、日本の中だけで日本車を見ていたらおかしなことになる……そう考えて海外の主要モーターショーの取材(と同時に現地でのクルマのありようを知る)ことを自らに義務づけることにした。

それまでにもプレスツアーには数多く呼ばれていた。1980年代中頃に始まった現地試乗会では最年少で参加していたし、バブル期の雨後の筍のような欧州遊山を横目に90年代にはこれからはアメリカだと目先を変えることにした。

95年から12年ほど持っていたCSTVのレギュラー番組を核に、自前で飛ぶことが増えた。まだ招待される身分ではあったし、それはそれで貴重な経験だとは思っていたが、並行して独自取材を始めると、やはり基本はこっちだろう。要領の悪さは生まれつきだが、あれこれあって今がある。

ロサンゼルス(LA)に最初にやって来たのは1980年前半だったか。最初は84年か?成田で同行のM(前COTY実行委員長)と登場前にのんびりしていて、「積み残しはないだろう」高を括って搭乗口に ノコノコ行くとゲートが閉じていて叱られたり、85年にはF1カメラマンのKとグッドリッチタイヤに呼ばれてCカー(LOLA T616)をリバーサイドで走らせたり。

87年には日産の招きでLAからサンディエゴのNDI(日産デザインインターナショナル=当時)、アリゾナのプルービンググラウンド、テネシーのスマーナ工場も視察した。その際に軽飛行機で移動したら、眼下にサターンの工場敷地が見えた。

鳴り物入りでGMが小型車作りに進出すると、脅威論が喧伝されていたが、何のことはないサターンが立ち上がるのは1990年。その間数回テネシー州スプリングヒルのサターン本社工場を訪ねたが、GM破綻にともない10年後にはブランドそのものが消滅の憂き目にあっている。

その他にも広告代理店の担当と何度か訪れたはずだが記憶は定かではない。最初はLAといえばダウンタウン泊だった。

バブルが弾けた後の90年代は、アメリカへアメリカへと日本メーカーがサバイバルを賭けて雪崩を打つようにのめり込んで行った時期。トヨタ、日産、ホンダ、三菱、マツダ。日本の5メジャーが競うように西海岸の拠点の充実を図り、5社ともども顔見知りの広報マンが現地駐在に入るというある意味での黄金期。ちょうど現在の中国にも似た状況だと思ってもらえば分かりやすい。

95年に新聞のベタ記事でカリフォルニア州で大気清浄法(ZEV法)の施行が予定され、98年から一定量の販売台数のあるメーカーは全量の2%をZEV(ゼロエミッションビークル=当時はEV・電気自動車)にするとの報道があった。

これは一体何なのさ。ということで、取材チームを組んで出掛けたら、そんなことでわざわざ日本からやって来たのはお前が初めてだと言われた。新聞は現地の通信員のリポートを載せただけだったようだ。言葉の問題もあって、顔見知りの駐在員がいる日本メーカーを中心に話を聞いて回ったら、珍しがられた。

番組の予算を組んで出掛けたので、CARB(カリフォルニア州大気資源局)のボスとの直接インタビューも手掛けている。あの時の映像素材は家のどこかに眠っているかもしれないが、あの時からアメリカ中心の姿勢は変わっていないが、本当のことを言うとアメリカは苦手だ。

大きくて多様で住めば都かもしれないが、狭くて単一(な感じ)でなんだかんだいっても暮らしやすい日本の環境から飛び出すと、つかみ所を欠く。コミュニケーションに欠かせない言語能力の問題もあるけれど、よくもまあこの手の旅を続けられるなと我ながら思う。もっと若い20代の頃から世界に飛び出すセンスがあったら違ったのだろうが、今更の話だろう。

今回は羽田発午前0時30分のデルタ636で飛ぶことにした。当然格安のチケットをデルタオンラインで見つけたからだ。晩飯を自宅で済ませ、機内は寝通しにしよう。狭いエコノミーシートだが、なるべく快適なポジションを確保して……で、チェックインカウンターに荷物を預けに行き(オンラインチェック済み)、ボーディングパスを受け取ろうとすると「満席を頂いており、アップグレードさせていただきました」という。

やったね。久しぶりのアップグレード。浮かれて機内食に手を出すは、カリフォルニアワインを呑むは。オードリーの『ティファニーで朝食を』観るは。フラットに近いシートでたっぷり寝て、ほいほいとLAX着。バレーパーキングのシャトルに乗ってHONDAから借用したアコードを引き取って、LAダウンタウンのウィルシャー通りのラマダ。hotwireでヒットしたコリアンタウンのど真ん中(?)は、案外よさそう。

無事着いた安心感で急に睡魔が襲い、ふと目覚めたらまだ未明の微妙な時間。ということで、またうだうだ書いちゃいました。

今日(26日)は、久しぶりに手にしてその出来ばえの良さにあらためて感心した新型アコードをじっくり味わうつもり。日本からアコード(北米仕立て)が消えて久しいけれど、これなかなかのもんです。

Posted at 2012/11/26 23:32:36 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
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