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伏木悦郎のブログ一覧

2013年09月17日 イイね!

巨星墜つ。

午後、暫く借りていたロードスターHTを子安に返却して帰宅する道すがら、スマホがメールを着信してブルッた。確認すると、トヨタ広報のK氏からで、【訃報】豊田英二 とあり、2013年9月17日(火)午前4時32分の死亡日時が記されていた。※享年100歳(1913年9月12日生)

大往生……まず浮かんだ言葉だ。2010年頃からトヨタ記念病院で療養中だったそうだが、百歳までの存命は讃えられて然るべきだろう。7月に行ったGoodwood Festival of Speedで50周年を祝うマクラーレンブースにあった"人は生きた年月ではなく、業績で評価される"というマクラーレンカーズの創業者ブルース・マクラーレンの言葉が印象的だった。豊田英二さんは、まさにその長寿とともにトヨタの創業者の一角に名を連ね、豊田自動織機・自動車部設立3年目の1936年(昭和11年)入社から1937年のトヨタ自動車工業株式会社設立を通じたトヨタ創業当初から存命の唯一の存在であり、幾多の業績に輝かしい足跡を残している。

社長就任は1967年(昭和42年)。戦後しばらくしてのインフレからデフレに転じた不況下で工販分離(トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売:自工と自販に分離1950年)となり、在任中の1967年から工販合併を果たす1982年までの15年ほどの間にセンチュリー、マークⅡ、セリカ/カリーナ、スターレット、ターセル/コルサ、カムリ、ソアラなどの今日の礎になるモダンなモデル群を発売する。

1982年の工販合併とともに社長職を創業者の豊田喜一郎の長男豊田章一郎に譲り、会長に就任する。豊田英二さんは、創業者豊田喜一郎の父で現在のトヨタのルーツに位置する豊田自動織機を興した発明王豊田佐吉の弟平吉の二男として生を受け、従兄弟にあたる豊田喜一郎とは19歳の年の差。喜一郎の長男で1925年生れの豊田章一郎(88歳)さんとは12歳の歳の差である。現在のトヨタ自動車社長の豊田章男さん(56歳)は、佐吉、喜一郎、章一郎に連なる豊田家直系の嫡男で、三代目ということになる。

豊田英二さんは、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業したエンジニアで、初代クラウンやセンチュリー、ソアラ、セルシオ(レクサスLS)、プリウスといった歴史を彩るエポックメーカーの開発を指揮したと聞いている。また、北米市場への足掛かりとしてGMとの合弁会社NUMMI(カリフォルニア州フリモント)の設立にも陣頭指揮を執っている。会長職は1992年に退任。それから20年余はほとんどメディアに登場することもなく、静かに目立たぬ行き方を貫いた。

いろんな意味で残念に思う。最大の悔いは、同じ時代を生きていながら、そのほとんどを伝聞で知るしかないという忸怩たる思いである。豊田英二さんが社長の頃は、その任期晩年ともいえる1978年にフリーランスライターとしてこの道に入ったばかり。78年のKP61スターレット、ターセル/コルサ/カローラⅡ、80年のカムリ、81年のソアラ……と記憶に残るクルマが多いが、当時ペーペーのヘッポコライターが大トヨタの社長と面識を持つことなど叶わない。

会長職を辞した1992年以降、当時のトヨタ広報部で懇意の課長職あたりに何とか懇親の場を作ってもらえまいか? せめて同じ場所で空気を吸い、とりとめのない世間話でもいいから交わしてみたい。人となりを直に知るか否かで、リアリティがまったく異なる。この仕事を長く続けてきて、トップを含む然るべき人々と接するにつけ強くそう思うようになっている。

同じ想いは、実は20年前にも味わっている。本田技研工業株式会社の創業者として本田宗一郎の名を知らぬ者はいないだろう。本田宗一郎は1991年(平成3年)8月5日)、85歳になる直前にこの世を去っている。1906年(明治39年)11月17日生れは豊田英二さんの7歳年長。ともに長寿といえるが、数多くの伝説を残す自動車界の巨人と同時代に生きていながら、これもほとんどを伝聞で知るしかなかった。

その悔しさから、せめてお元気な内にと、1990年代後半に何度か打診したことがあるのだが、本人が日経(だったと思う)で語った他は話すつもりはない……と頑なに表舞台に出ることを拒んだという答え。もちろんトヨタ社内でも言葉を交わせた人は限られているはずだし、多くの人にとって雲の上の存在だったはずである。だからこそ、メディアに属し、ジャーナリストの端くれに名を連ねる、それももっとも近くにいるはずの自動車専門メディアにいる者として伝える立場にいたかった。

仕事を成し遂げた人は、味わい深い。けっしてモノトーンではなく、それぞれの風貌容姿とともに記憶されるべき雰囲気と言葉と立ち居振る舞いを持っている。ほんの一言でも交わした言葉が生涯の財産になる。煩わしくもあり面倒でもあろうが、力のある人はない人のためにほんの少しエネルギーを分け与える義務があるのではなかろうか。何気ない一言が、大きな力になり、眠っている才能を掘り起こす可能性もある。ビッグスターはそのことに気がついてほしいと思うのだ。

突然のメールで、思わず"ああ、そんなことを具申したことがあったな" と思い出した。明るい個性で記憶に残る本田宗一郎とは好対照の力はあるけれどしゃしゃり出ない謎多き豊田英二。日本を代表する自動車メーカーで創業期を知る唯一の存在が亡くなった。謹んで哀悼の意を表したい。安らかにお休みください。


Posted at 2013/09/17 23:55:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
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